第44話『取り囲む咆哮』
敗走するウォーター軍とは対照的に、ファルム軍の本陣は戦勝の喜びに湧いていた。彼らにとっては快勝と言ってよい戦果だ。各所で、嬉々と戦果を報告する声が聞こえる。
この中で喜んでいないのは、この勝利の立役者、ヨハン=セルクスだけであった。彼は作戦室の中で、うろうろと歩きながら、報告を待っていた。
そこへ騎士が報告に訪れた。彼が口を開く前に、ヨハンが前のめりに尋ねる。
「レオポルトは捕まえたか?!」
「い、いえ、その情報はございません」
「クソッ!」
ヨハンはグレーの髪を逆立てていら立つ。レオポルトを捕まえるか、彼の死を確認しなければ、この戦いをした意味がない。ヨハンは再び、部屋の中を歩き回る。
騎士は戸惑いながら報告をつづけた。
「我らの追撃の結果、数千人の捕虜を獲得しました。ただ、この雨や日没の影響もあり、これ以上の追撃は無理だと判断しました」
「ダメだ」
「は?」
ヨハンは険しい表情で命じる。
「レオポルトを捕まえるまでは、追撃を続けろ。夜中も走り続けさせろ。ウォーター国の領土に踏み込んでも、必ず捕まえろ!」
「あ、はい。そのように伝えます。……それと」
「なんだ?!」
騎士は背筋を限界まで伸ばして、たどたどしく報告する。
「ここから数キロ先の廃城に立てこもった敗残兵がいるとのことです。いかがいたしましょうか」
ヨハンはそばにあった椅子を蹴飛ばした。自分と周りとの温度差に、彼はますます苛立った。
「そんなこと分かっているだろう! すぐに攻撃させろ! 全員殺してくるまで、帰ってくるな!」
「は、はいぃ!」
――*――
痛いと感じるほど、雨脚が強くなった。
しかし城に籠る彼らに、気にする余裕はなかった。彼らの目に映るのは、城壁を飛び越えてくる矢と、城壁を乗り越える兵士たちの白刃であった。そして無数の悲鳴と怒号が、豪雨の音と共に、耳に飛び込んでくる。
城壁の上に立つダヴィは、城壁を登ってきた兵士を蹴り落とした。かすかな悲鳴が下から聞こえてきた。そして彼はかぎづめ付きのロープを切った。
しかし隣から別の敵が登ってくる。きりがない。
(一体、いつまで続くのだろう)
ぼんやりとなりかける頭を振って、次の敵へと向かう。もう何人斬ったのかわからない。彼の周囲には敵味方問わず、多くの身体が転がっていた。うめき声がいたるところから聞こえる。
雨と共に、命が降っては消えていく。彼は死の中にいる。
ダヴィの後ろから襲いかかる敵がいた。そのわき腹を、隣から伸びてきた槍が貫いた。
「スコット!」
「ダンナァ、しっかり!」
体つきは細いと思っていたが、思いの外力があるスコットは、その敵を突き刺したまま、槍ごと城壁の外へ放り出した。そしてその行く先を確認することなく、地面に捨ててある剣を拾った。
(案外、素早い)
城の外から、一段と大きい喚き声が聞こえる。城壁に駆け寄り確認すると、巨大な木を複数の馬が引きずってきた。それを数十人の兵士が担ごうとしている。城門に叩きつけて、打ち破ろうとするのか。
「とめろー!!」
「あっしの出番でさあ!」
ライルがいくつもの壺を抱えてきて、その一つ一つに火をつけて、木を持ち上げていた敵兵に投げ込んだ。中には油が入っていたらしい。この雨にも負けず、一瞬で火の海となり、木を引いていた人馬は逃げていった。
「助かった、ライル!」
「ちくしょう! 乗り掛かった舟だ。お供しますぜ、ダンナ!」
ライルもまた、戦い慣れしているようで、すぐさま剣を取って他の敵に向かう。彼とスコットの働きは、他の兵士と比べて格段に良かった。
そんな彼らの活躍があっても、敵の攻撃は止まない。ライルがおこした火もすぐに消え、攻撃の波が城を襲う。
ダヴィは敵がかけてきたいくつもの梯子に火をつけながら、城壁の外を眺めた。こちらに攻めようと山道を登ってくる影は、一向に減る気配がない。息が切れ、酸素不足の頭ではふとこんな考えがよぎる。
(何もしなければ、楽になれるんじゃないか)
「ダンナ! 次が来ます!」
ライルの声に呼び覚まされる。ダヴィの顔のそばを、矢が飛びぬいた。
「クソッ!」
ダヴィは迫りくる現実の死に、本能的に抗い続けるしかなかった。
サーカス団の連中、妹たち、トリシャ、そしてシャルル様。彼の頭の中で、彼らの顔が浮かんではすぐに消えていく。
彼は必死に、生にしがみついた。
彼らにとって地獄のような時間の終わりを迎えたのは、突然のことであった。ライルがいの一番に気がつく。
「ダンナ! 奴ら、引き上げましたぜ」
ダヴィは城外を見た。先ほどまで壁を登ってこようとしていた敵兵の群れが、山道を下っていくのが見える。矢も射かけてこなくなった。
ダヴィはこの時になり、雨が止んだことに気が付いた。汗と雨でぐしょぐしょになった顔に付いた雫をぬぐう。
「助かっ……」
その時、外から空気を大きく震わす音が聞こえた。夜の闇を切り裂く、人の雄たけびである。
「うひゃあ!」
スコットが情けない声を出す。ダヴィもその声の大きさを聞いて、息を飲んだ。
少し前にダヴィたちが戦った平野に、夜空を照らす無数のかがり火の光が見える。これが敵ではなかったら、ただただ綺麗な光景である。
しかし、ダヴィたちにとっては死の宣告に近かった。
声を上げただけ、スコットはマシだったかもしれない。ダヴィを含めた他の兵士は、息を震わすしか体を動かせなかった。
ダヴィたちにとっての地獄は、まだ始まったばかりである。
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