第22話『不機嫌な少年と変な友達』

 ムハンマドには日課がある。


 片足がほとんど動かない彼は、杖を突きながらミラノス城を疲れ果てるまで散歩する。ノイに助けられてからベッドで横になっていたが、ようやく他の傷が癒えたのだ。医者からは車いすが出来上がるまでは起き上がらないことを推奨されたが、これ以上寝ていると自分の地黒の肌すら白くなるような気がした。彼はまだ幼かった。外の空気を吸いたくなり、ノイの許可を取って自力で松葉杖を使う。体を大きく揺さぶり、前へと進む。


 彼は毎日城の庭へ向かう。最初は物珍しそうに眺めていた兵士たちも、今では慣れて挨拶を交わす。ムハンマドの方は彼らと仲良くしようとしない。彼らに攻撃されたから、自分の足はこうなったことが脳裏から離れられない。一番憎いのは自分を売った奴隷商人とこき使った船乗りたちだが、クリア軍も憎かった。


 そんな彼にも友だちはいる。


「やあ、ムハンマド。今日も来たのか」


 城の片隅で座る男が話しかけてきた。ムハンマドはぶっきらぼうな口調で、その“靴磨きの青年”に応える。


「俺は毎日来ているよ。時々しか来ないのはあんたの方じゃないか」


「他の仕事が忙しくてね」


 オッドアイの靴磨きが苦笑いをした。その隣にムハンマドが座る。


「今日はどんな感じ?」


「駄目だね。皆、自分で靴を磨いているって言うのさ。それを厳命されているって」


「場所変えたら?」


 その質問に、靴磨きは肩をすくめた。この場所じゃないと駄目らしいのだ。


「それがこの城に潜りこむ時の条件?」


「まあね」


「外で仕事した方が儲かりそうなのに」


「それが出来れば苦労しないよ」


 きっと縄張り争いが厳しいのだろう。ムハンマドは少ない知識で考える。それにしても、彼はどんな伝手があって、この城に潜り込めるのだろうか。兵士長と知り合いなのか?


 彼は変わった身なりをしている。目の色もそうだが、両耳には大きな金の輪がぶら下がり、肌艶は良い。髪も整えられていて、ボロボロの衣服とミスマッチだ。まるで、どっかの貴族が庶民に化けている。


(ありえないけどね)


 ムハンマドは自分の意見を鼻で笑う。誰が好んで靴磨きをするだろうか。そんな奴がいたら“よっぽどの奇人”だ。


「どれ。ヒマついでだから、君の靴を磨いてあげよう」


 靴磨きは手際よくムハンマドの靴を脱がせると、彼の小さな靴を丹念に磨き始めた。汚れを落とし、よどみなくクリームを塗っていく。どう見ても素人の手つきではない。ムハンマドは感謝しつつ呟く。


「俺にはどうでもいいのに」


 靴磨きはたしなめる。


「動かなくても、君の足は存在している。血は通っている。その足を綺麗に飾るのは悪いことじゃないよ」


「そうかな……」


「そうとも」


 心地よい静けさが訪れる。彼の磨く音を聞いているだけで落ち着く。余計なことを言わない。彼は熱心に靴を磨くだけだ。


 変わった男だ。彼といるとなんでも話してしまう気がする。ムハンマドはすでに自分の生い立ちや辛い思い出を打ち明けていた。何気ない態度が大海原の様になんでも吸い込んでくれる気がする。今日も自分の悩みを打ち明ける。


「なあ、俺はどうすればいいかな」


 靴磨きは顔を靴に向けたまま聞き返す。


「何か不満なのかい?」


「不満はいっぱいさ。この動かない足もそうさ」


 障碍を持つだけで生涯の終わりを告げられるこの時代、彼はあの船内で死んだ方がマシだったと思うこともある。でも、彼はノイに生かされた。こうしてノイの手厚い世話になってミラノス城内で暮らしている。この生活に口を尖らせたら、他の奴隷連中が大いに文句を言うだろう。


