第5話『ミュールの叫びとルフェーブの決意』

 ミュールは数人の部下を連れて、怒りのままに城外へ飛び出していく。行く先は、広場だ。


 広場では雪がすでに清掃され、朝市が開かれている。人々の熱気と、吐く息で、もやのように白く彩られている。


 そこへ真っ赤な炎の化身が、突っ込んできた。


「聞け! てめえら!」


 部下に広場の中心へ木箱を置かせて、その上に立つ。そのミュールの姿に、民衆が集まってきた。


「どうしたんだよ、ミュール」


「なにかあったのかい」


 目を血走らせたミュールに、民衆は不安と興味を抱く。ミュールは睨みつけるように彼らを見渡し、事実を言った。


「ダヴィ様の結婚式は中止だ!」


「え? なんで?」


「ダヴィ様の婚約者が、殺されたんだ!」


「ええ!?」


 人々の動揺が走る。それを聞いて、ますます人が集まってきた。その中の一人が、ミュールに聞く。


「誰が殺したんだ?」


「……教皇だ」


「はあ?」


「教皇が、ダヴィ様の大事な人を、殺したんだ!」


 動揺が最高潮になる。口々に「なぜ」「どうして」と言い合う。口の悪いやつは、ミュールをののしる。


「ウソをつくな! 教皇様がそんなことをするはずがねえ」


「ジョークや酔狂で、こんなこと言うわけねえだろ!」


 グッと睨みつける。ミュールの傷だらけの顔の気迫に圧されて、民衆の半分は黙った。


 ミュールは推測を挟まず、事実だけを言う。


「ダヴィ様はかたき討ちをするつもりだ! 教皇に宣戦布告をする!」


 困惑する彼らに向かって、もっと激震を走らせた。人々は買い物かばんを取り落とし、口をあんぐりと開ける。それぞれの顔は青白くなり、怖くなって逃げ出す人もいた。


 指を立てて、ミュールは熱弁をふるう。


「ダヴィ様は男だ。婚約者が殺された復讐を必ずされる。ただし!」


 ミュールの身体が震えた。赤い顔をもっと赤くして、唾を飛ばしながら叫ぶ。


「ダヴィ様は俺たちを疑っている! 俺たちが裏切ると思っている!」


 それが我慢ならなかった。あれほど一生懸命戦ったというのに、ダヴィと自分たちの心は一緒ではなかった。


 ミュールは悔しすぎて、涙を流す。民衆は動揺を忘れて、その姿をジッと見ていた。


「ダヴィ様は俺たちにとって最高の領主様だ。そうだろ!?」


 彼らの大半が素直に頷く。ダヴィが来てから、生活は楽になった。以前のカルロの支配と比較すると、ここが楽園のように感じる。さらに、彼らの多くが教皇領の酷い有様を伝え聞いている。


「ダヴィ様はカルロの支配から俺たちを解放してくれた恩人だ! 俺たちはダヴィ様を見捨てるのか! 俺たちの救世主を追放するのか!」


 ミュールは叫ぶ。


「目を見開け! 悪いのは誰だ?! 自分のかせとらわれるな!」


 ミュールはもう一度、声を張り上げた。


「ナポラよ、勇気を示せ! 今こそ、本当に自分がやるべきことをやるんだ!」


 人々の心に熱いものがこみあげてくる。決して上手な演説ではない。しかし、彼の命を削るような叫びに、民衆の身体が震えてくる。


 彼らの中から「ダヴィ様万歳!」「ダヴィ様を助けよう!」と声が上がってきた。ミュールは再度問いかける。


「俺はこれから、正円教の司教のやろうを問い詰める。俺についてくる勇気はあるか!?」


 うおおおおおお!と地鳴りのような声が響く。今度は民衆が叫んだ。


 ミュールは右の拳を高く上げる。


「行くぞ、てめえら! 俺たちの正義のために!」


 ――*――


 朝の拝礼を終えたばかりの初老の司教が、外の騒音に驚いて、教会の玄関から様子をうかがった。彼は驚愕する。ミュール率いる大勢の民衆が、教会を取り囲んでいた。


「司教! 出てこい!」


 何事かと、司教は恐怖を感じる。だがミュールの気迫に、、このままでは焼き討ちされかねないと考え、怯えながら教会の外へ出てきた。民衆たちがすぐに取り囲み、司教は腰を抜かして地面に尻もちをつく。白い僧服が土で汚れた。


