第20話『祭りに隠した刃』

 クロス国の主要穀物は小麦である。毎年、山の雪が融け始めた頃、種まきが行われ、晩夏に収穫される。山のすそまで麦畑が広がるのが、この地方の昔からの風景だ。山岳部に住んでいる異教徒の襲撃が少なくなったことで、耕作面積が徐々に拡大していっている。


 そんなこの地方において、種まきの季節になると、農民たちを中心に祭りがおこなわれる。


 『祈年祭きねんさい』という、秋の収穫祭と対になる、五穀豊穣ごこくほうじょうを願う祭りである。


「随分と集まっているな」


 城の窓から、侯爵・カルロ=ナポラが呟く。昼下がりの街の広場には、黒山の人だかりができている。あいにくと、今日は曇り空だが、それに負けぬ人々の陽気な声が窓越しに聞こえる。


 側近がおべっかを使う。


「カルロ様のご威光の賜物たまものですな。カルロ様が宮廷で出世なさるのが、民草も誇らしいのでしょう」


「ふん。奴らに儂の苦労など、分かるものか」


 ナポラという歴史ある都市を継承した自分には、この国で偉くなる義務があると信じている。このクロス国は百年前の内紛で、王権がいちじるしく弱体化した国である。有能な自分が引っ張っていかないと、国自体がおかしくなる。


 だからこそ、連日パーティを開いては、自分の与党を拡大する。その勢力を背景に、この国を正しい方向に動かすのだ。その心労で禿げかかった頭も、パーティーの付き合いで肥えた腹も、国を想う気持ちの裏返しである。


 カルロは祭りの様子を見ていると、そんな自分の崇高な思想を民衆が全く理解していないように感じ、ぐつぐつと心が煮えたぎるようだ。民衆の陽気な声を聞いていると、口の中が苦くなる。


 カルロは側近に命じる。


「明日、布告を出せ。税をしぼり取るのだ」


「え?しかし……」


「祭りを開くほどの余裕があるなら、しっかりと取れることだろう。奴らが無駄に使う財を、儂の覇道のために使ってやると、伝えるのだ」


 ――*――


 その祭りの群衆を見ているのは、彼だけではない。車いすの少年が、広場近くの二階のベランダから眺めていた。


 後ろから声がかかる。


「ねえ、ジョムニ。こんなことをしていて、大丈夫なの?」


「ええ、心配はありませんよ、ジャンヌ……さん?」


 ジャンヌは顔にキツネのお面をつけ、食べ物が山盛りになった皿を持って、もしゃもしゃと口を動かしていた。さらに屋台で買ったのか、茶色の太い三つ編みの上に、新しいバンダナを巻いていた。ジョムニは呆れる。


「少し気が緩みすぎですよ」


「なっ、なんだよ!遊んできてもいいって言ったのは、あんたじゃないか!」


「程度というものがあります。この後の段取り、忘れないでくださいね」


 ジョムニの作戦は、この祭りでカルロもその部下も油断させ、その隙に農民たちを先導して、城を制圧するものだ。この方法以外に、大勢いるカルロの兵士を騙して、奇襲することは出来ないと判断した。


 幸いにもダヴィが直接交渉して、農民・商人・職人たちは味方に引き入れている。ジョムニとルツが調達した武器も密かにいきわたっている。


 ジョムニがここから観察していると、兵士たちも祭りに参加して浮かれていた。広場近くの家々に隠した武器の存在には全く気付いていない。


 準備は万端だ。


「あとは周辺から援軍が来ないことを祈るばかりです」


「問題ない」


「うわ!」


 ジャンヌが急に現れたオリアナを見て驚き、皿を落としそうになる。ストレートの長い髪の間から、彼女の無表情な顔がのぞいた。


「このカルロという男……周りからは嫌われている……主導権を取ろうとするのが気に食わないみたい……だから援軍は来ない」


「ああ、そうですか」


「そう……だから、兄様が勝つ」


 ニヤリと笑った彼女の顔を見て、ジョムニとジャンヌは背筋が寒くなった。彼女は独自の手法で、見事に周辺領主の動きをつかんでいた。さらに、その領主たちの弱味もつかんでおり、この数か月で行ったとは思えない情報を手に入れている。


 この能力には、兄のダヴィも姉のルツも舌を巻く。


『オリアナは本当に鋭いからね。僕の秘密すべてを知っていると思うこともある』


『オリアナに逆らったらダメよ。あの子が怒ると、どんな手を使っても制裁してくるから。学院にいた頃も、何人の教師や生徒を社会的に破滅させたことか……』


 オリアナは、カゼータでエラと一緒に留守番しているルツと共にダヴィを支え、彼女は諜報・調略・公安活動を一手に担うことになる。その手腕は他の追随ついずいを許さないほどであった。


 ――『陰姫』。彼女を恐れる敵国や国内から、そのように呼ばれることになる。


「兄様の国……ふふふ……楽しみ」


「そ、そう……」


 ジャンヌの顔についているお面のキツネまで、彼女を恐れて、表情をこわばらせているようだった。ジョムニは気を取り直し、青いキャスケット帽をかぶり直して、その様子を再び見つめる。


「このまま、民衆たちの心が揺るがなければ、うまくいきます」


「あー、そうだね。怖気おじけづかないといいけど」


「民衆のリーダーの何人かの、秘密を握っている……それを、使う?」


「いいから、それは!」


 ジャンヌはキツネのお面をオリアナにかぶせて、不穏な口を閉じさせた。しかしオリアナがかぶると、それはそれで不気味で、ジャンヌは何度もお面の位置を調整していた。


 ジョムニは2人のやり取りに軽く笑って、今度は空を眺めた。厚い雲が空を流れている。


 天気が悪くなると、人々の気分も下がる。些細ささいなことだが、この天候がこの作戦の成否を握っていると、ジョムニは心配せざるを得なかった。


(このまま雨が降らないといいのですが)

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