 しかしながら、ムハンマドは不満を感じる。不安とも言える。


「この足で、船の底でオールしか持ってこなかった俺が、何ができるっていうんだよ」


「怖い?」


「怖い。手足縛られて森に投げ出された気分だよ。まあ、足は縛らなくても動かないけど」


 十歳という歳に似合わない乾いた笑いを発する。彼は本気ともつかないお願いをする。


「なあ、俺にも靴磨きを教えてくれよ。何でもやるからさ」


「……教えてもいい。でも、靴磨きだけだと生活できないよ」


「やっぱりそうなのか。他に仕事が無いとなあ。あーあ、どうしようか」


「他の仕事を教えようか」


「え?」


 靴磨きは立ち上がる。いつの間にかムハンマドの靴は磨き終えられていた。それをムハンマドの足に履かせながら、彼は言う。


「足が動かないなら、他に代わりとなるものを探せばいい」


「他って?」


「馬だ。君に乗馬の技術を教える」


 そう言って靴磨きは再び立ち上がる。ムハンマドからは逆光で彼が黒く見えた。両耳の金の輪が輝く。


「兄ちゃん、馬に乗れるのかよ!」


「ああ」


「すげえ……兄ちゃんって一体……?」


 乗馬の技術は本来貴族しか持ち合わせていない技能だ。農耕馬を扱う農民ですら、馬の上に乗って走らせることは困難だ。ムハンマドでもそのくらい知っている。


 その技術を目の前の靴磨きは持っている。自分に降り注ぐ彼の影が大きくなったような気がした。


「頼むよ」


 ムハンマドは縋るように言った。自分が生き残るには、他の奴隷とは違うことをしないといけない。靴磨きは頷く。


「分かった。俺の馬を連れて――」


「お兄様、ここにいましたか」


 ムハンマドと靴磨きが振り返ると、そこには小柄な女性二人と大男一人が並んでいた。その中のルツが靴磨きの、他のジャンヌとノイがムハンマドの腕をつかむ。


「さあ、戻りますわよ。道具を持って」


「うーん……分かった。従うよ」


「ムハンマドも! 自分の部屋に戻るよ」


「嫌だ!」


 と叫ぶが、ノイに腕をつかまれてはなす術がない。ムハンマドは引きずられていきながら、靴磨きの青年に伝える。


「次は馬を連れてきてよ! 俺に教えてくれ!」


「了解だ。また会おう」


 手を振る靴磨きことダヴィは、ムハンマドたちが城の外壁を曲がって姿が見えなくなってからルツに振り向く。


「よくここが分かったね」


「親切な兵士が通報してくれましたのよ。『また王様が靴を磨いているって』」


「ははは……」


 笑おうとしたダヴィを、ルツがキッと睨む。ダヴィは肩をすくめて、腕をつかんだままの彼女に従い城へと戻っていく。その道中で、彼女はぼそぼそと伝えた。


「ちゃんと城内にいてもらわないと。ジョムニから報告があります」


「ソイル国か」


「はい。マケインが接触したとのことです。ソイル軍がゴールド国に入った情報もつかみました。詳しくはお部屋の中で、説教と一緒に聞かせてあげます」


「……お手柔らかに」


 一方でムハンマドはふてくされながら歩く。彼の両側にはジャンヌとノイが付きそう。


「チェッ、馬に乗れるようになったのに……そもそもほんとかな?」


「本当だよ。ダヴィは……ダヴィ様は、馬に乗れるから」


「“様”? やっぱりあの兄ちゃん偉いのか!」


「知らなかったのかい!」


 ムハンマドは納得して何度も頷いた。ただ者ではないと思っていたが、その通りだった。


「さっきのきれいな姉ちゃんも『お兄様』なんて言ってたし、ジャンヌが変な敬語使っているし。よっしゃ! 兄ちゃんが貴族並に偉かったら、馬の乗り方本当に知ってそうじゃん。 教えてもらえそうだな!」


