第43話『血の年明け』
首都に在住する貴族たちの、年の初めの日のスケジュールは決まっている。陽も明けていない頃に朝食を済ませたシャルルは、早速着替えて外出の準備をする。
カトリーナがシャルルの襟を直す。服の中に潜り込んだ金色の髪の毛を出してあげた。
「今日は大役ね」
「宰相として“初祈願”だからな。緊張しているよ」
初祈願とは、年の初めの日に聖女様に祈る国民行事である。首都では、国王と貴族が一緒に祈ることが恒例となっているのだ。宰相として、この行事でも重要な役割を担う。
シャルルは勿論、この行事に参加するのは初めてではない。そのことを知っているカトリーナは一つ笑いを漏らす。彼女の大きく束ねた髪が震える。
「あら、嘘ばっか。こんなことで緊張するあなたではないでしょう」
「そうかな。俺も人の子さ」
ふふふ、と笑い返すシャルルの自室をノックする音が聞こえた。
「シャルル様、モラン様がいらっしゃいました」
「モランが?」
こんな出かけるの直前に、何の用だろう?玄関に向かうと、モランがある貴族と一緒に立っていた。
「シャルル様、この者が話したいことがあると」
「話したいこと?なんだ?」
「不穏な動きがあります」
その貴族が話すことには、ヘンリー王子とその徒党が武器を集めているという。もしかしたら、この日に行動を起こすかもしれない。
狙いは当然、シャルルである。
シャルルはそれを聞いても冷静であった。頭の中で、状況を確認する。
「ダヴィを南へ行かせるために、噂を流したのも彼らかもしれないな……。モラン、ヘンリーの徒党はどのくらいいると思う?」
「今では……数えるぐらいかと」
ヘンリーの体調が年々悪化していると噂が広まり、彼を後継者として見る目も少なくなっている。そんな将来のない彼に協力して、最大の権力者に成長したシャルルを害しようとする貴族も少ないはずだ。
モランの意見に、シャルルも同意する。
「この祭典に参加する貴族のほとんどが我々の味方だ。いざという時でも、数で勝てる」
シャルルはこの企みを逆手に取り、ヘンリー王子を排除することを考えた。そうなれば、自分の権力基盤はより強固になる。
モランは心配した。
「万が一ということもあります。もしかしたら、兵を集めているかもしれません」
「そこまでの企みを俺が知らないところでやれるとも思えないが……では、どうする?」
「首都にいる近衛兵を準備しましょう。巡察目的と言えば、言い訳もつきましょう」
「万全すぎるな」
あの病弱なヘンリーに何が出来ようか、と侮る心はあったが、ここはモランの言う通りにしておこう。シャルルは彼の提案を許可した。
「では、近衛兵は息子のマクシミリアンに率いさせます。私は祭典に参加しないといけないですから」
「……いや、それはやめよう」
万全を期すというなら、マクシミリアンは自分の近くに置いておきたい。彼の武芸はこの国で有名になりつつある。護衛としてはもってこいだ。
その時、シャルルは思い出した。数日前、アルマの家に見舞いに行った時のことだ。病床のアルマがシャルルに言う。
『どうも体調が良くなりません。医者が言うには年明けまでかかると。祭典には息子を代理として行かせることを考えています』
「ジョルジュに頼もう。彼は祭典に参加しなくてもいいはずだ」
「そうですか。ジョルジュならそつなくやるでしょう」
シャルルは屋敷の使用人を使って、ジョルジュに指示を出す。これで問題はないだろう。シャルルはモランと一緒に、やっと馬車に乗り込んで出立した。
「気を付けてくださいね」
「ああ」
カトリーナと抱かれたエラが、シャルルを見送る。エラの小さな腕が、カトリーナに無理やり降らされている。シャルルは微笑みながら、妻と子供に手を振った。
霧が立ち込めている。吐く息と同じぐらい、視界が白く濁っている。
登り始めた朝日が、その白い景色をオレンジに染め始めた。
「変な天気ですな。陽が出たというのに、霧が晴れない」
「…………」
そういえば、とモランはシャルルの腰に注目する。
「いつもの剣と違いますな。どうされたのですか?」
シャルルはあの細身の剣を身に着けていた。彼はその剣をさすりながら、感慨深く言った。
「ダヴィと一緒の時に思い出したんだ。父から昔、貰ったものだ」
「国王からですか。ならば、国王もそれを見て思い出されるかもしれませんね」
「かもな」
その時、馬車の窓を叩く音が聞こえた。窓を開けると、若い男の声が聞こえる。
「ジョルジュです。近衛兵と共に護衛いたします」
「ありがとう。よろしく」
「…………」
馬車の中だからか、なぜだか彼の顔は見えなかった。シャルルが話しかけようとしても、ジョルジュは馬車から離れていった。任務に専念したいのか、生真面目なやつめ、とシャルルは苦笑いする。
