第40話『ピレン山脈東の戦い 下』

 太陽が中天にさしかかる頃、ウォーター軍とファルム軍が秋晴れの下の平野にて対峙した。ザルツ公は、ここは歴戦の勇士らしく、敵味方の陣形が整うのを静かに待った。そして伝統通り、挑発による宣戦布告を行う。


「わざわざ我らの国まで負けに来るとは、変わった趣味がおありと見える。由緒正しい槍でもって、西の野蛮なお方たちをお迎えしに参った」


「古ぼけた槍での出迎え、感謝する。数百年前と変わらぬ考えをお持ちと見える。磨きたての剣でもって、新しい戦術を教えて進ぜよう」


 口上が終わった後、両軍はじりじりと近寄ってきた。両軍ともに伝統ある斜線陣を布いている。上空から見ると、ファルム軍の左翼とウォーター軍の右翼が最初に触れ合い、怒号と共に戦闘が始まった。


 ウォーター軍は数が劣るものの、最初の矢合戦では互角と善戦し、しびれを切らしたファルム軍は白兵戦を仕掛けてきた。ファルム軍伝統の騎士団が左翼から突出し、ウォーター軍の陣形に矢のように一直線になって刺さっていく。


「まだ引くなよ! こらえろ!」


 そう命じたシャルルも自分の槍をつかみ、馬に飛び乗って戦場を駆けていく。驚いた本陣の兵士たちも彼に続く。


「覚悟!」


 ファルム軍の騎士が槍を突き出してくる。シャルルはそれをすれすれでよけると、駆け抜けながら、持っていた槍を相手の喉に突き刺した。喉に槍が刺さったまま、ゴボッと、喉と口から血を噴き出して、騎士は馬から転げ落ちて動かなくなった。


 その様子をシャルルは見ることもなく、周囲の兵士を叱咤する。


「抑えろ! ここで崩れるな!」


 ついてきた兵士の一人が、死体から槍を回収してきた。シャルルは再びそれを持つと、次の敵へと向かう。光り輝く金髪を見せつけながら戦う姿は、敵味方問わず、大きな刺激を戦場に与えた。


 その奮戦の様子は、ザルツ公の耳にも届いた。


「幾戦も共に戦ってきた儂の槍を、やつにお見舞いしてやろう!」


 重い体を愛馬に乗せ、ザルツ公は顔まで覆う兜をつけて、突撃する軍に加わった。


 ザルツ公の旗が動いたことが、今度はシャルルの耳に伝わる。


「頃合いだな」


「うりゃあああ!」


 勢いよく振りかざされた敵の剣を受け止め、相手が剣を引くのと同時に、槍で彼の身体を突く。騎士は馬から転げ落ち、シャルルは冷静に彼の腹部に槍を突き下げた。ずぶりと鋭い槍の穂先が、彼の腹へと埋まって、代わりにそこから血があふれ出てくる。


 もだえる敵を見下しながら、近づいてきた伝令に指示を出す。


「撤退命令だ。各軍、所定の位置まで後退するように伝えろ」


「分かりました!」


 静かな息遣いきづかいのまま、シャルルは槍を引き抜いた。吹き上がった血しぶきが、彼の金色の髪についた。


 シャルルの命令通り、ウォーター軍はスルスルと後退し始めた。しかしシャルルに一当てされたばかりのファルム軍の前線は追いすがれずにいた。


 ザルツ公は焦る。


「なぜ追わない! やつが逃げるではないか!」


 自分の部下かどうか問わず、周りを叱咤激励して、自らが先陣を切って追撃を始めた。初老に差し掛かろうかという歳なのに、眼を血走らせて、逃げ遅れたウォーター軍の兵士を切り捨てながら騎馬を走らせる。


 その様子を、シャルルは逐一聞いていた。顔に笑みがともる。彼はすでに細い山道から外れ、ふもとの様子がよく見える丘までたどり着いていた。


「大魚がかかったな」


 ファルム軍の三分の一が山道を登り始めたところで、彼はのろしで合図を出した。一気にウォーター軍が反撃に転じる。


 道が細いため、ファルム軍は展開できず、大軍の利を生かせずにいた。


「なんの! これしき、苦ではないわ!」


 ザルツ公は自慢の槍を振り回し、名のある騎士が躍り出ることを待った。


 ところが彼に待っていたのは、ちょかまと動く歩兵と、どこからともなく飛んでくる矢の嵐であった。


 後世の戦術家曰く、シャルル=ウォーターの優れた戦術のひとつに、長弓兵の活用が挙げられる。当時、弓兵とは厳密には存在しない。歩兵が最初の矢合戦の時だけ弓矢に持ち替えて戦うだけで、白兵戦が始まるとその姿はほとんど見ない。その理由には、戦場が兵士たちに矢を絞るだけの時間を与えず、兵士たちも乱戦の中で冷静に狙うほどの技術を持ち合わせていなかったからである。白兵戦において、弓矢を活用できるのは、子供のうちから訓練を重ねた貴族階級だけである。


