第2話『小さな靴磨き』


 まだ火薬が人を殺すほどの威力を持たなかった当時、この世界は7つの国に分かれていた。


 各国は小競り合いを繰り返しながらも、数百年前に定められた国境に甘んじていて、その形を変えようとしない。権力者たちは自身の利益だけを気にして、豊かになりつつある民衆は変化を待っていた。


 革命を求めている。そんな時代であった。


 ――*――


『……ウォーター国の首都であるパランという街は、活気という名の騒々しさと、色とりどりに並んだ屋台の商品で出来上がっている。大陸西部における最大の交易町であるこの街は、北のソイル国や南のヌーン国から絶えず商人たちが入ってくる。往来には人が絶えず、それを狙うスリも多い。治安は悪く、スラム街も存在するが、それらに目をつむっても良しとするほど、市場が出す熱気は刺激的である。冬の寒気でさえ、この熱気に負けるのか、この街に雪が積もることは少ない。人々はパンをほおばりながら、時間を惜しんでせかせかと職場へ向かっていく……』(アルバード2世旅行記より抜粋)



 ウォーター国第三王子・シャルルは、肘枕をついて、窓の外を眺めていた。


 石畳の道をガタガタと揺れながら走る馬車の中、金色の長い髪の毛が、彼の表情を半分覆い隠している。


(美しい姿だ)


と、馬車に同乗していた男爵・アルマ=リシュは眼鏡の奥で感じる。


 窓から差し込む春の光に照らされる彼の茶色い目とウェーブした金髪は、宝石のような輝きをたたえている。まだ16歳だというのに背は高く、こうやってアンニュイに悩む姿は、絵画に描かれている人物のようだ。同じ黒いマントと伝統の紺の襟詰めの礼服が良く似合う。


 知らない人がこの姿を見れば、美女と間違うかもしれない。


(シャルル様が本当に女性であったら、こう悩むこともあるまい)


 この美貌に女性たちは当然、夢中になるだろう。彼に近習する息子の話を聞くと、恋文はひっきりなしに届くという。でも「シャルル様は相手にされていません」らしい。


(色恋ごとは苦手か、あるいは政治に夢中なのか。……おそらく、後者だろう)


 シャルルが唐突に口を開いた。


「におうな」


 アルマはぎくりと狼狽ろうばいした。昨日、娘に抱き着こうとしたら「お父様、くさいです」と言われ、40代になって薄くなった髪と肥えた腹と共に悩んでいた。アルマは思わず、自分の身体のにおいを嗅いだ。


 その姿を見て、シャルルは笑った。からりとした笑顔には、まだ幼さが残っている。


「違う違う。におうと言ったのは、先ほどの会議でのことだ」


 アルマは安心した。それと同時に、彼の意図を把握する。


「リヨンヌ公ですか」


「ああ、ファルム国の非礼をかばうあの姿、疑ってくれと言っているようなものだ」


 正円教への寄付金が通年よりも少なかったことに、隣国のファルム国が叱責の使者を送ってきたのである。正円教の祭司教皇から言われるならまだ分かるが、それを対等な関係であるファルム国から言われる覚えは全くない。


 この無礼への対応を検討している会議において、ファルム国の使者を捕虜にするなど強硬論が相次ぐ中、ファルム国と領土が近いリヨンヌ子爵が一人だけ反対してきたのだ。脂ぎった大きな体を動き回して、大声で反対を唱え続け、とうとう会議は結論を出せぬまま流れてしまった。


「領土が近いとはいえ、ファルム国とリヨンヌ公の領土はビレン山脈に分かたれています。関係が悪くなっても、すぐに攻められる位置関係にありません。あのような態度をとれば、国内での立場が悪くなるのは明白。その方がリヨンヌ公にとっては損になるはず」


「…………」


「それが分からないほど、リヨンヌ公は若くありません。一体、どういう意図があるのか」


「……少し、歩くか」


 シャルルは御者に合図を出して馬車を止めさせ、さっさと降りてしまった。アルマは驚かず、彼についていく。


 考えに煮詰まったら、街を歩くのが彼の癖だ。いつも護衛するモラン=ヴァイマルには危ないからと怒られているが、その彼は今日はここにいない。アルマは(少しだけなら良いだろう)と自分を納得させ、御者と、馬車の後ろに控えていた護衛の騎乗兵たちに、後からついてくるように言い渡した。


 彼らが降りたのは、店が集まっている中心街とは少し離れた場所である。周りには貴族の家が多く、この街では珍しく静けさをたたえた区画だ。


 しかし商人がいないというわけではなく、道の端には露天商が店を広げている。


 シャルルはアルマを連れて歩き始め、先ほどの会話を続けた。


「考えられることは一つだ」


「はい、リヨンヌ公がファルム国に通じているとおっしゃられるのですね」


「だが、証拠がない」


 石畳の道のくぼみに、水たまりができている。昨日、通り雨が降ったことを思い出したアルマは、同時に、この後シャルルの父親である国王と謁見することを思い出す。気が付けば、シャルルの革靴に泥が付いていた。


