第42話『冷雨』
ダヴィが南の国境付近の城に到着したのは、年越しまで残り半月をきった頃であった。
城の屋敷につくと、早速上がってきた報告に首をかしげる。それに合わせて、耳飾りが揺れた。
「紛争は起こっていない?」
「はい、その通りです。ですから、ダヴィ様が訪れると伺った際には、我々一同驚きました」
この城の管理を受け持っている騎士も怪訝な表情をしている。その後、ダヴィがいくつか質問したが、返ってくるのは「いたって平穏でした」という答えだけだ。
「ヌーン国も動いていないか……まあ、先日の祭典に使者を送るぐらいだから、変なことはしないはずだけど……」
これでは何のために自分は赴任したのだろう。ジャンヌにまたどやされるぞ、とダヴィは頭を抱えた。
ところが、城内の視察に赴いていたジャンヌはご機嫌そのものだった。彼女の茶色の三つ編みがはねるように動いている。
「なあ!もうサーカス団が来ているじゃないか!明日から公演だって?!」
「う、うん、その予定だけど」
「うわー!じゃあ、明日朝一番に並ばないと!」
ダヴィは彼女に紛争が起こっていなかったことを説明したが、興奮している彼女は聞いていないようだ。
代わりに、アキレスが答える。
「それではダヴィ様、どのようになさるおつもりですか?」
「火の無い所に煙は立たぬと言うし、紛争の目が無いかしっかりと調査していく。それと、ヌーン国の動向も調査していく」
「分かりましたぜ、ダンナ」
「りょうかいだ」
ライルとスコットも頷く。だが言ってしまえば、これ以外やることがない。無駄足だったかと、ダヴィはため息をついた。
その時、ダヴィの部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「サーカス団団長のロミー様がいらっしゃいました」
「お通しして」
扉がゆっくりと開き、ロミーと、トリシャが入ってくる。2人ともきれいなドレス姿だった。
2人とも頭を下げて、スカートの端を持って挨拶する。
「ダヴィ=イスル様。今回は我ら『虹色の奇跡』をお招きいただき、大変感謝しております」
「え?ああ、うん……」
いつもと雰囲気が異なるロミーの口調に、ダヴィはドギマギしてしまう。ロミーは普段つけているスカーフも外し、黒髪は美しく整えられてる。彼女の挨拶は続く。
「これから年明けにかけて、この街の皆さんを楽しませるため、全力で取り組んでまいります。どうぞよろしくお願い致します」
「えーと、ロミー?」
「……とまあ、雇い主に対する挨拶はこんなものだよ。ダヴィ!お前さんも偉くなったんだから、しっかりおしよ!」
急に口調がいつも通りになったロミーに、ダヴィは安心すると同時に、また怒られたと頭をかいた。
ダヴィは彼女に近づいて、頭を下げる。
「この地域のみんなを楽しませたい。聞いてみれば、ヌーン国に属していたころは、サーカスなんて見たことがなかったらしい。こちらこそ、よろしくお願いします」
「なんだい、雇い主にお願いされるなんて初めてさ。もっと威厳を持ちな。……まあ、ダヴィらしいといえばらしいかな」
けらけらと豪快に笑うロミーはダヴィの手をとって握手した。その態度には似合わず、きれいな手をしていた。
ダヴィは彼女の後ろにいた人に目を向けた。彼が一番、会いたかった人だ。
「トリシャ」
「ダヴィ、久しぶり」
お互いに近づき、2人は抱き合った。数か月会わなかっただけでも、恋しかった。
トリシャはその状態のままダヴィに尋ねる。
「元気だった?また危ないことはしていない?」
「していないよ。大丈夫。トリシャも元気そうで何よりだよ」
「でも寂しかった」
恋人同士の会話に、部屋の空気が甘ったるくなる。ロミーはため息を一つついて尋ねる。
「はいはい、いちゃつくのは後でやっておくれ。ダヴィ、今回も参加するのかい?」
「はい、そのつもりです。前回も言いましたが、遠慮はいりません」
「なら安心だね。雇い主だからって優しくしてくれなんて、言いっこなしだよ」
「分かっていますよ、団長」
やっと二人は抱き合うのを止めた。これからダヴィも練習しなければならない。自主練はしてきたが、プログラムに沿った動きを覚えないと意味がない。
ダヴィは部下たちに声をかける。
「夜には戻ってくるから、あとは頼んだよ」
「はいよ、ダンナ」
「がんばって、だんなあ」
「明日失敗したら、承知しないよ!」
彼らに見送られて、ダヴィたちは部屋を出ていった。アキレスだけが首をかしげている。
「ダヴィ様はどこへ行かれたんだ?」
「ああ、言っていなかったっけ?ダヴィもサーカスの公演に参加するのさ」
「え!?本当か?」
「ダンナの馬乗りは見事だぜ!おめえも見たらハマっちまうぞ」
「明日が楽しみだなあ」
