第2話『不安と混乱』
「お兄様は出てこない?」
食卓に座るルツは、ダヴィを呼びに行ったオリアナに聞く。彼女は首を振った。
「だめ……返事もない……こんなの、はじめて」
「そう……これで、丸半日。閉じこもりっきりだわ」
ダヴィの
無理もないと、ルツも頭を左右に振る。
「最愛の人を失ったのです。ショックなのは、当然のこと」
「ルツは……食欲ある?」
「私だってありませんわ」
料理人が用意してくれた簡素な料理を前に、気が重い。スープにスプーンを少し
もう1人、食卓に現れた。ジャンヌだ。
「あなた、大丈夫ですか?」
「……正直しんどいよ。でも、人と会ってしゃべる方が楽だから」
そう話す彼女の小麦色の肌に、涙の跡が付いている。茶色の三つ編みは乱れ、ついさっきまでベッドで横になっていたことを表していた。
「さっき、廊下でエラに会っちゃった。心配されたよ……」
「賢い子だから、この異変を察しているかもしれないわね」
病人同士のように、か弱い口調で話す2人の耳に「おかわり!」と大きな声が聞こえた。ルツはムッとして、そちらに皮肉を言う。
「こんな時に、よくもまあ、そんなに食欲がありますこと」
ライルとスコットが口いっぱいに食事を頬張った顔で、ルツの方を見る。反省するかと思いきや、意外だと言わんばかりに、反論する。
「おいらたち、怒ってんだ!」
「え?」
「そりゃそうだろ! ダンナの大切な人が殺されたんだぜ、ルツ嬢ちゃん。これから弔い合戦するって言うのに、腹が減ってたらどうにもなんねえだろ?」
「と、弔い合戦?!」
「教皇に、蹴り入れてやるんだ」
と怒りながら、2人はむさぼり続ける。ルツは彼らの言葉に驚いて、立ち上がる。
「そんな、あなたたち、勝てると思っていますの? この世界の大半が正円教を信じて、教皇に味方しているというのに。この世界を敵にまわすつもりですか?!」
「……理屈じゃねえんだよ」
ライルがコップの水を
「男っていうのは、馬鹿な生き物なんだ。好きな女がぶっ殺された。命をかけるには十分すぎるほどの理由さ」
「だんなは、男の中の男だ」
「そうさ! やると言ったら、やるんだ! そういう男に、俺たちは仕えているんだぜ」
いつもはのほほんとしている彼らの眼光の鋭さに、ルツやオリアナは息を飲んだ。
その隣では、少女の目に炎が灯った。
「あたいにも食事ちょうだい! 目いっぱいちょうだい!」
「ジャンヌ!」
「あたいだって、この馬鹿の一味さ。そうだよ、簡単なことじゃんか。トリシャの仇は、あたいたちが討たないで、誰がやるのさ! 世界が相手だっていうなら、世界の額にあたいの矢を撃ち込んでやるだけだよ!」
がむしゃらに食べ始めたジャンヌを見て、ルツのお腹がぐうと鳴った。顔を赤らめる彼女に、オリアナが微笑む。
「ルツのお腹も、バカ……」
「言わないでくださいまし!」
「私も、兄様のために、バカになる……」
食事をとり始めたオリアナに対して、ルツはハアと大きなため息をついた。
「ほんと、バカばっかり」
とルツは言ってから、再びスプーンを取って、スープを飲み始めるのだった。
――*――
ナポラ城の一室。ここに三人の姿があった。ルフェーブとスール、そして帰ってきたばかりのジョムニだ。ルフェーブは他の者に会わせる前に、ジョムニをここに連れてきたのだった。
ロウソクが灯る中、ルフェーブはここに集まる意図を説明する。
「ダヴィ様は
だからこそ、とルフェーブは強調する。
「比較的冷静な我々で、善後策を立てるしかない。……たとえ、苦汁を舐めることになろうとも」
教皇に反抗しないことを、暗に
「情けないこと。それでもついてますの?」
「下品なことを言うな。それなら、お前ならどうする?」
「……領民を危険にさらさないことこそ、領主のあるべき姿だと考えていますわ」
とスールが息を吐きながら言う。やりきれない気持ちが表れている。ルフェーブは眼鏡をかけ直し、彼女の意見に頷く、そしてもう一人の出席者に対して尋ねた。
「ジョムニ、この事態を予想していたか?」
と聞かれた少年に、いつもの快活さはなかった。車いすの上で頭をうなだれ、青いキャスケット帽が頭から落ちそうになっている。
彼は素直に首を振った。
「まったく……予想していませんでした」
「呆れた。それでも、この国の軍師を
「スール!」
スールは肩をすくめる。しかし彼女の言う通りだった。教皇との同盟を主導したのはジョムニであり、そのためにルフェーブを招致している。それが破綻した今、その責任はジョムニにあった。
ルフェーブは押し黙るジョムニに再度聞く。
「教皇の狙いは、この件でダヴィ様が怒って反抗してきたところを叩き、クロス国全体を自分のものにしようとしている。そうだろう?」
「それで、間違いないでしょう……その野心に、私は見抜けず……」
主君・ダヴィの最愛の人を殺してしまった。ジョムニは取り返しのつかない事態に、頭の中が混乱と後悔でいっぱいになっている。
教皇の狙いは見え透いていた。ダヴィが教皇の仕業と追及してきても、しらを切り通し、本格的に歯向かってきたところを叩き潰す。同盟した当初から、それを考えてきたのかもしれない。
スールは「それで」と尋ねる。彼女は冷静で、かつ前を向いている。
「これからどうしますか、軍師・ジョムニ。教皇の靴を舐めるか、それとも決死の覚悟で反抗するか。勝てる見込みはありますか?」
「……そんなの、ありませんよ!」
ジョムニが顔を上げて、キッと睨む。教皇権力の強大さは、ルフェーブの次に、彼が良く知っている。だからこそ、それを利用しようとしたのだ。
「教皇は正円教のトップです! 誰もが信仰している。彼が命じれば、国内の貴族どころか、他の国々が襲いかかってくる。そして領民たちも戸惑い、反抗してくるに違いない!」
ジョムニは叫ぶ。自分の戦略の失敗を、無残にも声を荒げて言う。
「我々の味方など、どこにもいない……!」
非情な見解を、ルフェーブもスールも苦々しい表情で聞く。反論できる余地はない。
スールはジョムニに尋ねる。
「では、あなたは、ダヴィ様に降伏を勧めるのですね」
「…………」
ジョムニは何も言わず、再びうなだれる。彼の細い体が震える。両足が使えず、誰にも才能を認められないでいたところを、ダヴィに拾われて、居場所を与えられた。ダヴィの信頼を失うことは、彼にとって、絶望だ。
ガタリと窓が鳴る。スールは外に目をやる
「雪ね」
しんしんと落ちてくる雪の粒が、暗闇に色を付ける。昼間には見えなかった雲が空を覆い、ナポラの城や町に白化粧を
世界は無表情に動いていく。何事もなかったかのように。
「寒い夜になりそうだ」
ルフェーブは信徒らしく祈った。月は見えずとも、聖女はこちらを見ていることを信じて。
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