第41話『南フォルム平原の戦い 上』
ファルム国の大穀倉地帯である南フォルム平原、その西側の一角で、両軍合わせて五万を超える兵士たちが緊張と高揚感に包まれていた。冷たくなってきた秋風が鎧の隙間から吹き込むというのに、兵士たちの身体は
しかしこの男、『金獅子王の角』を率いるヨハン=セルクスはいつもと変わらない表情で、この地域の地図を眺めていた。四角い顔に生えた、きれいに整えられたあごひげを撫でる。
一人の騎士が本陣に報告に来る。
「敵は街道沿いの平原に陣取りました」
「予定通りだな」
ヨハンは鼻で笑った。もし自分たちの騎兵を恐れるのであれば、もっと北側の田園地帯か、西の山岳地帯に戻ることで、こちらの機動力を削ごうとするであろう。自分ならそうする。
(我々のことを知らないか。もしくは、命知らずか)
脳裏にレオポルトの顔が浮かんだ。自信過剰な彼が無理に主張して、平原での決戦を強いられているのであれば、敵ながら気の毒だ。
彼のかすかな笑みを見て、報告に来た騎士も笑った。
「敵は能無しです。簡単に打ち破れるでしょう」
「打ち破る、だと?」
ヨハンの眉がピクリと動き、発言した騎士を睨みつけた。グレーの短髪とあご髭、深い皺が刻まれた強面の顔にすごまれて、騎士は返事もできずに固まった。
ヨハンは鋭い目つきのまま、叱りつける。
「この度の戦いの目的は、ただ勝つことではない。敵軍の中にいるレオポルトを殺すことにある。打ち破るだけでは逃げられる。敵軍をすり潰して、確実に殺すのだ!」
「は、はっ!」
「あの失態を二度と繰り返してなるものか!」
直立不動になる騎士を見て、彼は目の力を弱めて手で払った。
「もう行け。戦いに備えろ。すべてはルドルフ王のために」
「はい! すべてはルドルフ王のために!」
急いで出ていく騎士の背中を眺めながら、ふと上空に小さな雲を見た。大きくなりそうな雲だった。
(雨が降る前に終わらなせなければ)
――*――
一方で、ウォーター軍も戦闘準備に備えていた。後軍に布陣したダヴィたちは、モランとアルマに呼び出されていた。
「お前たちは前の戦いと同様に、伝令役として戦場を駆けまわってほしい。前線の様子を逐一報告してくれ」
「「「分かりました!」」」
ダヴィたち三人は元気よく返事をした。あの初陣の後、ジョルジュもダヴィに教わりながら必死に騎乗技術を学び、十分に馬を操れるようになっていた。
「今度はむやみに戦うなよ、マクシミリアン」
「分かっています、父上!頑張ります!」
「お前は頑張りすぎるなと言っているんだ!」
モランがマクシミリアンに説教する中、アルマはジョルジュを心配していた。
「大丈夫か、ジョルジュ?怖くはないか?」
「ば、ばかにしないで下さい! 私も
「しかし、戦場を駆けるのは初めてだろう?」
「心配し過ぎです! それだからクロエにもうっとうしく思われているのです」
「そうなのか?!」
二組の親子の会話を、ダヴィは直視できなかった。自分には出来なかった、まぶしい光景だった。
やがて会話が終わり、少年たちは作戦室として使っている天幕から出ようとした。それをモランが呼び止める。
「ダヴィは残ってくれ。少し聞きたいことがある」
三人は首を傾げ、言われた通りダヴィが残った。彼をモランとアルマが取り囲み、声を落として尋ねた。
「この戦い、どう思う?」
「え?」
「シャルル様から、疑問に感じたことがあるならダヴィに聞けと、言われたのだよ。どうだい? この戦い、勝てそうか?」
ダヴィは少し考えた後、ゆっくりと答えた。
「勝算は少ないでしょう。即時決戦を望んで平原を戦場に選んだのが、相手の利するところとなりました」
「なぜルイ様は戦いを急がれた? ファルム国内からレオポルト様の味方が蜂起するのを待つべきではなかったのか?」
「それは……恐らくですが、レオポルト様をある意味、見限られたのでしょう」
行軍中の振舞いはともかく、ダヴィはこの軍に訪ねてくる使者の数が気になっていた。ダヴィが密かに調べていた中では、こちらからファルム国内に送る使者は数多くても、ファルム国の諸侯から訪ねてくる使者は少なかった。これを見て、ルイら首脳陣はファルム国内からの援軍は少ないと感じたのであろう。
だからこそ、決戦勝利という実績で、味方を増やそうとしている。
(しかし、レオポルト様を餌に諸侯の離反を促すという目論見が外れたのであれば、そこで帰国するべきだ)
ダヴィの予測に、アルマとモランは腕を組んで
「ならば、我々はどうするべきか」
再び意見を求められたダヴィが答える。
「前線が崩れた報告が来た瞬間、後方の輜重隊を護衛するという名目で、撤退するべきです」
「なるほど。それならば敵前逃亡の汚名も逃れられるか」
元々戦力として数えられているかどうか怪しい、後軍に位置している。撤退用の食料を守るのも、立派な仕事だ。
方針は決まった。ダヴィは自分の準備をしようと、天幕を出ようとした。後ろから声がかかる。
「お前たちは前線で動き回るのだ。気をつけろ」
「息子たちのことも頼むぞ!」
ダヴィは振り返って、しっかりと頷いた。左右の違う色の目に力がこもっている。
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