第8話『騒がしい貴族たち』
「聖下。もうそろそろ」
「……もう少し」
日焼けしたトンボが街に下り、収穫したばかりの小麦のパンに
ダヴィはその中心、ロースの大聖堂を訪れていた。そして甲冑姿のまま、聖子女に挨拶をしていた。
そんな挨拶の時、ダヴィはいつも困惑していた。
「さすがに、これは……」
教皇軍に勝利した赤龍の戦いの直前から、聖子女はダヴィの身体に触れることが多くなった。最初は彼の手を握ったり、頬にすり寄せたりとしていた。ダヴィには恥ずかしかったが、聖子女は「儀式だから」と言い張って止めなかった。
しかし今日のは、もっとエスカレートしていた。
「そうか。こういう顔か」
「えっと……」
聖子女がベタベタとダヴィの顔を触っていた。正面に座り、まさしく手探りで顔の形をまさぐる。ダヴィは頬を赤く染めていたが、目が見えない聖子女には分からない。
(一体、どういう……)
隣にいたカリーナは何度も止めようとした。しかし聖子女が「儀式」と主張する以上、それを咎めるのは聖子女の名誉にかかわる。彼女は黙って2人を見ていた。
聖子女は彼の首筋や耳も触っていく。
「耳に穴が……変わったものを通しているな」
「金色の輪を通しています。その……昔、サーカス団に所属していまして、それ以来装飾でつけています」
「サーカス団? それは何ぞ?」
サーカス団の存在を知らなかった聖子女は、ダヴィの説明を聞く。そして民衆を楽しませる、と聞き、感心した。
一方で、サーカス団の実態を知っているカリーナはとても驚く。
「ダヴィ殿は貴族や騎士出身じゃなかったのですね。しかもサーカス団ということは……」
「ええ……そういう身分でした」
と奴隷出身であるとぼかして言う。聖子女が妙な沈黙の意味を尋ねると、カリーナはぼそぼそと耳打ちする。聖子女は頷いた。
「さぞ、辛かったであろう」
「今後はそのような者が生み出されないようにします」
以前も記述した通り、ダヴィは領内での奴隷売買を禁止した。そして奴隷になっている人々の買い取りを進めている。これが順調に進めば、奴隷という身分は無くなるだろう。
聖子女はその取り組みを褒める。
「貴族には無い発想だ。だからこそ、血が通っている政治が出来るのだろう」
「その代わり、貴族には嫌われていますよ。今回も反発が起きました」
ダヴィが現在ロースにいる理由は、南で起こった貴族たちを潰すためである。彼らはクロス国の復活を主張して、ダヴィに反旗を
その原因は当然、ダヴィの領地没収命令だ。
「ここで許してしまえば、彼らは増長するでしょう」
「では、彼らを滅ぼすのですね」
「はい。徹底的に」
ダヴィ軍はここから南下し、貴族たちを攻める。その軍の兵力は1万人。一方で貴族たちは2万は集められる実力を持っている。
「兵力は劣っていますが、
「そうか。自信があるのだな」
「この前、墓を建てたトリシャのためにも、勝たねばなりません」
ダヴィは眼力を強める。トリシャの遺体は教皇軍に荒らされることを恐れて、最初は山の中に埋めた。しかし参拝がしにくいため、赤龍の戦いの後、街の傍に移したのだ。この戦後処理で忙しいにもかかわらず、彼はわがままを通した。しかし全員が賛成してくれた。
そうやって移設した墓に、ダヴィは月に一回は参拝する。聖子女はトリシャという名を覚えている。
「死しても愛される。トリシャの魂はきっと太陽の国(天国)に昇ったであろう。この間参った娘は、そなたとトリシャの子か」
「エラのことですか。えーと、何と言ったらいいのか……」
「違うのか?」
と尋ねた時、ドアをノックする音が聞こえた。
「どなたですか?」
「オリアナ=イスルです……」
オリアナが普段通りの無表情で、開けた扉から入ってきた。そしてダヴィに耳打ちする。
「……兄様。お時間です」
「う、うん」
オリアナは意味もなく吐息多めに語りかけた。そもそもこの場面で内緒話をする必要がない。ダヴィは彼女の意図が分からず、顔をくすぐったそうにしかめるしかない。
そしてダヴィは聖子女とカリーナに別れの挨拶をする。
「それでは聖下、
「分かりました。ご武運を」
とカリーナが代表して挨拶を返す。ダヴィは出ていった。そしてオリアナは聖子女を
聖子女はクスリと笑った。
「面白い男よ」
「あのう、聖子女様。毎回毎回、ダヴィ殿に触られるのは、どういった意図があられるのでしょうか?」
カリーナはやっと尋ねる。聖子女は少し沈黙した後、こう答えた。
「余も分からぬ」
「分からない、ですか?」
「いつもその答えを探している」
カリーナは首を
彼女はもどかしさも感じつつ、次にダヴィと会う日を楽しみにするのだった。
――*――
貴族たちは激怒していた。この数百年守り続けた自分たちの領土・権威が、ぽっと出のダヴィ=イスルなる、どこの馬の骨か分からない者に奪われる。怒るのは当然だ。
「ダヴィは聖子女様を不届きにも独占しようとしている!」
と南部で最も実力を持つ貴族のシリル子爵が叫ぶ。彼の演説を、会議に出席した貴族たちが拍手する。シリル子爵は気炎をさらに上げる。
「教皇様もお怒りになっておられる! 我らに激励の書状を下された!」
彼が持つ手紙には、教皇から打倒ダヴィを勧める内容が長々と書かれていた。彼ら貴族は一か月前まで教皇を批判してダヴィにすり寄ったのに、ダヴィに手を払われて、また教皇支持に変わった。
なぜ彼らはこのような曖昧な行動をするのか。その理由の1つとして、決断が苦手だったことが挙げられる。先祖十数代にわたり、貴族たちは宮廷でしか生きてこなかった。王や宰相になるべき大貴族の顔色を伺うのが、彼らの仕事だった。特に異教徒が早い時期に力を失ったクロス国において、礼儀作法やお世辞が必須テクニックになった。
貴族たちは乱世での技術を捨てて、平時に特化した技術を身に着けた。
「いざ! 悪の枢軸・ダヴィを倒す!」
「「「おおー!」」」
気持ちよく声を合わせた貴族たちは、声が大きいシリル公に合わせただけだ。この時になっても、爵位の高い貴族の意見に賛同するだけだ。
「兵力もこちらの方が多い。こんな簡単なことに、なぜ早く気づかなかったのか」
「しかしダヴィの領土は北にある。勝った後、治めるのが大変そうですな」
と高らかに笑う貴族たちは、まだ理解していない。教皇も彼らを捨て駒として見ていることを。しかし彼らの危機意識は全く働いていない。
乱世に戻ったこの時代、
――*――
そんな彼らに代わって、乱世には新たな人材が登場してくる。特に陰で暗躍する、草食動物のごとき危険察知能力を持つ人物が現れる。
そこに性別は関係ない。
「この修道士……出入りが多い……聖子女様の近くに」
部下からの報告書を読む。その内容を確認すると、すぐに暖炉の中に破いて捨てた。パチリパチリと音が鳴り、炎の中で手紙が黒くしぼむ。
暗い部屋。ロウソクを点けず、彼女は窓から外を眺める。大きな月が浮かんでいる。
「何か……動く……」
彼女は感じた。これは理屈ではない。彼女は陰謀のにおいを嗅いだのだ。
そして彼女は茶色のショートヘアを撫で、兄に見せたことがない怪しい笑みを浮かべるのだった。
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