 正円教の司教を民衆が弾圧すること自体、司教は聞いたことがなかったし、当然、経験したこともなかった。


「こ、これは一体……」


「司教! てめえに聞きたいことがある!」


 ミュールが睨み殺すぐらい眼光を鋭くし、司教に尋ねる。


「ダヴィ様の恋人を殺した教皇と、そのかたき討ちをするダヴィ様、どっちが偉い?!」


「は? へ?」


「人殺しと、それに怒るダヴィ様、どっちが正しいかって聞いているんだよ!?」


 それだけ言われても、司教には全く理解が出来ない。ただ頭を抱えて、民衆たちの怒りを一身に浴びていた。


 その時、グレーの長髪が、飛び込んできた。


「ミュール! 止めてくれ!」


 ルフェーブが割り込んできた。よほど急いできたらしく、白い僧服に汗が染みこむ。そしてメガネについた汗の水滴を拭うことなく、司教の前に立ち、ミュールに自制を求める。


「こんなことをしても、意味がない! 彼は無関係だ!」


「無関係だと? ウソをつくな! 正円教の親玉が悪党っていうなら、こいつも悪党の一味だ! ここから追放してやる」


「聖女様への信仰は、人々に必要だ! 困難に立ち向かう時に、勇気をくれる。人生にいろどりを添える」


「じゃあ聞くけどよ、ルフェーブ!」


 ミュールは彼というよりも、彼の僧服を睨みつけて言う。


「聖女様はどっちの味方だ。ダヴィ様だろうな?!」


 彼の声に、民衆たちが後押しする。彼らの視線は、今度はルフェーブに向く。


 ルフェーブは背筋を伸ばしたまま、ミュールたちに主張する。


「……聖女様はどちらの味方でもない」


「なに?」


 ルフェーブが信じているのは、聖女様だけではなく、聖女様を熱心に信仰する民衆だ。彼はんだ目で、自分の信念を伝える。


「聖女様はこの世界と人々の運命を定められた。その運命がどのようなものになろうと、聖女様は微笑まれるだけだ」


「なら、そこに救いはないのか?!」


「救いとは、聖女様から与えられるものではない! 人の間で、救い、救われるものだ! 我々は聖女様が決められた運命の中で、目いっぱい生きる権利を与えられている!」


 ルフェーブはもう一度、地面に座る司教を弁護する。


「彼は教皇のような欲深な者ではない。真摯しんしに信仰と向き合い、あなたたちを導こうと努力されてきた。彼自身を見ろ!」


「ならば、ルフェーブ、お前にも聞く。お前は教皇をどう思う? お前はどっちの味方だ?!」


「教皇は祭司庁の運営者に過ぎない。聖女様を代理するものではない。それでも、正円教全体が彼を支持するというのなら……」


 ルフェーブは首からかけていた、正円教の象徴、真円のレリーフがついたネックレスを外した。そしてそれを右手でつかみ、ミュールの前に掲げる。


「私は正円教を捨てる。聖女様とダヴィ様を信じる。たとえ、はりつけになろうとも」


 ルフェーブはそのネックレスを放す。地面にボトリと落ちた。


 彼の決意に、今度はミュールたちが圧される番だった。ミュールは唇を噛んで、非を認めた。


「すまねえ、熱くなりすぎたようだ。確かに、その司教さんは頑張っているし、変なこともしてねえ。悪いのは教皇だけだ、そうだろ?」


「いえ、教皇とその周りもだ。それを排除しなければ、正しい信仰に戻らない」


「そうだな……」


 ミュールは地面に落ちたネックレスを拾う。そしてそれをルフェーブに返すと同時に、彼の手を握った。


「一緒に、ダヴィ様のために頑張ろうぜ! 俺たちは絶対に、教皇に負けやしねえ!」


「あ、ああ……」


「てめえら、気合入れろよ! これから世直しの戦いだ!」


 民衆は調子よく、ミュールの言葉に賛同した。そしていつもよりも大きな足音で、三々五々になって解散していった。


 ルフェーブはミュールの後について、城へと戻る。手の中のネックレスのぬくもりを感じる。頬が赤いことを、目の前の彼が気づかないかと、心配と期待を抱きながら。

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