第3話『聖女は笑う』
眠れない。絶え間ない吐き気に襲われるが、もう吐くものはない。ダヴィは鍵をかけた部屋の真ん中で、苦しみ続ける。
ロウソクを灯すことすら忘れ、真夜中、孤独に心を支配される。
脳裏に浮かぶのは、トリシャとの思い出だ。トリシャの笑顔。美しい姿。かわした冗談。エラと一緒に遊んだこと。誓い合った約束……。
そして、あの無残な姿。
(僕が、呼ばなければ)
教皇と手を組まなければ。この国を築かなければ。シャルルと出会わなければ。サーカス団に入っていなければ。
ダヴィは自分の人生全てを、否定していく。彼女に謝罪し続ける。
(僕がどこかで死んでいれば、トリシャは生きてくれた……)
うがああああ、とうめき声を上げる。頭をかきむしり、何度も何度も、額を床に打ちつける。枯れたと思った涙が、あふれてきた。
震える体を抱えるダヴィに、窓から光が差した。いつの間にか雪はやみ、雲が流れ、月が顔を出している。
月の光が一瞬、強くなった。
「……誰だ」
部屋の中に、自分以外の気配がする。ダヴィが顔を上げると、扉の近くに、人の足と、ドレスの端が見えた。暗がりに
こんな姿、誰にも見られたくない。今は1人にしてほしい。
「出て行ってくれ」
ところが、その足はゆっくりと歩き始め、こちらに近づいてくる。
ダヴィは再び、強く拒絶する。
「ほっといてくれ!」
その足は歩みを止めない。仕方なく、ダヴィはゆらりと立ち上がった。涙が乾いた頬の皮膚が、突っ張っている。
とうとう、その人は姿を現す。
「あなたは……」
白い女性。月明かりに照らされ、微笑む。髪の毛も、肌も、唇さえも、白く輝く。
ダヴィはこの女性を知っていた。籠城戦で苦しんでいた時や、進むべき道を見失っていた時、彼女はダヴィを
ダヴィの無言の問いかけへ答えるように、彼女の笑みが深まる。ダヴィは尋ねる。
「教えてほしい。僕は、なにを間違えた?」
白い女性は答える。外につもる雪のような、澄んだ、冷たい声だった。
「人は常に間違える。正しかったことなど、無い」
まるで自分は違うという言い方に、ダヴィは引っかかった。
「あなたは……人ではないのか……?」
女性の白い目が、うっすらと細くなる。
「人が生み出した幻想。太陽と月の間に見出した、救いと罰を求める、人の心が作り上げたもの」
「生きてはいないのか」
「人が望む限り、生き続ける」
「もしかして……聖女、さま……」
女性は答えない。だが、ダヴィはそう確信した。その上でもう一度、尋ねる。
「教えてください。なぜ、トリシャは死ななければならなかったのですか!」
聖女は首を傾ける。そしてダヴィのオッドアイを見つめて、ようやく答えた。
「それが、定め」
「定め……」
「あなたが選んだ運命」
ハッと、ダヴィは気づく。あの森の中で「国を作る」と言った時から、こういう運命が待ち受けていたのだ。やはり、トリシャを殺したのは、自分だった。
「あの時、道を間違えていなければ……」
ダヴィはまた膝から崩れ落ちる。平和に暮らす道を選んでいたら、運命は変わっていただろう。
ところが、聖女はもう一度首を傾けていた。
「なぜ、嘆く」
「え?」
「数多くある人の死のひとつ。あなたも殺し、奪ってきた命。なぜ悲しむ」
ダヴィは絶句する。確かに、ダヴィたちは戦場で多くの命を奪ってきた。それについて、罪の意識がないとは言えない。だが、同時に近くの者を慕い、愛してきた。
命を『完全に平等』に見る聖女の考えに、人らしさのない、おぞましさを感じる。ダヴィはふと、ある疑問を抱く。
「なぜ、僕の前に現れたんだ」
