第21話『北狼の心』

(寒い)


 マケイン=ニースは自分の顔が白くなっているのが分かる。厚い毛糸の服を何枚も着こんで普段以上に真ん丸になっているが、それでも寒さが肌に染みる。椅子の上で体を抱える。これでも春先と言うのが驚きだ。窓の外では北風が吹き荒れ、灰色の光景が広がっている。


(我が領土とは全く違う。ここは人の住む場所ではない)


 マケインはゴールド国北辺のニース城の領主であったが、デンマク湿原を越えて、ここまで北に来るのは初めてだ。ここまで来る羽目になろうとは思いもよらなかった。


 それもこれも、ダヴィのせいだ。


(今に見ておれ。私をだました無礼を、泣いて後悔させてみせる)


「いらっしゃいました」


 後ろで控える部下が告げる。マケインは椅子から立ち上がり、扉が開くのを待った。


 ゆっくりと開いた扉から現れたのは、ソイル国宰相・ウィルバード=セシルである。三本の三つ編みにした髭を撫でながら、にこやかにマケインの手を握った。


「ようこそお越し下さった」


「セシル様とお会いできることを楽しみにしていました」


「そうですか。おや? 手が冷たい。暖炉の火をもっといてくれ」


 と指示を出し、ようやく部屋は満足できる温かさになった。ホッとして座ったマケインに、対面に座るウィルバードが謝る。


「我が国の者は寒さに鈍感でしてな。この気候でも肌着一枚で過ごす者もおります」


強靭きょうじんなお方が多いですな」


「なんの。遊牧する際に、荷物が多くては邪魔と申す者もおります。生活するための我慢に過ぎません」


 遊牧。その言葉はマケインたちにとって不快な響きだ。その思いが口から出てしまう。


「その生活の知恵の一つに『我が国への訪問』もありましょうか」


 ニースを始めとしたゴールド国北辺は度々遊牧民たちに襲われる。狩猟が出来ない冬場に、食料を略奪するために南下してくるのだ。その騎馬集団の脅威に、マケインたちは苦い思い出しか持たない。ウィルバードは軽く笑った。


「昔の話です。これからは起こらないでしょう」


(何が昔の話だ)


 数年前までは普通に襲ってきていた。クリア国を呼び寄せたのも、毎年のように襲ってくるソイル国の南下に信ぴょう性があったからだ。ウィルバードの飄々とした言い方に、マケインは内心ムッとした。


 しかし彼の言葉の裏を返せば、これから盟約を結べば、その襲来は無くなるという意味ではないか。マケインは言質を取った気がして喜んだ。ウィルバードは話し続ける。


「今は南からのお客が大変そうですな」


 マケインは大きく頷く。


「その通りです。クリア国という無礼な客が来ております。あろうことか、我が国のど真ん中に城をいきなり築いたのです!」


 唾を飛ばして激昂する。ウィルバードは何度も頷きながら、全く笑っていない目を向ける。


「それをあなた方は追い払おうとされたが、失敗されたそうですな」


「一部の南の者が勝手にやったことです。我が国が総力を挙げれば、あんな新興の国など……」


「その南の方々はいかがなされた?」


「意気地のない奴らです。一度負けただけで領地で怯えて暮らし、あろうことか…………いや……これは止めておきましょう」


 ――懐柔されつつある。ウィルバードはそう察した。クリア国では貴族制を廃止しているが、代わりに元貴族たちを官僚制度に組み込んでいる。その一代限りの官僚としての地位を保証して、弱体化した貴族たちを説得していると聞いている。その毒牙にゴールド国南部はすでに噛みつかれているのだろう。


 ゴールド国単独ではクリア国に勝てない。ウィルバードは残酷に判断した。


「我が国は貴国を援助する準備が出来ています」


 というウィルバードの言葉に、マケインは目を輝かせる。そして傍らに置いた書状を渡した。


「我が国の王からの書状です。我が国一丸となってお願い申し上げる」


「これはこれは、以前の関係では考えられないことですな」


 出来れば頼りたくなかった。という思いは懐にしまい、マケインはニンマリと満面の笑みを作る。


「ご支援頂きましたら、多額の資金をお渡しすることをお約束する。この一帯も我が国で開発しましょう」


 ソイル国の北端に位置するこの小さな町は、マケインにとってあまりにみすぼらしく見えた。きっと開発資金が足りないのだろうと予測していた。しかしながら、それが理由ではない。元々遊牧民たちにとって都市は必要がない。せいぜい品々を交換する市場があれば良く、この町もその市場が少し発展したに過ぎないのだ。ウィルバードは相手の無理解さに呆れつつ「そうですな」と適当に受けた。


 マケインの熱弁が続く。


「貴国の強力な軍がいればクリア国など簡単に追い払えましょう。ここだけの話ですが、ファルム国からも支援を取り付けております」


「ほう?」


「あちらは国内がまとまっておりませんからな。大胆に軍を動かしてはもらえないが、海賊たちをけしかけて、クリア国の港町を襲わせているようです。さらには、ウッド国の旧臣たちの反乱を援助しているとか。その芽も開く頃と聞いています」


