第39話『ピレン山脈東の戦い 上』
ピレン山脈。ウォーター国とファルム国を分かつ、南北に連なる山脈を示す。広大な山々が連なり、人が暮らせる平地は限られている。数十年前までは異教徒たちが隠れ住んでいたが、ウォーター国民の移住と街道の整備が進み、その姿は少なくなった。
しかし道は増えたとしても道幅は狭く、軍が易々と通れる道は少ない。さらにファルム国側にあたる山脈の東側は特に切り立っており、街道をウォーター国に抑えられてしまえば、ファルム国の軍勢がウォーター国に入ることは不可能に近い。つまりウォーター国にとっては自然の盾となっている。
ウォーター軍はその盾を捨てて、ファルム国へと攻め込もうとしていた。シャルルがファルム軍を目視したのは、その山脈を越えた平野においてである。
「なるほど、多いな」
「多くとも、我らの敵ではありません! 一気に打ち破りましょう!」
「あわてるな。我々の目的はこの先もある。勝てるとしても、無用な消耗は避けるべきだろう」
シャルルは血気盛んな若い(そうはいっても、彼よりも年上である)騎士をたしなめて、冷静に作戦を考えた。そもそも相手の兵数は倍を数えるのである。勝てる見込みは少ない。
(誘い込むか)
その時、シャルルは敵軍の中にザルツ公の旗印を確認した。にやりと笑う。
「彼に動いてもらうことにしよう」
それから少しして、ザルツ公のもとに書状が届けられた。
ゆっくりと封を解いて広げたザルツ公は、読むなり、禿げあがった頭全体を紅潮させてた立ち上がった。手紙をその使者の足元へ投げ捨てる。
「このような恥知らずな手紙を儂に送るとは、ふざけておるのか!」
使者は拾った手紙を読んだ。それはシャルルが彼に当てた降伏勧告であった。以下はその要約である。
『ザルツ公。貴様らに勝機はない。すぐさまファルム国を裏切り降伏するならば、貴様の領土は安堵しよう。もし戦うというならば、数時間後には貴様は俺の靴をなめて命乞いしていることだろう』
ザルツ公は名誉を人一倍重んじると有名である。それを聞いていた使者の背中に、冷たい汗が伝った。こんな敬語すら見当たらない手紙を読めば、怒るに決まっているではないか。
ザルツ公は唾を飛ばしながら怒り散らす。顎だけに生やした髭が震えた。
「戦場に出て数十年、こんな無礼な手紙を読んだのは初めてだ!儂がこのような脅しに屈するとでも思っているのか!」
「そ、そのようなことはありません! シャルル王子は聡明な方です。ザルツ様だけに手紙を送られたのは、きっと勘違いがあって」
「なんだと? 儂だけだと! 儂が一番腰抜けだと思ったとでも言うのか!」
ザルツ公は
「出陣だ! 儂の正義の
そして彼は震える使者に向かって、こちらも怒りで震える人差し指を突き出した。
「貴様、ここで殺してやってもいいが、使者を殺すのは儂の信条に反する。ここは帰してやる。ただし! シャルルにこう伝えろ! ゴンサロ=ザルツが貴様の首を取りに行く。お前の首に、儂の靴を磨かせてやるとな!」
慌てふためいて帰ってきた使者の伝言を聞いて、シャルルは高らかに笑った。
「俺の首では靴は磨きにくかろうに」
ダヴィが聞いたらどう思うだろうか。もしかしたら真面目に首で靴を磨くことを考えるかもしれないな、と考え込むダヴィの姿を想像して、余計に笑った。
敵軍の様子を確認した兵士が報告に来た。
「ザルツ公の軍を先陣に、続々とファルム軍が向かってきています」
「彼の飛び出しを無視できなかったのだろう。思惑通りだ」
ザルツ公はこの地域でも有力な領主の一人であり、その実績から戦場で彼を止める者はいないだろう、と彼は事前に調べていた。ザルツ公を誘いだせば、ファルム軍全体が彼に引きずられてくるに違いない。
そして同時に、シャルルは彼を頭ごなしに命令できる人物、つまりファルム王家に連なる者がいないことが分かった。
だが、まずは目の前の敵軍である。シャルルは集まった諸侯に伝えた。
「敵は我々の釣り針に食いついた。後はうまく引き上げるだけだ」
「はい、シャルル王子」
「作戦は事前に伝えた通り。網は山中に隠した。そこまで引き込むのだ!」
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