 ところが、シャルルは平時から領民に弓の訓練を命じていた。特に女性の背丈ほどの大きさのロングボウの訓練を続けさせたという。弩に比べて射程距離は短いが、速射性に優れている。シャルルはこの長弓兵を戦場における主力へと鍛え上げていた。


 後に歩兵・騎兵と並ぶ弓兵という兵科の確立、そして銃・火砲が登場した後には三兵戦術の確立につながるのだが、これは余談である。


 この戦場において、正確に狙ってくる矢の餌食えじきとなり、次々とファルム軍の兵士は倒れていった。その発射元を探そうとしても、深い森林に隠れて、見つけられない。


 最前線で戦うザルツ公も、全身に矢を受け、まるでハリネズミのようになっていた。


「ど、どこだ、シャルル! 儂と一騎打ちを……名誉ある戦いを!」


 そう叫んだ瞬間、ザルツ公の喉にどこからともなく矢が突き刺さった。すでに体力の限界を迎えていたザルツ公は崩れ落ち、地面で砂まみれになってこと切れた。これが彼にとっての名誉ある戦死かどうかは、推して知るべしである。


 崩れていくファルム軍を確認して、シャルルは追撃を命じた。そばにいた騎士は興奮して、シャルルに話しかける。


「大勝利です! ファルム軍は無残に逃げていきます!」


 満面の笑みを浮かべる彼と異なり、シャルルは無表情のまま考えていた。


「『金獅子王の角』がいなかった」


「はあ、それがなにか?」


「……いや、なんでもない。君も追撃に加わりなさい」


 勇んで馬で走っていく騎士をぼんやりと見つめながら、シャルルは遠い空の下にいるはずの本隊を案じた。


 ――*――


 シャルルの心配は当たっていた。ファルム国内に入った本隊の中心にいたルイとネック公のもとに、伝令からの急報が届く。


「前方にファルム軍の大軍あり!」


「来たか」


 予想していたルイは静かに事実を受け止めた。しかし隣の派手な男は違った。オロオロと狼狽うろたえて、フラフラと歩き回る。


「大丈夫なんだろうな?! なあ、ルイ。はっきり答えてくれよ!」


 うるさい、とレオポルトに怒鳴りそうになるのを、ルイはグッとこらえる。彼の代わりにネック公が答えた。


「ご安心なさいませ、レオポルト様。こちらは大軍、少々の敵はすぐさま打ち破ってくれましょう」


「敵の数は?」


「恐らく、二万人はいかないだろうと」


 ルイは我慢に我慢を重ねて、自らレオポルトを励ます。


「レオポルト様、お聞きになりましたか。相手は我々よりも数が少ない。勝てる戦いでしょう」


「本当か?!」


「本当です。さあ、戦いは我らに任せて、どこかで素晴らしい詩でも書いていてください」


「わ、わかった……よし! この近くでいい教会があると聞いたんだ。そこでこの軍を称える詩の着想を得てこよう」


 本陣から彼を追い出して、ルイはふうと息を吐く。ネック公が彼を慰めた。


「よく我慢なさいましたな」


「まったく。あんな男を厚遇しないといけないとは、つらいものだ。敵の陣容は?」


「続報が来るでしょう。お待ちなさいませ」


 それからしばらくして、次の偵察が駆け込んできた。息が切れている。


「も、申し上げます! ……ハアハアハア……」


「早く申せ!」


 ルイに叱られて、偵察役の騎士は息を絞り出して報告した。


「ファルム国王旗が見えます!重騎兵の姿も多数見えます!」


「『金獅子王の角』に違いない! 来たな!」


 ルイは椅子から飛びあがり、強くこぶしを握った。


「奴らに勝つことをどれだけ夢見たか!これはチャンスだ。行くぞ!触れを出せ!」


 それからしばらくして、ダヴィたちの下にも情報が落ちてきた。陽は落ちて、星々が上空に光っていた。


 焚火の明かりに照らされながら、ダヴィ達三人は不安を口にする。


「予感が当たったな」


「当たりましたね。悪い予感が」


「戦いは明日だろう」


 ダヴィは空を眺めた。月は山の上にそびえる古城から登ろうとしている。金色の耳飾りを光らせるダヴィにつられて、他の二人も見上げた。


 青白い月。


 空から落ちてくるその光が、ダヴィには不吉なものに思えて仕方がなかった。

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