 ダヴィの困った顔が目に浮かぶ。マケインは自分で彼の首を絞めているように感じ、喜悦に浸った。


「いずれあの無礼な国は亡びるでしょう! 内と外から粉々になること間違いありませんぞ!」


「左様ですか」


 ウィルバードは静かに笑っていた。自分との温度差を感じ、マケインは不審に思う。


「本当にご支援頂けますでしょうな?」


「もちろんですとも」


 怪しい限りだ。そもそもダヴィとアンナ女王は仲が良いという情報もある。真っ白な髪と髭を持つウィルバードの笑みに、信頼がおけない。


(虎を追い払って、狼を呼び込んでは意味がない。使いどころを見極めるべきだな)


 口を動かし過ぎて体が熱い。マケインは初めて上着を脱いだ。ウィルバードは不安と興奮が入り混じる彼の心情が手に取るように分かった。クスリと笑い、立ち上がる。


「すでに準備しております」


 窓辺に向かう。そこから外を指さすと、街の外で野営している集団がいた。


「急には大軍を動かせませんからな。まずは先遣隊を向かわせましょう。我が国の旗印を見れば、クリア国は慌てましょう」


「これはありがたい!」


 先ほどの不安が消し飛び、無邪気に喜ぶマケイン。思いのまま口走る。


「素晴らしいご采配だ! ダヴィを滅ぼすことは貴国の女王陛下も喜ばれることでしょう。奴らから南の利権を取り返し、女王陛下に金銀財宝をもたらしてみせましょう。素晴らしい美貌と伺ったが、より素晴らしくなられるはずだ!」


「……それが、陛下の幸せ、と?」


「ええ、もちろん! 世の女性全てがうらやむ宝石を持ってきますぞ」


 満面の笑みのマケインと対照的に、ウィルバードの笑みが固くなっていく。そして微笑みながら口を開いた。外に流れる北風よりも冷たいものが流れ出す。


自惚うぬぼれるでない」


 マケインの笑みが崩れる。固まる彼に対し、ウィルバードはゆっくりと近づく。


「陛下のお望みは自国の利益。宝石など微塵も欲しがってはいない。そこらの女と一緒にするとは、勘違いされていますな」


「えっと……それは失礼を……」


「我々を『狼』と呼んでいるとか」


 耳元でささやくウィルバードの言葉がマケインの心臓を鷲づかみにする。剣を当てられて脅されているかのように身動きできない彼に、『大白髭』の異名を持つ北国の宰相が呟く。


「気をつかれることだ。ネズミごときが狼の気持ちを分かるはずがない。ましてや操ることなど考えぬ方が賢明でしょう」


「う……」


「黙って従われよ。力ある者は大事にする。それが北ロッス大草原に住む我らのおきてだ」


 ――*――


 鼠が地面を走る。暗がりに消えていく姿を見つめて、鼻で笑った。


(まるで我らのようではないか)


 国が滅び、地下活動を始めて、もうすぐ一年になる。人の心の汚さを見た。底辺の貧しさも、生まれた時から人生を諦めている絶望も見た。何度も裏切られて蔑まれる。『大将軍』と持て囃された自分はもういない。


 それでもシン=アンジュは生きている。目に灯る輝きは黒ずんでいようとも。


「シン様。出立の準備が出来ました」


「ああ」


 潜伏する家を出て、誰にも見つからないように裏路地を進む。夜なのに汚水のすえた匂いが強烈に鼻を刺す。でも、それも慣れた。


 守衛に賄賂を渡して街の外にコッソリと出る。そこには馬車が用意されていた。中には十二歳と十歳の兄弟。


「シン……本当にいかないとダメ?」


 弟の方のか細い声に、シンは首を振る。以前の自分なら情がわいていただろうが、今は何とも思わない。厳しい声でたしなめる。


「ウッド国の復興のためです。わがままは許しません」


 彼らはウッド王家の生き残りだ。寂れた修道院で暮らしていたところを無理やり連れ出した。嫌がってはいたが、シンたちには必要なことだった。仕方がない。


「シン。弟は置いてはいけないのか」


「駄目です」


 弟は“つがい”だ。これから危険なことが多く起こる。万が一の時に、兄の代わりがいないといけない。シンたちにとっては彼らは必要不可欠な道具だ。


 彼らの不安をいなして、馬車は南へ向かった。それを見送ったシンは、傍にいた部下のヨーゼフに声をかける。


「いよいよだ。全員を指定の場所に集めろ」


「はい」


 みすぼらしい麻の服で駆けていく。彼も上級貴族出身で、ウッド国が健在な頃は香水も使うオシャレな男だったが、今では貧民の中に潜り込み、垢で顔が黒ずむ。自分はどうだろうか。あの頃と比べることが怖い。


(だが、それも終わりだ)


 月が雲に隠れる。聖女に祈ることはあまりしなくなったが、今は祈りたい。自分の父、そして死んでいった仲間へ祈る。


 祖国を復活させる。そのためにも……。


「ダヴィ、死んでもらうぞ」


 体の中を濁った熱い血が流れる。風は南から来る。ウッド国から来るのだろう。心臓の鼓動が早くなる。今晩は寝苦しくなりそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る