第41話『期待の証』

 木枯らしが中庭を駆け抜けた。


 あれほど咲き誇っていた花々は、どこへ行ってしまったのか。枯れた花壇の中で、次の春を待っているのだろうか。物言わぬ種は冷たい土の中で眠る。


 ダヴィの前に長身の男性が立っている。ダヴィは剣を抜く。静かに構える。真剣なまなざしで、呼吸を整える。


 男は笑っていた。だらりと剣を下げて、彼の攻撃を待つ。


「来い、ダヴィ」


 シャルルは誘った。


 ――*――


 年末は忙しい。これはどの国でも同じ事らしいが、ダヴィたちは特に忙しかった。


 年越しの準備ではない。そのことに、ジャンヌは愚痴を吐き出していた。ぐでーんと椅子の背もたれに身体を投げ出し、自分の三つ編みを包むように頭の後ろで手を組んだ。


「どうしてこんな時期に、南に行かないといけないのさ!」


 ヌーン国との国境で紛争があったと報告がきた。そこでシャルルに命じられて、ダヴィがヌーン国から獲得した城に籠り、人心を安定させる任務に就くことになった。勿論、ジャンヌたちもそれに従う。首都の駐屯地で準備を進め、明日にでも出立しようとしていた。


 不満が止まらないジャンヌを、アキレスがたしなめる。


「任務だ。不満を言うな。命じられたらそれに従うまでだ」


「ふん、調子に乗っちゃって。あの戦いで敵の武将を倒したからって、またボコボコにやられるよ」


「なんだと!?」


「うるせえ!」


 ライルが怒鳴る。2人はムスッとしたまま、荷造りを再開する。


 ダヴィがまあまあとなだめた。


「紛争も小規模だって聞いているから、すぐに戻れるさ。シャルル様も『ただの噂かもしれない』っておっしゃっていたし」


「でも、年は確実に越えるでしょ?」


「……まあね」


 でも、とダヴィは彼らに宣言する。オッドアイが輝く。


「僕の特権で、お楽しみを用意したんだ!」


「お楽しみ?」


「なんですか、ダンナ?」


「僕がいたサーカス団『虹色の奇跡』を赴任地に招致する!」


「やったー!」


 ジャンヌが飛び上がる。ソイル国の公演で大ファンになった彼女にとって、それほど喜ばしいイベントである。とび色の目を輝かせる。


 ダヴィにとっても喜ばしい出来事である。団長のロミーからは「あのちび助が、私たちを雇う身分になったんだね」と感慨深く手紙の中でつづられていた。


 飛び跳ねて喜ぶジャンヌの隣で、アキレスも興味を示していた。


「ダヴィ様が育ったサーカス団……」


「腕前も人気も、西大陸一番だぜ。おもしれーぞ!」


「おすすめだ」


 彼らが盛り上がっている中で、スコットが隣の部屋から戻ってきた。


「だんなあ、こっちは終わったよ」


「ありがとう。……これで、ほとんど終わったかな」


 あとは馬車に乗せるだけだ。ライルがダヴィに提案する。


「残りは俺たちでやっちゃいますよ。ダンナは挨拶まわりがあるでしょう。そっち行って下さいよ」


「ここは任せてください」


 アキレスも勧める。ダヴィはその言葉に甘えることにした。


「じゃあ、行ってくるよ」


「「「「行ってらっしゃい!」」」」


 4人に見送られて、ダヴィはブーケに乗って駐屯地を出た。


 最後の月に入ったばかりというのに、街は年越しの準備をすでに始めている。年末に行われる大掃除のために、掃除用具が露店で売られている。


 風が冷たい。白い息がブーケが歩く振動と共に、澄んだ青い空に溶けていった。


 各所に挨拶をしていき、最後にたどり着いたのは、シャルルの屋敷だった。


「みんな、どうだったかい?」


 出迎えたのは、応接間で家族とくつろぐシャルルだった。カトリーナも笑顔でダヴィを迎える。この頃つかまり歩きを覚えたエラが、ぼんやりとダヴィを見ていた。父親譲りの金の髪が、ふわふわと生えていた。


 ダヴィはまわった感想を言う。


「マクシミリアンもモラン様も頑張ってやってくるようにと、おっしゃっていただきました。あと、ジョルジュには会えませんでしたが、クロエには会いました」


「おや?ジョルジュは自領に行っているはずではなかったかな?」


「マクシミリアンが見かけたと。『今だったら会えるんじゃないか』と言われたので屋敷を訪ねたのですが、会うことはできませんでした。『アルマ様もジョルジュ様もいない』と屋敷の使用人に言われて」