馬車は王宮の前まで来た。マクシミリアンが待っていた。
「シャルル様、ここからは俺が護衛します」
「頼む」
近衛兵は王宮の前に待機する。ジョルジュは黙ってシャルルに頭を下げて、見送った。
祭典の前でということもあり、王宮は静寂さを保っていた。大広間の中で、貴族たちは足音を惜しむように歩き、所定の位置につく。王は最上段に座り、彼らを眺めていた。
宰相のシャルルも、赤い大絨毯をゆっくりと歩いていく。彼以外はすでに絨毯の外に立ち、祭典が始まるのを待っている。絨毯を歩くのは彼とその後ろに続くモランとマクシミリアンだけとなった。
その時、王の隣にいたヘンリー王子が目配せしたのが見えた。
(本当にやるのか)
シャルルはヘンリーを憐れんだ。自分の地位を固執するあまりに焦っているのだろう。そこまで俺が憎いのか、と悲しみさえ感じてしまう。
そんな気分になっていると、彼の前にスルスルとある貴族が歩き出てきた。
「シャルル王子、祭典を行う前にそのお腰の剣を預からせていただきます」
「…………」
確かに、貴族は王の前に出る際には剣を帯刀してはいけない定めとなっている。しかし、王族とその護衛は別だ。それを知らない貴族はいない。
つまり、これはあからさまな罠だ。自分を無防備にしたいのだろう。こんな手しか思いつかないのかと、シャルルは呆れながら答える。
「私は王の息子である。帯刀は許可されている」
それを聞いて、その貴族の目が光る。彼は高らかに叫んだ。
「シャルル王子は王への反逆の意志あり!危険である!」
「ばかな」
シャルルは思わず笑ってしまった。いつも通り帯刀していることが、どうして反逆になろうか。こじつけも良いところだ。目の前の彼は頭がおかしくなったのかと本気で思う。
ところが、周りの貴族から上がってきたのは、信じられない言葉だった。
「謀反人め!」
「父である王を殺そうとするなんて、人とは思えん!」
「恐れを知らぬ悪逆非道なやつだ!」
百人を超える貴族たちの大合唱に、シャルルたちはあっけにとられる。
「なんだ、これは……?」
この中には彼が見知っている顔も多い。つい先日まで、彼に媚びていた者たちだ。ルイ王子と対立していたころから彼を支持してくれた貴族も多い。ここは彼の支持者で占められているはずだ!
ところが、彼の耳に入ってくるのは、彼をためらいなく非難する声だけだ。
罵っていた貴族たちの中から、ついに、ある声が聞こえた。
「反逆者のシャルルを殺せ!」
その言葉を機に、剣を持った兵士たちが飛び出してくる。呆然自失とするシャルルに代わって、モランとマクシミリアンが武器を構えた。
「シャルル様!ここは逃げましょう!」
「…………」
「シャルル様!」
シャルルは最上段を見た。国王は、我が父は、この状況をどう見ているのだろうか。助けてはくれないのか。
そんな気持ちを込めて父を見た時、彼の心は凍った。
(あっ)
父は静かにこちらを見ていた。隣のヘンリー王子が次々と指示を出す中で、ただじっとシャルルを見ている。
シャルルはこの時、この企みの首謀者が分かった。
「シャルル様!城門へ!」
「あ、ああ」
ショックが隠し切れず、なかなか動けない。そんな彼のもとに、剣を持った兵士たちよりも先に、小さな影が近づいてきた。
「シャルル様!」
「クロエ!?」
王宮で勤めているクロエが、目を血走らせて寄ってきたのだ。心配してくれたのだろうか。それでも、これは無謀だ。
「クロエ!隠れていろ!」
シャルルがそう言っても、もう遅い。彼女はすでにシャルルの傍まで来ている。
こうなれば彼女を連れて逃げるしかない。しかし、どこへ逃げたらいいのか。支持者が全員寝返ったということなら、この国に留まることはできない。
(カトリーナとエラは大丈夫か?!)
考えがまとまらない。焦るシャルルはようやく剣を抜いた。ともかく、ここを切り抜けよう。剣を構え、彼の金髪がばさりと舞う。
そう決心したその時、彼の背中に衝撃が走った。
「なっ」
シャルルは振り返る。そこには、クロエが唖然とした表情で彼の近くにいた。胸の前で、その小さな手を持ち上げたまま固まっている。
なぜだろう。背中が熱い。
シャルルは後ろを見ると、クロエの手から離れた短刀が、彼の背中に深々と刺さっていた。
血があふれてくる。それを見て、クロエは気を失った。
「シャルル様!」
モランの声が妙に遠く聞こえる。マクシミリアンが叫びながら、シャルルに駆け寄ってくる。
シャルルは膝から崩れ落ちた。
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