第15話『呪いの子の父』
天気が荒れてきた。窓の外で少なくなった枯葉が舞っている。空がまだら模様に汚れてきた。こういう時は船の事故が起きやすいのだが、とイサイは心配しながら、子供たちに向き直った。その中でも、ダヴィに目を向ける。
彼のオッドアイをまじまじと見つめた。そして昔のことを思い出す。15年近く前のことだろう。
「当時、私はミーシャと再婚しようとしていた。その時、ミーシャの親族が著名な占い師を呼んだ。私の顔を見て、結婚の良し悪しを占おうとしたんだ」
その結果、イサイは合格だった。結婚すれば、死がふたりを分かつまで、愛し合うと言われたそうだ。イサイとミーシャはホッとして喜んだ。
ところが、イサイに引っついていたダヴィを見た時、占い師の表情が変わった。ダヴィの顔を震える指で指し、言い放った。
『これは、世界を混乱させ、世界を滅ぼす!呪われた子ぞ!』
「私は
イサイの問いかけに、ミーシャは首を縦に振った。オリアナは非難する。
「お母様は……間違っている……」
「……私も最初はそう思いました。しかし、その男の左右異なる目に
「じゃあ、お母様……まさか、お兄様を奴隷として売ったのは……」
ミーシャは視線をそらしたが、それが答えだった。イサイは彼女をかばう。
「あの時、私の商売が危機に
この街では、債務超過者は犯罪であり、イサイも捕まる恐れがあった。自分と家族を守るためだと、彼は白状する。ダヴィも心の底では引っかかりながらも、理解はしていた。
「自分が売られなければならなかった事態だったと、理解しています」
「その後、商売を立ち直らせた私は、お前を買い戻そうとした。しかし、出来なかった」
「それは、僕と団長が拒否しました」
「……当然だろう。許してはくれないはずだ」
この当時、奴隷は人手が足りない農園か、船の漕ぎ手として買われることが多かった。どちらもきつい仕事である。当時幼かったダヴィがそんなところに放り込まれたらどうなったか、想像するに難くない。
だからこそ、ダヴィや団長は売った父親を許すことは出来なかった。
でも、とミーシャが言う。
「それで、良かったのよ」
「ミーシャ!」
「呪われた子と離れることが出来て、私たちの生活も良くなったわ。きっと、この男がこの家に不幸をもたらしていたのよ!」
金切り声を上げるミーシャに対して、さすがの温厚なダヴィでも
「ルツ、オリアナ。あなたたちも分かるわね。この男は不幸をもたらすのよ。世界を破壊するの。こんな男に、ついて行くなんて、言わないで頂戴ね」
先ほどと違い、お願いするように説得する。
ところが、彼女たちの反応は意外なものだった。2人とも笑い始めたのである。ルツはケラケラと、オリアナはクスクスと。ルツは笑いながら母親に言う。
「ますます、ついて行きたくなりましたわ」
「ルツ!どうして?!」
「兄様と、一緒に行く……」
「オリアナまで?!」
「これで決心がもっと固まりました。ありがとうございます、お父様。呪いの話をしてくださって」
「狂っているわ!」
「その通りです。狂っているのですよ」
ダヴィたちが唖然とする中で、ルツとオリアナは立ち上がって宣言する。
「確かに、私たちは狂っているかもしれない。女だてらに、危険な戦いに参じようというのですから」
「でも、この世界を変えたい……!」
「この狂った世界を変えるには、もっと狂わないといけないのですわ!」
そして妹たちは再び座ると、兄の両腕をそれぞれ抱える。
「その占いが本当なら、お兄様と一緒に、世界を滅ぼしてきますわ」
「あの時、兄様は奴隷になって、私たちを助けてくれた……今度は、私たちが助ける番……」
「っ!……あなた!なんとか言ってちょうだい!」
娘たちの言い分に、これ以上反論する言葉が分からず、ミーシャがイサイに助けを求める。イサイは冷静に彼女たちに尋ねた。
「この世界は、狂っているかね?」