「そうか……まだ、体調が良くならないんだな」


 でもその帰り道、ダヴィはクロエが乗る馬車に会った。多数の護衛を従えているところを見ると、まるで王侯のようで、それだけアルマの地位が上がったのだとダヴィは感想を抱いた。


 馬車の窓をノックすると、窓が開き、クロエが顔を出す。彼女の可愛らしい玉になった黒髪が見えた。


「ダヴィ様……」


「クロエ、元気そうだね。アルマ様の容態はどうだい?」


 彼女の表情が妙に暗い。ダヴィは心配になって近づこうとする。


 しかし護衛の騎士がそれを防いだ。


「別に襲う気はないさ。僕の名前はダヴィ=イスル。彼女の知り合いだよ」


 自分の名前を言ったというのに、彼らはまだ警戒している。やれやれ、自分はまだ有名ではないらしい。彼らに顔を覚えられていないことに軽くショックを受けていると、クロエがやっと口を開いた。


「だ、だいじょうぶです……父は元気ですから……」


 御者が鞭を入れて、馬車が動き出す。ダヴィはまだ話したいことがあったが、クロエは急ぐのだろう。最後にこう言葉をかけた。


「アルマ様とジョルジュによろしく言ってくれ!クロエも元気で!」


 クロエが馬車の窓からこちらを見ていた。黙って、見ていた。


 そんな報告を聞いて、シャルルは首をかしげる。


「彼女の反応を見ていると、そこまで良くないのかもしれないな。今度、俺もお見舞いに行こう」


「ぜひ、そうしてください。喜ばれることでしょう」


 そんなことを言っていると、ダヴィの足元にエラがよちよちと近づいてきた。ダヴィのズボンをつかんで、手を伸ばしている。彼女の目線を探ると、どうやらダヴィの耳についている金の輪に興味を示したようだ。


「ダヴィ、抱いてあげて」


とカトリーナに言われて、ダヴィは彼女を抱きかかえる。彼女の小さい手が金の輪をむんずとつかみ、引っ張ったりと遊び始めた。


 きゃっきゃと喜ばれると、ダヴィは耐えるしかない。


「エラ様、痛い痛い!」


「ふふふ、ヌーン軍を打ち破った大将軍も、エラにはかたなしだな」


 カトリーナもシャルルに同調して笑う。彼女の肩口に束ねられた茶色の髪が小刻みに揺れた。ダヴィは痛みに耐えながらも、こんな素敵な家族の1シーンを作れたことに喜びを感じた。


 しばらくして、シャルルがエラを代わりに抱きかかえた。エラはまだ遊び足りないとぐずりながら、母親の胸の中に戻っていった。


「さてさて、俺からも餞別を言わないといけないのだが」


と、ここでシャルルの視界に、応接間に飾った剣が映った。いいことを思いついた、とシャルルが微笑む。


「ダヴィ、自分の剣は持っているかい?」


「はい。持ってはいますが。それが?」


 シャルルはその剣を持ってくると、ダヴィに言った。


「久しぶりに手合わせしよう。中庭に来なさい」


 ――*――


 中庭でお互いに向かい合う。カトリーナとエラもそれを見ようと、中庭に備えられた椅子に座った。


 いつぶりだろうか。以前は剣の訓練として、何度か手合わせしてくれたことがあった。前の小さい屋敷の中庭で、マクシミリアンやジョルジュと一緒に、試合をしたものだった。あの頃はあしらわれるばかりで、シャルルを本気にさせることが出来なかった。


 しかし、今は違う。今回は本気で手合わせしてみたいと、ダヴィは気合を入れた。


 空気が冷たい。エラがくしゃみをした。それを合図に、ダヴィは一歩踏み出す。


「行きます!」


 ダヴィが真正面から突っ込む。彼の鋭い突きが、シャルルの胴体めがけて襲う。


 本気の突き。しかし、シャルルはいとも簡単に弾いてそらした。


 ダヴィもこれで決まるとは微塵も思っていない。すぐに体をひねって、2撃目を入れようとする。


「甘い!」


 シャルルは一撃目を返した剣で、そのまま、その二撃目も防いだ。


 ギンッと鈍い音が鳴る。エラがびくりと体を震わせた。


 お互いの剣の刃が合わさり、鍔で迫る。シャルルの茶色い目が、ダヴィの緑と赤の目を覗きこむ。


「くっ!」


「さあ、どうする」


 力では勝てない。ダヴィは鍔迫り合いを止めて、後ろに引き下がった。


 ダヴィは肩で息をしているというのに、シャルルの顔は涼しげだ。金の長髪がいつもと変わらず、木枯らしにふかれている。


「上達したな、ダヴィ」


「いえ……」


 そんな顔で言われても嬉しくない。ダヴィはまた構え直した。


 シャルルの剣は非常に細身だった。装飾が施された立派な剣だが、もろさを感じさせる。


(何度か弾けば、壊れるかもしれない)


