第29話『ワシャワ攻城戦 4』

 まるで城だ、とシンは思った。


 ワシャワ城を包むように、ダヴィの築いた壁が屹立きつりつしている。もはや外側からワシャワ城の城壁は見えない。救援が遅くなってしまったことをシンは悔いた。


「あれがダヴィの壁ですか」


 従軍してくれた貴族の一人が尋ねる。シンは頷いた。


「まるでこちらがワシャワを攻めるみたいですね」


 彼の軽口に、シンは苦笑いを返す。一般の女性よりも上背がある彼女が立っていると、一枚の絵になる。彼女の長い黒髪が、曇天の背景に映える。剣を腰にぶら下げる彼女の鎧姿に、兵士たちの目が釘付けになる。


 彼女は空を見上げる。


(雨が降ってくれれば良かったのだが……)


 夏に差しかかり、湿気を多く含んだ黒い雲が浮かぶ。この分だと一雨期待できたが、まだ水の雫は落ちてこない。


(雨なら敵の矢の勢いが減退するのだが、嘆いても仕方ないか)


 シンは兵士たちに振り返る。切れ長な目が、彼女を注目する彼らを捉える。彼女は少々声を張って命じる。


「進軍の準備を。ワシャワを救う!」


 その頃、ダヴィたちも戦闘準備が整っていた。ダヴィの天幕に集まった諸将に対し、アキレスが簡潔に状況を説明する。


「敵はシン=アンジュ率いる軍勢、約一万人。現在はワシャワ東南の森の中に布陣しています」


「よく、この短時間で集めたというべきかな。さすがはアンジュ家の当主」


「はい。ですが、これでお終いでしょう」


 とジョムニがダヴィに答える。ダヴィが尋ね返す。


「お終いとは?」


「この敵を潰せば、敵の主だった抵抗は無くなります。ワシャワ城も失望して、早々に開城するでしょう」


 ジョムニはダヴィから許可を貰い、諸将に配置を指示した。


「我々はここで待ち構えます。あとはミュールさんたちに、ここまで移動するように伝えてください」


「敵がここに来るのですか? 敵の一番の目的はこの壁を崩すことでしょう。東南から攻めてきて、そのまま近くの壁を崩そうとするのでは?」


 とマセノが質問するのに対し、ジョムニは予想通りだと言わんばかりに間髪入れずに答える。


「敵は二手に分かれるでしょう。一部隊は壁破壊を、もう一部隊はその部隊を守ろうとしてこちらに攻め寄せてくるでしょう」


 彼の言う通り、シンはその作戦を考えていた。


「まずは八千の兵力でダヴィの本陣へと攻める。だが、これはあくまで陽動だ。残りの二千で壁を崩し、ワシャワの命を繋ぐ」


「命を繋ぐとは、どういうことですか?」


「この兵力でダヴィ軍を片付けるのは無理だ。まずは壁を崩し、ワシャワに希望を持たせて籠城戦を継続させる気力を向上させる必要がある。その後、我々は再び味方を集め、次はダヴィ軍を上回る兵力で攻めて、一気に形勢を覆す」


 シンは冷静だ。この寄せ集めの軍隊で、しかも兵力は劣る中で、勝てるとは思っていなかった。そのためこの戦いを、ダヴィへの反撃の序章と位置付ける。


 それを聞いて、集まった貴族は安心した。彼らもこの軍だけで勝てる自信がない。


「さすがはアンジュ家の当主だ。しっかりとなさっている」


「莫大な恩賞も約束してくださった。味方し甲斐がある」


「…………」


 その約束した恩賞の件は、シンの出まかせだった。もはやこうでもしないと、貴族たちも参陣してくれなくなった。誠実さを第一に考えるシンにとって、苦肉の策だった。


 彼らの喜ぶ顔を見るたびに、心にトゲが刺さった感覚を持つが、シンは無表情を装う。


「この戦いに勝てば、陛下も東部の重要性を再認識されるだろう。さあ、行くぞ!」


 ――*――


 森から湧き出してくる敵の姿を確認して、ノイは地面から腰を上げる。彼が立つと、黒い山が急に盛り上がったように感じる。


「来た」


 短いセリフを吐き、彼はダヴィ軍の最前線に立つ。後ろには、顔をこわばらせた兵士たちが並ぶ。正円教徒が多く、中には聖女様に祈りの言葉を呟く者もいた。その兵士に、他の者が注意する。


