第23話『ダヴィ暗殺騒動 上』
太陽が雲に隠れた。人生最後の光が消えた、とシンは感じた。ヨーゼフが隣で囁く。
「人数揃いました」
「所定の場所に配置につけ」
ミラノスの城下町。ダヴィに排斥された貴族たちの旧邸宅付近は人が少ない。誰も手入れをせず雑草が隙間から生える塀の影に、シンたちは隠れた。もうすぐ取り壊され、兵舎に作り変えられると聞く。貴族たちの怨念もシンを後押ししてくれるだろう。
「ダヴィはいつ通った?」
「昼前です。もうそろそろ帰る時分でしょう」
「予定通りだな」
最近のダヴィは愛馬ブーケと一緒に散歩に出かけることが多い。この道を通って城外へ出て、そしてこの道を通って帰ってくる。無論、近衛兵たちと一緒に。
そこを狙う。
(やっと、この日が来た)
シンは暗い炎を目に灯す。彼女の計画では、ここでダヴィを暗殺し、その隙に王子が挙兵してウッド国を復興させる。クリア国はダヴィ無くしては成り立たない国だ。彼がいなくなれば大混乱が起きるだろう。
没落した旧ウッド国の元貴族たちも協力する手はずを取り付けた。決め手はファルム国の支援だった。ファルム王からの書状を読んだ元貴族たちは、争うように協力を申し出てきた。百年以上ウッド国の親のような存在だったファルム国に対して、忠誠心すら抱く貴族も多い。情けないことだが、ウッド国の将軍だったシンが血を吐くようにして説得を続けたよりも、多くの支援者を得た。
ファルム国からは大量の金銭や武器も与えられた。これだけあれば、新国家の基礎に足りうる。ダヴィさえいなくなれば、ウッド国を裏切った旧首都ワシャワの有力者たちも協力せざるを得ない。
しかしながら、その新国家にシンが入る予定はない。ここで彼女は死ぬ。
「大丈夫でしょうか。この人数で」
とヨーゼフが弱気になる。先ほど出ていった近衛兵たちは数十騎。シンたちは二十人を下回り、馬にも乗っていない。身を隠すため鎧も身につけず、僅かな武器しか持たない。シンは静かに言う。彼女の黒い後ろ髪が揺れる。
「ダヴィさえ殺せればいい。死の友連れは少ない方が良いだろう」
「はい……」
「お前も王子たちと一緒でもよかったのだぞ」
その言葉に、ヨーゼフは表情を強張らせる。
「私は将軍と共にします。そのような言葉は言わないでください」
「そうか……」
シンは目元を緩めて感謝を告げた。途中、裏切りや密告もあり、仲間は死ぬか離れていった。この数日前にもクリア軍の追捕を受けて、百人以上いた仲間の大半を失ったばかりだ。多くの人が離れていった。ここにいるのは、シンとウッド国を慕う者だけ。
彼らも全員死ぬことだろう。
(皆、すまない)
突然、顔に雨粒が当たった。先ほど太陽を隠した雲が黒さを増し、雨脚がだんだん強くなる。これで視界は悪くなる。
「天の恵みだ」
彼らの姿は灰色に染まる街影に消える。時々通行人がいるが、急な雨に速足で通り過ぎる。彼らを気にする余裕がない。
シンたちは雨を避けない。血がたぎる体を冷やすかのように。彼女の艶やかな黒髪のポニーテールが雨に浸る。
その時、馬のいななきを微かに聞いた。
「来た」
と誰も言わない。その代わりに、静かに剣を抜いた。シンだけは弓矢を持つ。矢じりの先に、念入りに毒を塗りこんだ。毒に粘性は無く、雨で流れそうになって苦心する。
「来ます」
「分かっている」
いら立ちを抑えて、ようやく弓矢を番えた。騎馬の足音が段々と近づいてくる。部下が目を凝らして合図の手を上げた。ダヴィで間違いない。
シンは物陰から弓矢を引き絞る。勝負は一瞬。この一矢で、ウッド国を滅ぼしたダヴィを射抜く。この時の為に、泥水をすするような思いをして生きてきた。そして、この矢が放たれた途端、成功しようがしまいが、彼女たちの命はついえる。怒り狂ったクリア軍に虐殺されるだろう。
それでも、シンたちはやらねばならない。
(聖女様……父上……)
祈る間に、馬の足音に地面が震える。シンは手先を震わせながら目を凝らす。雨で指が滑りそうだ。
先頭の数騎が通り過ぎる。そしてひと際大きな馬が後から続く。それにまたがる男。耳輪が金色に光った。シンの目が大きく開く。
(来た)
彼女の右指が離れた。雨粒どもを斬り裂き、シュッとわずかな音が鳴る。糸を引くように正確な軌道は、男の首筋へと向かった。
ダヴィが振り向く。シンと目が合った。
「ダヴィ!!!」
ジャンヌが飛び込んだ。ダヴィの隣で馬を並ばせていた彼女は、とっさに馬上から飛んで、ダヴィの身体を抱き、突き飛ばす。その結果、矢はダヴィの肩へと突き刺さった。二人は馬から転げ落ちていく。
失敗した。仕留められなかった。こうなれば力づくしかない。シンは自分の剣を抜く。
「いざ、ウッド国のために!」
ダヴィの顔が苦悶に歪む。ジャンヌは剣を抜いて、彼を守るように前へ立った。刺さった矢を抜く暇もない。襲いかかってくるシンたちに対して、部下の近衛兵たちに命ずる。
「ダヴィを守って! 何がなんでも!」
静寂だった雨の中で、数十人の怒号が響く。ミラノスの一角で、死闘が始まった。
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