 作戦は立てた。ダヴィは再度シャルルに向かっていく。今度は大きく剣を振りかざし、その剣ごと砕こうとする。


 しかし、そんなことはシャルルにはお見通しだった。


「まだまだだな」


 シャルルはその一撃をすんでのところでかわすと、ダヴィに強烈な足払いを食らわせる。


「うわっ!」


 ダヴィの身体が一回転して、地面に叩きつけられる。そして次に目を開いた時には、目の前にシャルルの細身の剣が付きつけられていたい。


 シャルルは得意げに笑う。


「相変わらず、剣は得意じゃなさそうだね」


 ダヴィはドッと力を抜いて、改めて地面に体を投げ出した。力の差は歴然としている。子供の頃とまるで変っていないような気がする。


 シャルルは暗い彼の表情を見て、笑いかけた。


「もっと精進するように。そうじゃないと、俺の右腕を名乗れないぞ」


「……はい」


 世間ではすでにダヴィをシャルルの右腕を評する者が多い。それを聞いて、彼はそう言ったのだろう。ダヴィは悔しい限りだ。


 そんな彼をカトリーナが顔を覗き込みながら、慰める。


「ダヴィ、大丈夫?あなたもやりすぎですよ」


「ああ、悪い悪い。どうにも最近体がなまっていてね。ちょっと本気でやりたくなったのさ」


 カトリーナの胸から離れたエラが、地面に仰向けに寝るダヴィにハイハイで近づく。その顔をぺちぺちと叩き、そしてまた金の輪をつかもうとしていた。


 ダヴィはやっと立ち上がった。そして剣を鞘に納め、シャルルに頭を下げる。


「手合わせいただき、ありがとうございました」


「これが俺の餞別さ。堪能したかい?」


「ええ、十分に……」


 ダヴィの足元では、エラが「ブー」と頬を膨らませていた。金の輪を触れなかったことに、不満をあらわにしている。そんな彼女を、カトリーナが抱きかかえていた。


 ところで、とダヴィが尋ねる。


「その剣はなんですか?初めて見ました」


「大事な剣さ。今までは自分の部屋の片隅に置いていたのだけどね」


 シャルルは改めて剣を抜く。彫られているのは海龍の絵だろうか。海龍はウォーター国の船乗りにとって『聖女様が遣わした海の精霊』と崇められている。この国ではポピュラーな絵柄である。


 シャルルはこれを父のジーン6世からもらったという。狩りで初めて獲物を仕留めた時だった。


「国王は俺自身が『ウォーター国の護身刀たれ』と言って、この剣を下さった。期待されていると感じた、数少ない出来事の1つだよ」


 しかしながら、シャルルがその剣を実戦で使うことはなかった。成長するにつれ、国王への失望がどんどん増していったからだ。


 だが、あの時の言葉は胸に刻まれている。


「俺がこの国を守る。その思いは変わっていない。昔も、今も、これからも」


 シャルルは剣を収めながら、ダヴィに向き直る。あの時の父と同じように、ダヴィに彼は期待する。


「ダヴィ。俺が国王になったら、君がこの国の護身刀になってくれるかな?」


 ダヴィは強く頷く。その未来を確信して。


「必ず、なります!僕が先頭に立って戦います!そしていつかは、シャルル様がもう剣を振るうことがない時代を作ります」


「ははは!それはいい!その時になったら、この剣を君にあげよう」


 シャルルはダヴィの頭をいつものように撫でた。どんどん成長し、頼もしくなる弟分に期待する。


 ダヴィはシャルル達に見送られて、屋敷を辞した。ブーケに乗って振り返ると、彼らはまだ門のところで彼を見送っている。ダヴィは力いっぱいに手を振り、シャルルも手を振った。


 木枯らしが吹く。灰色の背景の中で、シャルルもカトリーナも微笑んでいる。その光景を、ダヴィは目に焼き付けていた。


 そしてこれが、彼らの永遠の別れとなった。

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