「…………」
「人の命が大事というなら、なぜ僕に平和に暮らす道を
そう尋ねた次の瞬間、奇妙な音が聞こえた。風が鳴るような、鳥が
それが、聖女の笑い声だと気づくまでに、しばらくかかった。
やがてその音が止み、聖女は微笑みを絶やさずに答える。
「楽しいから」
「た、たのしい……?」
「人が運命に翻弄され、苦しみ抗う様ほど、愉快なものはない」
カッとなり、ダヴィは立ちあがる。先ほど聖女と認識した女性を、睨みつける。
「どこが楽しい?!」
「人が感情をむき出しにして、短い人生をかけて、運命の中でもがく。その生き様が物語を
「そ、それが見たいのか?」
「お前たちの言うところの『趣味』というものだろう」
と言って、また奇妙な笑い声を発した。ダヴィは顔を紅潮させ、体が震える。
枕元に置いていた剣を抜く。それはシャルルの遺品、運命によって抹殺された、愛する主君が唯一残したものだ。
ダヴィは怒りに身を焦がしながら、その剣先を聖女に向ける。
「その口を閉じろ! 人の運命をもてあそぶな!」
「わたしが何もせずとも、お前たちは殺し合う」
「黙れ!」
勢いよく、ダヴィは剣を振った。しかし感触はなく、聖女は姿を消す。
ただ、声だけが部屋に響いている。
『ダヴィ。偉大な王になる者よ』
「うるさい!」
『この苦しみを耐え抜き、その道を進め』
「しゃべるな!」
『わたしはあなたを、ずっと見ている』
「黙れええええええええ!!」
無我夢中で剣を振ったが、家具や飾り物が傷つくだけだ。ダヴィが何度叫ぼうとも、聖女は語りかけてくる。
やがて笑い声だけが頭に響く。ダヴィには、自分の運命を笑われているようにしか、聞こえなかった。
――*――
「夜中、叫んでいた?」
空が白み始めた夜明け、ジャンヌはルツとオリアナに呼ばれて、ダヴィの部屋の前に来ていた。事情を聞くと、叱るように言う。
「なんで入ろうとしなかったんだよ。心配だろ」
「……怖かった」
「怖い?」
オリアナの言葉に、ルツも頷く。姉妹はお互いに肩を寄せ合っていた。
「あの声を聞いていると、お兄様がお兄様でなくなってしまうように感じて」
「…………」
ジャンヌは口をへの字に曲げる。トリシャが死んだと聞いて、まだ一日も経っていない。まだまだ、悲しみの真ん中にいるはずだ。
しかしながら、前に進まないといけないのだ。昨晩の食堂でその覚悟が出来たジャンヌは、意を決して、ダヴィの部屋の扉をノックする。
「ちょっと!」
「ダヴィ、入ってもいい?」
ルツに止められるが、構わず、彼女はドアノブを回す。
不思議なことに、鍵が開いていた。
「ダ、ヴィ……」
ジャンヌは部屋の中を見た途端、かけようとした言葉を見失う。ルツとオリアナも息を飲んだ。
部屋の中は乱れに乱れていた。傷がついた柱や家具。ボロボロになったシーツやカーテン。薄い光に映し出された部屋は、昨日とは一変してしまった。
その中心で、ダヴィはだらりと剣を持ったまま、立っている。
「ジャンヌか」
ダヴィの目が向いた。ジャンヌの後ろにいたルツとオリアナは、悲鳴を上げそうになる。
あれほどキレイだった赤と緑の目は、見たことがないぐらい、暗く濁っていた。
ダヴィは廃墟となった部屋に立ち、ぼそりと言う。
「僕は……俺は……」
一人称を変え、虚ろな表情のまま、話し出す。ジャンヌはこの時、彼が本当に気が狂ったと思ったと、後々回想している。
ダヴィは低い声で、言った。
「俺は、聖女を殺す」
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