「おい、ノイ殿の前だぞ」


「おっと。す、すみません!」


「…………」


 ノイは一瞥いちべつして、そのまま前を向いた。そして無言のまま、ハンマーを宙で振った。彼は真っすぐ敵を見つめる。


「目的を、果たす」


 射かけてくる矢を打ち払い、彼の足先は敵へと向かった。


「敵の虚をついたかもしれません」


 とシンの部下が言う。ダヴィ軍がすぐに矢合戦から歩兵突撃に移行したから、彼はそう判断した。


「我々が急に現れて統率が取れていません。もしかしたら我々の兵力を勘違いして、すぐに追い払えると考えているのかも」


「そう安直に考えるな。眼前の敵に集中しよう」


 とシンが言う通り、ダヴィ軍は兵を集めていた。徐々にウッド軍が押され始める。


ひるむな! 我々がここで奴らを釘付けにすれば、壁の破壊の邪魔が入らない。ここで粘るんだ!」


 ところが、釘付けにしたのはダヴィ軍も同じだった。頃合いを見計らって、ダヴィの本陣から狼煙が上がる。それに、森の中にいたミュールたちが反応した。傷だらけの顔でニヤリと微笑む。


「ようやく出番だ。俺たちがせっかく作った壁を壊そうなんて、つまんねえことはさせねえよ! いくぞ!」


 森に隠れていたダヴィ軍が、ウッド軍の別働隊に襲いかかった。その報は、すぐにシンの元に届く。


「なんだと? 敵の伏兵が!」


「我が軍は背後から襲われ、敗走しました。その勢いに乗じて、こちらに攻めてきます!」

「シン様、ダヴィ軍と戦っているこの状態では対応できません。このままでは挟み撃ちです!」


 シンは下唇を噛んだ。まんまとおびき寄せられたことを彼女は気づいた。しかし、ここで撤退するわけにはいかない。自分たちはワシャワの、そしてウッド国の希望なのだ。シンは自分の馬に乗る。


「ダヴィに一矢報いる! 全軍、前へ!」


 ウッド軍の攻勢が強まったことをダヴィたちは感じた。ダヴィは唸る。


「挟撃されてまだ耐えるか。しかもこちらに向かってくるとは……シン=アンジュ、あなどれないな」


「アンジュ家の力じゃないの、ですか?」


「彼女の強い意志を感じる。この劣勢を堪えるのは、彼女の資質だろう」


 と敵を褒めるほど、ダヴィには余裕がある。彼は隣のジャンヌに指示を出す。


「ミュールたちを退かせるんだ」


 ダヴィはわざと挟み撃ちをしているミュールたちの部隊を退かせた。すると、東南の道が開き、ウッド軍の退路が開けた。


 その途端、攻撃に集中していたウッド軍の意識が鈍った。シンの捨て身の攻撃命令から我に返った彼らの足が、その空いた方向へと向く。そして花弁が一枚一枚落ちるように、ウッド軍の崩壊が始まった。


「シン様! これ以上はもう……」


「まだだ、まだ終わっていない! 我に続け!」


 シンは周りの騎士たちを強引に引き連れ、自ら突撃した。ダヴィ軍の兵士がひしめく変幻に、血しぶきを上げながら突き進む。シンを戦端とした一本の矢となって、ダヴィの本陣へと向かう。


 その姿に、ジャンヌが眉をひそめる。


「あれは、まずいね」


「どうしたんだい? 十分に防げると思うけど」


「えっ、えーと、あの子ね、死のうとしているかも、です……」


「死のうとしている?」


「死に場所を求めている」


 ジャンヌは弓矢を持って、馬に乗った。


「とどめを刺してくる」


 スルスルと小高い丘まで駆け上ったジャンヌは、ゆっくりと弓を構える。そして矢を指で挟み、弦を引き絞る。


 彼女の細い息がフッと止まる。その瞬間、矢が宙を越えた。


「う゛っ」


「シン様!」


 シンの右肩に深々と突き刺さる。引き抜こうとするが、揺れる馬上では力が入らない。やがて諦めて、腕をだらりと投げ出し、剣を左手に持ち替える。しかし右腕からは血を垂れ流し、重傷であることは明白だった。彼女と一緒に戦っていた騎士が、彼女の馬綱を掴む。


「これ以上は無理です。戦えません!」


「ふざけるな! ここで退けない。私は負けない!」


「再起を! 再起を望まれよ! 最後に勝てばいいのです!」


 と叫び、騎士たちはシンの馬の首を南へと向けた。そして怪我をしたシンを取り囲んで、敵中を戻っていった。その最中、無数の槍が突き出され、その度に騎士たちが一人、また一人と餌食になる。


 自分のために死んでいく部下を見ながら、逃げるしかない。彼女は血を含ませたと思うほどの熱い涙で頬を濡らした。何度も噛み千切った唇からは血が垂れ流れる。


「クソッ、クソッ、クソッ!」


 彼女の撤退によって、ウッド軍の崩壊が加速する。その様子は、ワシャワ城の高台からも確認できた。さらにダヴィ軍の勝利の声が、ワシャワ城を包囲する壁から聞こえてきた。


 ワシャワ城内の嘆きは、凄まじかった。


「終わってしまったのか……」


 ウッド王も、貴族たちも、庶民たちも、助けが来ないことを理解した。ため息と涙が場内を充満し、人々は頭を抱えて座り込む。


 ウッド国の最後の時が始まった。

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