第4話『王の決断』

「俺は、聖女を殺す」


 ダヴィは言い放った。この世で最も言ってはいけないことを。


 ジャンヌは口開いた。いつもと全く雰囲気の違うダヴィに、怖がりながら、声をかける。


「な、なに言っているのさ。あたいでも軽々しく言わないのに……」


 異教徒である彼女は、今まで正円教の教会に入ったことがない。部屋にある聖女像を無視して、毎朝、風の神に祈りを捧げている。


 そんな彼女でも、そのような過激な言葉は口から出さない。出してしまえば、聖女を信仰する人々からどんな仕打ちを受けるか分からない。


 ジャンヌはゆっくりと近づき、立ちすくむダヴィの肩を両手でつかむ。そして暗い目をする彼に、懇願するように言う。


「変なこと言わないでよ! あんたはダヴィ=イスルだろ。自棄にならないで、あたいたちを導いてよ!」


とジャンヌは叫び、ダヴィの胸に抱きつく。ルツやオリアナも決意して、彼に駆け寄る。幼い頃と同じように、両腕にそれぞれ取りついた。


「お兄様、ごめんなさい! そばにいられなくて」


「私たちも、味方だから……悲しみを、分かち合いたい」


「ダヴィ、トリシャはいなくなっちゃけど、あたいたちはいるんだよ。お願いだよ、元に戻って……」


 3人がダヴィにすがりつく。その姿は、自分の体温でダヴィの氷の心を融かすようだ。


 ダヴィは目をつむる。この世のすべてに抱いていた怒りや憎しみが薄れていく。その感情はやがて、片目から一筋の涙として零れ落ちた。


「ルツ」


「は、はい!」


「もう料理人は起きてるかな」


 ダヴィは優しい顔に変わり、3人に微笑んだ。


「お腹が減ったよ。食事にしよう」


 3人は喜んで、急いで部屋から出ていき食堂へと向かう。ダヴィは剣をしまうと、ゆっくりとその後を追った。


 彼の目はまだ鋭い。


 ――*――


 朝食後、ダヴィは全員を招集した。その命令を聞いた途端、彼らは電光のように素早く集まった。


 この会議で、彼らの運命が決まる。


「ダヴィ様」


 皆が集まるや否や、ダヴィより前に、ジョムニが口を開いた。昨日は寝ていないと見えて、目の下に隈を作り、脂汗をかいている。


 彼はこれ以上ないぐらい、頭を下げる。車いすから転げ落ちそうなぐらいに。


「私が失敗しました。教皇の考えを見抜けず、安易に同盟を組み、トリシャ様を……死なせてしまった。すべて、私の責任です」


「…………」


「いかなる罰も受けます! どうか、私を罰してください」


 ダヴィの胸にも去来するものはあった。ジョムニの心に油断があったのは、事実だ。トリシャの顔がまた浮かぶ。


「ジョムニ、顔を上げてくれ」


 ジョムニはおそるおそる、顔を上げた。そしてダヴィの顔を見た途端「あっ」と声を漏らす。


 ダヴィは笑っていた。悲しげに。


 ジョムニは反射的に、懐に隠していたナイフを抜いた。


「何をしているの!?」


 ルツが慌てて、自分の胸に突き刺そうとするジョムニの手をつかむ。ジョムニは泣きながら、叫んだ。


「離してください! こんな……ダヴィ様を悲しませて……私はもう……」


 アキレスが飛んできて、彼のナイフを奪い取る。ジョムニは車いすから転げ落ち、嗚咽をもらしながら、床に涙を落としていた。


 この時、ジョムニは理解した。自分の居場所や信頼といったことを自分は心配していたのではない。単純に、ダヴィのことが好きなのだ。彼に嫌われたくないから、あんなに悩んでいたのだ。


 アキレスも泣き出す。彼も一晩中、自分の責任を考えていた。ミュールにいくら慰められても、どんなに鍛錬して体を疲れさせても、心の傷は癒えない。


「ジョムニ、悪いのは俺も一緒だ! こんなことでは、俺の腕は、なんのために……」


 会議室にいる全員がうつむく。それぞれが軽重はあれど、自責の念を抱いている。


 ダヴィは床で泣き伏せるジョムニに言う。


「ジョムニ、君に罰を言い渡す」


 空気が一層重くなる。全員がダヴィに視線を向ける。ジョムニは涙を拭き、うつむいたまま、その言葉を待つ。


「なんでも、お受けいたします」


 ダヴィは全員に聞こえるように、ハッキリと言った。


「これから押し寄せてくる教皇軍から、時期が来るまで、守り抜く。その作戦を立てるんだ」


 会議室に衝撃が走った。ルツが立ち上がる。


「では、戦うのですか。トリシャお姉様の弔い合戦を?!」


 ダヴィは頷き、改めて宣言した。


「俺は教皇を倒す」


 それを聞いた者たちの全身の筋肉がこわばる。彼は自分の一人称を変えて、強い言葉で、決断した。スールがおそるおそる反論する。


「か、勝てますでしょうか?! だって、相手は正円教の教皇なのですよ。世界を敵にまわすようなものです!」


「このまま屈辱に耐えていても、教皇は次の挑発を仕掛けて来るだけだ。そうなる前に、こちらから行動する」


「それは予想されますが……先ほどの『時期が来るまで』とは、どういう?」


「ルフェーブ、こちらに」


 ダヴィは彼らの質問に答えず、ルフェーブを自分の傍まで呼んで、耳打ちした。ルフェーブの目が大きく見開かれる。


「ダヴィ様、それは……!?」


「…………」


 ダヴィは目をそらさない。彼は本気だ。ルフェーブは戸惑いながらも、左胸に手を当てて頭を下げる。


「……仰せのままに、動きます」


「頼んだ」


 ダヴィは全員に向き直る。そしてこれからの方針を伝える。


「今、ルフェーブに極秘の任務を言い渡した。彼が成功するまで、俺たちはこの国を守る抜く。想像を絶するほど、苦しい戦いになるに違いない。その覚悟が出来る者だけが、ここに残ってほしい」


「…………」


「トリシャは死んだ。これは誰が責任を取ろうが、覆すことのできない事実だ。俺たちは前を向く。俺自身もこれ以上は泣き言を言わない」


 一同が頷く。柔和な印象が強かったダヴィの新しい姿に驚きつつも、その方針を受け入れる。


 ダヴィはミュールを呼んだ。


「ミュール、君はこれからナポラの各リーダーたちに、この方針を伝えてほしい」


「は、はい! ただ……」


「君が懸念するように、教皇を恐れて、反発する者もいるだろう。それが普通だ。ナポラでそういう者たちが多ければ、俺たちは出ていくしかない。そして」


 ダヴィは続ける。


「君も反対するということなら、止めはしない」


「は?」


「君はナポラの民だ。俺はこれからナポラを危機にさらすことをしようとしている。それに反対するのは当然だ。ここから出ていっても、俺は受け入れる」


 ミュールに頭を殴られたようなショックが全身を貫く。思わず立ち上がり、その勢いで椅子が後ろにひっくり返った。


「……なに、言っているんですか」


 見る見るうちに、ミュールの顔が真っ赤になる。オールバックの毛先にまで、怒りがふき出してくる。


 ミュールはその感情を、鋭い言葉で表現した。


「冗談じゃねええ!!」


 ミュールは部屋を飛び出す。彼はイノシシのような勢いで、城外へ駆け出していった。

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