「ダメだよ! ダヴィ様は忙しいんだから。それに、変な敬語ってなにさ!」


「忙しいのか……」


 ムハンマドはチラリとノイを見上げた。彼はムハンマドの視線に気づき、彼の歩調に合わせて極めてゆっくりと歩きながら下を向く。


「なあ、ノイはあの兄ちゃんのことをどう思う? 本当に俺に教えてくれるかな?」


 ノイはゆっくりと口を開いた。


「変わっている。が、約束は守る」


「そうなのか?」


「変わっているって……あんたねえ」


 とジャンヌが呆れた。自分の主君に対してその物言いは無いだろう。しかしノイはそうとしか言えなかった。異教徒を平等に扱い、正円教の古い秩序を壊していく。今までの世界にいなかった人物だ。だからこそ、彼は従っている。


「可能性を感じる」


 とノイがまとめたのを、ムハンマドとジャンヌは首を傾げる。


「それ、人に言うことか?」


「変わっているのはあんただよ」


「…………」


 もう彼は口を開かない。ジャンヌは見上げながら口をへの字に曲げる。この陣営には変人が多い。ムハンマドは彼女にも質問する。


「ジャンヌはどう思っているんだよ、兄ちゃんのこと」


「どうって……」


 うーんと腕を組んで悩む。弓を名手である彼女の腕は太い。しかし日に焼けてもハリ艶が良い肌や茶色い髪は若い美しさを表し、彼女の気さくな態度に好意を抱く武官は少なくない。


 その彼女の心にはいつもダヴィがいる。懐に抱くお守りのように。


「ダヴィはね、ダヴィ様は、尊敬するべき相手だし、あたいらを導いてくれる存在さ」


「好きなの?」


「は?」


「兄ちゃんのこと好きなのかって。何か変な態度だし」


 ジャンヌは一瞬頬を赤らめたが、春風が吹いて冷めた。彼女は首を大きく振る。外に跳ねたショートカットが乱れる。


「近い存在と見たらいけないのさ。あたいにとって、精霊みたいなもの」


「精霊?」


「無敵の存在。誰にも負けない救世主、みたいな」


 ムハンマドは首を傾げる。その拍子に松葉杖を突く場所を誤ってバランスを崩しかけたが、ノイが支えた。彼はありがとうと言って、また彼女に向き直る。


「ジャンヌも変なこと言うよな。兄ちゃんは人じゃないか」


「一緒の存在と見たらいけないんだよ。あたいたちを守ってくれるんだから」


「ふーん……」


 どうも違う。顔を下に向ける彼女がそれを望んでいるようには見えない。


「おかしいと思うな」


「え?」


「さっき俺は転びかけて、ノイに助けてもらっただろ。俺はこれからもずっとノイに助けてもらわないといけないのかよ。俺だってノイを助けたいし、誰の手も借りずに歩きたい」


「…………」


「助けられてばっかりなのは、嫌だよ。ジャンヌだってそうだろ?」


 助け合うのが理想の関係だと、彼は言いたいのだろう。ジャンヌもダヴィと出会った頃はそんな関係だったように思う。でも、今はもう違う。彼の背中が遠い。


「ダヴィはあたいの助けなんて要らないのさ。他に優秀な人が多くいるし」


 ますます下を向くジャンヌ。一瞬目を離せば泣いているのではないかと思うぐらい、か細い声だった。ムハンマドは気を使ってそれ以上言わなかった。代わりに自分の信念を言う。


「俺は馬乗りになるんだ! 御者でもなんでもやってやる! 自分の力で生きたい!」


「そうか」


 ノイがポンポンと彼の頭を撫でた。異教徒はこの世界で生きにくい。それでも生き抜いてやろうとする少年の志を褒める。


 夏が近づき、太陽は天高く昇る。この光がこの少年の前途に輝き続けることを、ノイは静かに祈った。

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