「不平等な制度、貴族に有利な法律、聖職者たちの特権……挙げればきりがありませんわ」
「ナポラもそう……兄様が助けにいくところこそ、この世のおかしいところが集まっている……」
「皆さんはそれを知っておきながら、目を背けて日々を過ごしているだけですわよ」
「……賢くなり過ぎたか」
イサイは立ち上がった。そして、まだ話していないダヴィに声をかける。
「ダヴィ、ベランダに来てくれるか。2人で話がしたい」
――*――
水路に面したイサイの屋敷からは、ゆっくりと進む小舟が見えた。1人の漕ぎ手が立ちながら竿を動かし、客を運んでいる。天気が悪くなってきたこともあり、急いで運んでいる様子がうかがえた。
強い北風に身を縮めながら、2人はベランダのへりに手をかけて並んだ。もう少し太陽がかたむいたら、吐く息が白くなるだろう。
イサイはダヴィに聞く。
「お前も、この世界がおかしいと思うか?」
「……はい。思います」
ダヴィ自身が落ちた奴隷という身分。間近で見た庶民の苦しい暮らしぶり。そして正しいことをしようとしたシャルルの横死。この世にはあまりにも多くの不条理が渦巻いでいる。
それらを説明したダヴィに、イサイは首を振った。
「私はこの世界が間違っているとは思えない。理想は結局、妄想の類に過ぎない。辛い現実に折り合いをつけて、なんとかやりくりしている。それが人生というものだ」
イサイも現実の壁に何度もぶち当たった。若い頃の過酷な
だからこそ彼には、ダヴィたちの考えが
イサイは1人の男として聞いた。
「お前は何がしたいのだ?」
ダヴィは水路に目を向けた。水路の上を行く船には、楽しく会話している親子の姿があった。
「……僕は、全員が楽しく暮らせる世界を望むほど、能天気ではありません。現実は厳しく、人を何度も打ちのめすことを、今までの人生で学びました」
しかし、とダヴィは、空を見上げる。流れる雲の合間から、かすかな太陽を見つける。
ダヴィは人間の可能性を信じていた。
「人は何度も立ち上がれます。ただし、チャンスがあればです。そのチャンスすら、今の世の中は潰してしまっている。人の挑戦を歓迎する、僕はそういう国を作りたいのです」
「…………」
シャルルも絶対君主となり貴族の力を削いで、才能ある者が活躍できる国造りを進めようとした。その想いを、ダヴィは受け継ぎたいのだ。
イサイは黙って、息子の顔を眺めた。彼の呪われているはずのオッドアイが、きらきらと輝いて見える。
彼はようやく分かった。
(ああ、私は息子が
イサイは頷く。数回頷く。彼の想いを噛みしめる。
「……行くといい」
「え?」
「ルツとオリアナもつれて、行きなさい。ミーシャは私が説得しよう。当面の資金も用意する」
「イサイ様……」
「その代わり、だ」
イサイは先ほどの船の上の家族を思い出す。もう行ってしまったが、彼らのあの笑顔は心に残っていた。
「……いつか、私のことを許してほしい。父と呼んでほしい」
「それは……」
「私にもチャンスをくれないか?ハハハ、厚かましいことだろうと思うが、それまで、私はここで頑張るよ」
イサイ=イスルは、このフィレスの地で有力な商人として名を残すことになる。当時の画家が描いた商人たちの肖像画の端に、彼の真面目な顔が描かれている。彼はダヴィが天下人となった後も商人を続け、引退後もダヴィを頼ることなく、自分の財産のみで生活し続けたという。ダヴィから父と呼ばれたかどうかは、この先の物語で語るとしよう。
ミーシャ=イスル。彼女はこの先もイサイを支え続けることになる。歴史書には、ダヴィ王を売った悪女と書かれることが多い。彼女は生涯、娘たちを連れ去ったダヴィを許すことはなかった。しかし夫への終生の献身的な支えは、称えられるべきものである。
彼らもまた、この時代を生き抜いた、立派な人物であったことを、記しておきたい。
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