第43話『恐怖の避難場所』

 ぬかるむ山道を乗り越え、ダヴィたちは山の上にたどり着く。後方の怒号や悲鳴は大分遠ざかっていた。雨霧を潜り抜けた先に、大きな城門が見えた。


 ダヴィは雨に濡れた黒髪の頭を上げて、城門を見上げる。


「意外と大きい」


 フチを鉄で覆った木製の城門はまだ腐っておらず、門としてしっかりと機能しそうだ。城壁を見ても、ぺんぺん草一つ生えていない。捨てられてまだ間もないと見えた。


(誰かが掃除していたのかな)


「ダンナ、ここで何をするので」


 道中、騎士ではないと説明してきたことで、ライルとスコットは『ダンナ』と呼ぶようになった。不安げに眉尻を下げる二人に、ダヴィは答える。


「ここで隠れて、敵が撤退するのを待とう。僕は中を確認してくるから、ここで待っていてくれ」


「はあ」


 ダヴィは疲れ切った馬を励まし、城の奥へと進んだ。多くの平屋を抜けて、ひときわ大きい建物に行き着く。馬を降りて、ジョルジュを肩に担いだダヴィは、建物の扉を開いた。


 暗い部屋の中は、多くの長椅子が並んでいる。その時雷が鳴り、奥に大きな円をかたどった象徴を見つけた。正円教のマークだ。ダヴィは気づいた。


(ここは修道院だったのか)


 領主の屋敷らしき建物は見えず、周囲の平屋は修道士たちの宿舎であろう。中心には教会が建てられているのは、典型的な修道院の形だ。


(ただ、あの大きな城門と城壁は修道院らしくないな)


 ダヴィはジョルジュを長椅子に横たわせた。椅子に触れた際に、ジョルジュは顔を少ししかめたが、右腕を締める布を締め直すと、息がちょっと落ち着いたみたいだ。彼の長い黒髪が地面すれすれまで垂れ、水滴が地面に垂れている。


 その時、外から多くの足音が、雨音に紛れて聞こえてきた。


「なんだ?!」


 門に戻ると、多くのウォーター軍の兵士が続々と城に入ってきていた。


「こっちに逃げてきたのか」


 ダヴィの呟きを聞いて、ライルが首をかしげる。


「逃げてきたも何も、ダンナが連れてきたんですぜ」


「は?」


「みんな、ダンナについてきたんだ。そうだよな、ライル?」


「ああ。気づいていたと思っていやしたが」


 騎馬に乗って、山の上を指し示しながら駆けるダヴィを見て、多くの兵士が活路を見出して付いてきたのだと、ライルは説明した。ダヴィは自分の失敗に、うっと息を詰まらせた。


 彼の目論見もくろみとしては、数人で、無人の山の中の城に逃げ込む。そしてファルム軍が撤退した後に、こっそりと逃げ出すのだ。


 しかしながら、すでに城に逃げ込んだ兵士は百を超えるであろう。これでは敵軍にバレてしまう。


 どうしようと、俊巡しゅんじゅんしていると、今度は城門を荷台をつけた多くの馬車が潜り抜けた。それと一緒に来た兵士から声をかけられる。行軍中に見たことのある兵士だった。


「ダヴィ様!ご無事で」


「君は、輜重隊しちょうたいの。仲間はどうした?」


「それが、はぐれてしまいました。大事な物資を捨てることもできず、どうしようかと迷っていると、ダヴィ様のお姿が見えたので、こちらに」


「そうか……」


「ダヴィ様、ご指示を」


 ハッと気が付く。ここには、ダヴィをおいて、指示を出せる者がいない。周りを見ると、地面に座り込む兵士が彼を見ていた。数百の瞳が彼に向いている。


 十四歳のダヴィは、覚悟を決めた。荷台を覆う布を解く。多くの剣と弩と矢、そして食料が乗せられていた。


「けが人と食料は奥に! 動けるものは弩を持つんだ! あと、治療ができるものは、僕のところまで来てくれ!」


「ダンナ、あっしとスコットは出来ますぜ」


 振り向くと、ライルがそこにいた。


「本当かい?」


「本当ですとも。なあ、スコット!」


「カンタンなものだけ、出来るよお」


 ダヴィは二人を奥へと招いた。教会に入り、ぐったりしているジョルジュの前に連れてくる。


「働いてくれれば、僕が口添えをして、報酬を出す。頼むよ!」


「さすが、ダンナ! 話が分かる!」


「オレ、頑張る」


 ライルはどこからか持ってきた酒を取り出すと、スコットが一気にジョルジュに刺さる矢を引き抜いた。ウグゥ、とうめき声と血を噴き出した彼を気にすることなく、酒を口に含んで、素早く傷に吹きかけ、包帯を巻いた。手早い処方だ。


「こんなもんでしょう。後は血が止まるのを待つだけです」


「盗賊の時に覚えたかいがあったな、ライル」


「それを言うなよ!」


 ともかく、ダヴィはホッと一息ついた。懸念のひとつが解消された。


 しかし問題は次々と発生する。多くのけが人と一緒に、先ほどの兵士が飛び込んでくる。


「ダヴィ様! マクシミリアン様が来られました!」


「本当に!?」


 ダヴィは走って城門へと戻った。先ほどと比べて、逃げ込んでくる兵士の数はますます増え、五百は超えているかもしれないと感じた。誰しも疲れ切った顔をしていた。


 ダヴィは探した。その時、板に載せられた男が運ばれていく。マクシミリアンだ。


「マクシミリアン! 無事だったか」


「ダヴィ……」


 弱弱しく、彼は返事をした。彼の黒髪や小麦色の肌は、血や泥でべちゃべちゃに汚れている。


 ダヴィは彼の手を握ったが、顔を歪められてすぐに離した。血で真っ赤に染まったマクシミリアンの手から、何本か指が消えていた。


「ダヴィ……オレの、オレの指が……」


「マクシミリアン……」


 剣で戦うと、剣刃同士が合わさる、または、つばぜり合いをすることは、実は意外と少ない。戦いが進むにつれ、兵士たちは集中力を失い、剣できれいに受け止められなくなる。そのズレた剣先を受け止めてしまうことが多いのが、剣を握る指である。激しい戦いが怒った戦場の跡には、無数の指が落ちていることが多い。


 マクシミリアンも数え切れないほどの敵の攻撃を受け止めたのだろう。残った指も、奇妙に折れ曲がっていた。


 もう剣を握れない。


 彼は痛みではなく、悔しさから涙を流した。


「ちくしょう……オレはもう戦えないのかよ……くそ……うぅ……」


「……早く、治療してあげて」


 かける言葉が見つからず、ダヴィは運ばれていく彼を見送るしか出来なかった。


 そこへ、血相を欠いたライルとスコットが駆け寄ってくる。


「だんなぁ! 敵が来る!」


「すげえ、大軍だ!」


 ダヴィは急いで城壁の上に登った。


 もう夕方だ。周囲は黒い雲と横殴りになってきた雨で、すでに暗い。その光景の中に、ダヴィたちが登ってきた山道に沿って、近づいてくる炬火きょかの列が延々と続いている。


 金の川のようだ。


 これが敵でなければ、見とれていたかもしれない。今はただ恐怖しか感じない。ダヴィは息を飲む。


「すぐに城門を閉めるんだ! 全員、武器をとれ! 来るぞ!」

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