第42話『南フォルム平原の戦い 下』
太陽が十分に登った頃、戦端は開かれた。より増えた雲が、太陽の姿を半分隠している。
ルイは剣を鞘から抜いて、天高く掲げた。
「矢を放て!」
三万人の兵士が並ぶ陣から、無数の矢が降り注ぐ。ファルム国も応戦するが、矢の数では劣勢に立たされた。
ネック公がルイに伝える。
「矢合戦はこちらが優勢です」
ルイの茶色い眉が上がる。
「よし! 歩兵に前進させろ!」
敵の騎兵に備えて、盾を構えた歩兵の密集陣形がゆっくりと前進を始めた。わずかな隙間から槍が飛び出している。
ファルム軍は中央に固まったウォーター軍を取り囲もうと、両翼の軍を前進させた。ところが数に劣るため、十分に取り囲むことが出来ない。翼を開き切らない鳥の頭に、巨大な石がぶつかるような形になった。
陣形を展開できないファルム軍が、じりじりと劣勢になった。戦局を打破しようと、虎の子の重騎兵が左翼から飛び出してくる。
その一報を聞いて、ルイが声を張り上げた。
「奴らを倒せば、我らの勝利だ! 右翼を前進させろ! 奴らをつぶせ!」
戦局の重心がウォーター軍の右翼に移り、左右対称だった戦陣が斜めに形を変えた。かの有名なファルム軍の重騎兵も数の暴力には勝てず、徐々にファルム軍の左翼は後退を始める。
ルイは伝令から報告が来るたびに、嬉々として指示を出す。
「勝てるぞ! 私の勝利だ! つぶせ! 奴らを皆殺しにしろ!」
その時、ウォーター軍の左翼で異変が生じた。強烈な襲撃を後方から受けたのだ。
『金獅子王の角』の登場である。
「馬鹿め! 本物はこっちだ!」
銀の角を飾った兜をかぶるヨハンが先頭に立ち、大きな槍を振り回していく。
無慈悲な暴力が、ウォーター軍の左翼の兵士を吹き飛ばしていく。密集陣形は防御が強いが、機動力は捨てている。急に現れた騎馬兵に対応できず、後頭部をいきなり殴られたように、陣形が崩壊していく。
ルイはこの時、本陣と後軍で対応したのであれば立て直せたかもしれない。しかし左翼が壊滅し、自分の理想が崩れた瞬間、彼の思考は停止した。
「なぜだ! 我々の方が数が多いではないか? なぜ勝てない!」
それを見て、ネック公が声を上げる。彼にとっては前線の兵士よりも、このルイの命の方が大事だ。
「撤退する! 皆はルイ様の退路を守れ!」
本陣が撤退していくことは、すぐさまウォーター軍全体に伝わった。それは動揺につながり、やがて壊走へと変わっていった。
ルイが逃亡したことを、ダヴィはすぐさまモランたちに伝えた。
「我々の負けです! これを逃さず、すぐに撤退しましょう!」
「分かった!」
モランはすぐに撤退命令を出し、自身も馬に乗って走っていった。ダヴィはそれを追おうとした時、持っていた手綱を強く引かれた。アルマが泣きそうな目で言った。
「息子が帰ってこない! マクシミリアンもだ!」
「え?!」
「しばらく報告にも来ていないのだ。探してきてほしい! 頼む!」
ダヴィは前線の方を見た。必死な形相のウォーター軍の兵士が逃げてくる。この先には、血に飢えたファルム軍の大軍が迫ってきているに違いない。
ダヴィは手綱を強く握り直した。
「探してきます! アルマ様は撤退の指示を!」
「すまない!」
ダヴィの馬が駆けだす。兵士たちの波に押し流されそうになりながら、必死に彼らの姿を探した。
雨が降り始めている。視界が悪くなり、ダヴィは兜を脱ぎ捨てた。
その姿で分かったのだろうか。彼を呼ぶ声が、人のうねりの中から聞こえてきた。
「ダヴィ! おい!」
「マクシミリアン!」
ダヴィは必死に逃げる兵士たちの間を、器用に馬ですり抜け、やっと二人の姿を見つけた。
マクシミリアンがぐったりとしているジョルジュの肩を担いで、歩いている。足を引きずるジョルジュの右肩には折れた矢が刺さっていた。雨の中でも分かるぐらい、彼の右肩を覆う布は赤く染まっていた。
「ジョルジュ!」
「血を流し過ぎている! 危険だ」
「マクシミリアン、馬は?」
「流れ矢に当たって、動けなくなったから捨てた。さあ、ジョルジュを!」
マクシミリアンは動けないジョルジュの身体を、ダヴィの馬に乗せた。ダヴィはジョルジュを片手で抱きかかえ、もう一方の手をマクシミリアンに伸ばした。
「さあ、早く!」
「三人はムリだろ」
マクシミリアンは血と泥が付いた顔でカラカラと笑った。彼もボロボロになった兜を脱ぎ捨て、汗と埃で濡れたオールバックの髪を撫でつける。
その表情に、ダヴィはゾクリと肌が泡立った。
彼は覚悟を決めていた。
「どうするつもりだ?!」
「馬の扱いは、悔しいが、お前の方が上だ。だがよ、剣は俺の方が大分上だ。それぞれ得意分野でやった方が、助かりやすいだろ」
「マクシミリアン!」
再び笑った彼は剣を抜き、ダヴィに背を向けて走っていった。
「マクシミリアン! マクシミリアン!!」
彼の背中は、人の波に消えていった。
ダヴィは彼を追いたかったが、抱えたジョルジュを無視することが出来なかった。長い黒髪を生気無く顔に張り付かせ、意識なく、荒い息遣いをしていた。早く治療しなければ。
ダヴィは西へと馬を走らせた。敗走したとはいえ、どこかで結集して立て直すに違いない。そこまで走ればいい。徐々に強くなっていく雨の中を必死に駆けていく。
ところが、途中で彼は馬を止めた。目の前の光景に息を飲む。
「人の壁だ」
走り抜ける隙間すらないほど、人が密集していた。原因は退路である山道の道幅の細さである。平野いっぱいに展開していた三万もの人がそこに集まれば、どうなることか想像はついたはずだ。ダヴィはこれを想定していなかったことに、下唇をかんだ。
その時、馬の下から声をかけられた。
「あの時の騎士じゃねえか!」
行軍の時に会った、スコットとライルがそこにいた。二人とも全身を濡らして、鎧は脱ぎ捨ててボロボロの服をまとっていた。
「ライル~、『様』をつけ忘れているよ」
「うるせえ! 戦には負けたんだ。この期に及んで、身分もくそもあるか!」
ライルはそう言うと、真ん丸な腹の下から剣を取り出した。
「へへへ、がきんちょ騎士さんよお。その馬から降りてくれないか?そうすれば、乱暴なことは」
「えい!」
ダヴィは剣を振って、ライルの剣を払った。ライルは慌てて、地面に転がった剣を拾った。
「な、なにをしやがる! このヤロウ!」
「ライル」
「なんだ?!」
「剣先が無くなっているよお」
「…………あれ?」
ライルの剣は柄の先からぽっきりと折れていた。彼は舌打ちをして柄を投げ捨てた。
「スコット、お前の剣を貸せ!」
「ええ~、捨てちゃったよお」
「なんでだよ?!」
「だって、重いもんは捨てろって」
「それは捨てるなよ!」
ダヴィは片手で剣を持ち、もう片手でジョルジュの身体を支えながら、彼らの言い合いを眺めていた。こんなことをしている場合じゃないのに。
その通りだった。逃げてきた方から悲鳴の波が迫ってきていた。激しい雨音の中に、ファルム軍の足音も混じって聞こえてくる気がする。ライルとスコットの顔が
「ど、どうしよ、ライル。殺されちまうよお」
「どうしろったって……おい! 騎士、いや、騎士様! どうするんだよ!?」
調子よく助けを求めてくる二人に、ダヴィは内心ムッとした。しかし自分も助からないといけない。彼は周囲を眺めた。
その時、雨の視界が悪い中で、北の山の上に何かを見つけた。道中の記憶が呼び覚まされる。オッドアイが古びた建物を見出す。
「城だ」
「え? なんだって?」
「あの城に逃げるんだ!」
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