「シャルル様、靴に汚れが」


 ちょうどよく、道の端に二人の靴磨きがいた。白髪交じりの髭面の男と、小さい男の子だ。父親と息子だろうか。靴を乗せる道具を目の前に置いて、敷布の上に座っていた。


「磨かせながら話しましょう」


「そうするか」


 シャルルたちが彼らの前に来ると、子供がテキパキと椅子を取り出して座るように促した。シャルルは初老の男の前に座り、アルマは子供の前に座った。


 ところが、男と子供は自分たちの座る位置を入れ替えて、シャルルの前に子供が座った。


「おい、靴磨き。逆だ逆」


 アルマが文句を言う。アルマの方が倍以上は歳上だが、先ほどの二人の仕草で、シャルルの方が身分が高いことは見抜いてほしいものだ。


 ところが靴墨を用意していた男は、バツが悪そうに、眉間にしわを寄せてこう言った。


「情けない話ですが、この子の方が上手いものでして」


「なに?」


 灰色の服に身を包まれているところを見ると、どこにでもいそうな貧しい少年だ。肌は日焼けしており、やせている。


 他の子と違うのは、両耳にを付けていた。耳たぶの中心に開いた大きな穴から、それがぶら下がっている。シャルルはその姿に興味を惹かれる。


 まあ、見ていれば分かります、と男と子供は靴磨きを始めた。


 しばらくして、アルマは男が正しいと分かる。


(なるほど、上手いものだ)


 少年は丁寧にシャルルの靴についた埃を払い、そして靴墨でシャルルの靴をコーティングしていく。その手つきはよどみがない。そして適度に靴墨を伸ばすと、迷いなく荒い目の布でこすり始めた。その仕草はまるで宝物を扱うように優しく、シャルルはマッサージを受けているかの如く、気持ちよさそうに目を細めた。


 そして少年はあっという間に、もう片方の靴に取り掛かっていた。磨き終わったシャルルの靴は、新品の時以上の輝きを放つ。


(私の従者でも、ここまでは出来ないだろう)


「アルマ、ところで先ほどの話だが」


 少年の素晴らしい仕事ぶりを眺めている最中、シャルルに声をかけられた。あの話の続きをここでするらしい。


「シャルル様、このような往来でする話ではありません。目の前の彼らが間者であったら、いかがされるおつもりですか」


「リヨンヌ公がここまで諜報網を広げている男なら、勝ち目ははなからないさ。心配するな」


 なあ、とシャルルは、靴磨きの二人に同意を求める。男は戸惑いながらもへつらう笑みを浮かべたが、少年は一心不乱に靴を磨き続けていた。


(相変わらず、自分に自信がありすぎるお方だ)


と、アルマは危惧きぐする。しかしシャルルは、そんなことを思われているとは知らず、会話を続けた。


「リヨンヌ公について何か噂話はないか? 戦いに備えている形跡や、城壁を修繕したとか?」


「うーむ、そのような話は知りません……そういえば、食糧庫を増築したとは聞きました」


「それだけか。それではなんとも……」


 判断しがたい、とシャルルが言い加えようとした時、足元からぼそりと小さな声が聞こえた。


「ヘンなの」


 シャルルとアルマがギョッと、足元の少年に注目する。彼はいつの間にかシャルルの靴を磨き終えており、道具を箱にしまうところであった。


 驚いたのは隣の男も同様だった。


「こらっ! お客さまの話に割り込むんじゃねえ」


 自分の呟きが聞こえてしまったことに、少年は首をすくめて身を縮めた。再び怒ろうとする男を、シャルルが止める。


「構わない。少年、なぜ変だと思ったのか」


 少年は話してもいいものかしばらく悩んでいたが、シャルルに再度促されると、恐る恐るこう言った。


「だって、小麦の収穫は早くても二か月は先でしょう。今は早すぎます」


「それがどうした」


「食糧庫を大きくするってことは食糧が増えたからでしょ? こんな時期に急に食糧が増えるなんて、変なことだと思ったから。“誰かに貰わないと”増えるはずなんてないのに」


 シャルルの頭に電気が走る。アルマも「あっ」と声を漏らして事態を理解した。


 その増えた食糧は、ファルム国からの賄賂かもしれない。


「アルマ、すぐにリヨンヌ公の領土へ来た荷馬車を調べてくれ。特にファルム国から来たものを」


「はい!」


 アルマが騎乗兵に指示を出している中で、シャルルは金色の髪が顔にかかるのも気にせず、体を前に傾けて、この少年の顔をまじまじと見た。


 黒髪のくせ毛のボブカット。両耳に大きな金の輪がぶら下がり、そしてよく見ると、それぞれの目の色が違うようだ。


「あの、なにか失礼なことを」


 少年が恐々と尋ねる。先ほどの答えが無礼だったのかと怖がり、小さな黒い頭が震えている。


 シャルルはこの少年に興味を持った。たとえ小麦の収穫時期が分かっても、幼い子供がその違和感に気が付くだろうか。普通の子供ではない。そう感じた。


「少年、名前は?」


 小さな男の子は、シャルルを見上げて答えた。


「ダヴィ……ダヴィ=イスルです」


 こうして、この大陸を初めて統一した偉大なる『創世王』は、ちいさな靴磨きとして、歴史上に登場した。金歴540年の当時、彼はまだ10歳であった。


 この出会いが、この後の数百年の歴史を変えてしまったことを、まだ誰も知らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る