信じられない。この国で屈指の有名な軍人だというのに、ダヴィはまだサーカス団員であり続けようとする。しかも今回は、雇い主なのに。
口々に公演に期待するジャンヌたちの隣で、アキレスは自分の主人の奇妙さを考える。ダヴィは自分が民衆の一員であることを当然と思っている。特権階級に加わろうとしない。
これは謙虚というのか。それとも威厳がないのか。アキレスは刈り上げた側頭部を少しかいた。
「不思議な、お人だ」
――*――
公演は好評を博した。年越しの前日、そして当日、その翌日と、忙しい日程の中でも大勢の人々が押し寄せ、惜しみない拍手を送った。
ここまではサーカス団の団員たちは予想通りである。このために練習に明け暮れ、自信を高めていた。当然の結果であると、彼らは胸を張る。
しかし彼らでも予想していなかったのは、急に参加したダヴィの腕前である。
(随分、上達している)
他の馬乗りたちに負けず劣らず、見事に演じていた。逆立ちもピタリと止まり、軽やかに体を動かす。
すっかりまとめ役に成長したビンスも、ピエロの扮装をしたまま目を丸くする。
「どうしたんだ、ダヴィ。サーカス団にいる頃より、ますます動きが良くなっているじゃねえか」
「そ、そうかなあ。自主練の成果かな」
その通りである。乗ることすら難しい荒れ馬のブーケで練習したおかげで、サーカス団の大人しい馬の上では、まるで地上にいるように動けるようになった。筋肉も大分ついたこともあり、それが腕前に表れている。
ロミーも驚く。
「やるじゃないか、ダヴィ。数か月前と比べても良くなっているよ。正直、あんまり出来ないだろうって思っていたけど」
「団長。雇い主、雇い主」
「おっと」
ミケロにたしなめられ、ロミーは口を押える。ダヴィは素直に嬉しい。
ファンの一人であるジャンヌも、ダヴィの芸を褒める。彼女の興奮は講演が終わった翌日も冷めやらない。
「馬の上であんなことよくやるよ。大したもんだね、うちの大将は」
「そうね。サーカス団のみんな、びっくりしていたわよ」
とトリシャも彼女に同意する。そんなことを言いながら、2人が露店を物色しながら街の中を歩く。
今日は公演は休みだ。明日からまた3日間公演を行い、彼らはまた移動する。
「ダヴィは?」
トリシャが尋ねる。どうしても彼の動向が気になる。
ジャンヌがニヤニヤとしながら答える。
「ダヴィは今日は巡察に出たよ。……やっぱり気になるんだ」
「当然よ。どこかで浮気されたら困るでしょ」
「そんなことはしないと思うけど。今日は堅物のアキレスも一緒だし」
「冗談よ。……でも、気になってしまうの」
頬に手を当てて、首をかしげる。舞台上でも観客を魅了した金髪がふわりと揺れた。そんなトリシャの横顔を見て、ジャンヌが息を飲む。
「……きれいになったね。前よりもずっと」
急にそんなことを言われて、トリシャはジャンヌの方を見て、首をかしげる。彼女の美しい金髪が肩にかかる。
彼女は19歳になった。白い肌はますます透き通るように見え、頬が薄くなり、大人びていく。所作も女性らしく細やかに動くようになり、口調も柔らかくなった。この街で歩いていても、多くの男性の視線を集める。声をかけられて、ジャンヌが威嚇して追い返すこともしばしばだ。
トリシャは気負うことなく、他人事のように答える。
「恋を、したからかもね」
遠い空を彼女は見つめる。その空の下にダヴィがいると信じているようなまなざしだ。
ジャンヌは腕を組んで悩む。
「あたいには分からないよ」
昔の自分を見ているようだ。トリシャは微笑みながら、ジャンヌの頭を撫でる。
「いつか分かるわよ、きっと」
「そうかなあ?」
雨粒が頭に当たった。上を向くと、黒くて分厚い雲が空を覆っている。
降る雨はますます多くなってくる。ただでさえ年明けの寒い時期だ。2人は震えながら、近くの軒先に避難する。
「運が悪いね」
「ほんとね」
冷たい雨が降り注ぐ。周りにいた町の人々も、慌てて雨から逃げていた。ジャンヌは濡れてしまったバンダナを外しながら、天をにらみつけた。
2人は一歩も動けないまま、雨を見つめていた。こんな時に、外に出ている人なんているはずがなかった。
その時、トリシャが指をさした。
「あれは何かしら」
「なに?」
ジャンヌが目を凝らす。城門から近づいてくる影があった。
「馬に乗っている……?」
雨がひどくなってきた。嵐のような音の中で、その影が段々と近づいてくる。
ジャンヌは予想する。あれは急報を告げる使者だろうか。その黒い影に、彼女は不安を覚える。来てほしくない。そんなことまで思った。
冬の雨がジャンヌの頬に当たる。心まで冷えていくような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます