第44話『君を想う』

「シャルル様!?」


 モランとマクシミリアンは目の前の光景が信じられなかった。


 クロエがシャルルを刺した。そしてシャルルは地面に膝をついた。


 モランが背中に刺さっていた短刀を引き抜いた。血が余計にあふれてくる。


「シャルル様!しっかり!」


「マクシミリアン!シャルル様は私が担ぐ。お前は退路を確保しろ!」


 モランに肩を担がれたシャルルの顔に油汗が浮かんでいる。その彼に、兵士たちは容赦なく襲いかかる。


「どけ!」


 マクシミリアンが矢を素早く射出し、2人の兵士の頭が吹き飛んだ。その腕前に、兵士たちの足がたじろぐ。


「さあ、今のうちに!」


「うっ……」


 歩くのがやっとというシャルルを中心に、モランとマクシミリアンが道を切り開いた。彼らは貴族たちの怒号の中を駆け抜け、出口へと急ぐ。貴族たちも剣を持って、彼らを追う。


 あとには、気絶して伏せるクロエだけが残された。


「宰相様の危機だ!手を貸せ!」


 モランは機転を利かせて、なにがあったか分からない周囲を警備していた兵士たちを味方につけていた。何十人かの集団になってきた時、やっと門が見えた。


 門の外にはジョルジュと近衛兵が立っている。彼の長い黒髪がたなびいている。


「助かった……」


 マクシミリアンが親友の顔を見て、そんな声をもらす。近衛兵まで寝返って、ジョルジュを殺していたらどうしようかと心配していたのだ。


 ところが、ジョルジュの口から、思いもよらない言葉が発する。


「反逆者はそこだ!捕えろ!」


「ジョルジュ?!」


 彼の命令に従い、近衛兵が押し寄せてくる。モランは唇をかみながら、覚悟を決めた。


「マクシミリアン!お前はシャルル様を連れて、他の退路を探せ!ここは私が防ぐ!」


 父親の覚悟を、マクシミリアンは黙って受け入れる。今度はマクシミリアンがシャルルの肩を担いで、来た道を戻り始めた。


 マクシミリアンは一度だけ振り返って、叫ぶ。


「なぜだ!ジョルジュ?!」


「…………」


 答えはない。マクシミリアンは「クソッ」と悪態をついて、速足でその場を離れた。


 しかしどこを探しても、退路が見つからない。他の門も閉ざされていることだろう。


 どうする?こうしているうちにも、シャルルの傷からは血が流れ出ていく。


 焦るマクシミリアンに向かって、シャルルが指示を出した。人差し指を向ける。


「あの塔へ」


 古めかしい石造りの塔が見える。大昔に使っていた見張り台だろうか。


 そんなことを考えているうちに、追手の声が聞こえてきた。他に道はない。マクシミリアンはその塔へ入った。


 中には誰もいなかった。蜘蛛の巣が壁や柱に張り巡らされている。立ち込める埃でむせそうだ。


「シャルル様、ここへ」


 昔使われていた古めかしい長椅子に、シャルルを寝かせる。マクシミリアンは唯一の扉にかんぬきをかけた。


 扉を閉めてしまうと、本当に暗い。マクシミリアンは火打石で松明に火をつける。


 その一方で、シャルルは頭上高く、塔のてっぺんを見上げていた。背中の傷を押さえるが、血は一向に止まる気配を見せない。彼の金色の髪が赤く染まっていく。マクシミリアンが心配して、自分の衣服を裂いて、彼の傷に押し当てる。


「この塔はな、マクシミリアン」


 呼吸が荒いシャルルが、マクシミリアンに語る。こうして話していないと、気を失ってしまうそうだった。


「俺が昔遊び場に使っていたんだ。隠れるのにはもってこいだ」


「しかし……」


 隠れたからと言って、これからどうするのだ。周りは敵でひしめいている。そして、目の前のシャルルの傷は致命傷になりつつある。


 マクシミリアンはまた「クソ!」と叫んだ。こうしているのも、ジョルジュが裏切ったせいだ。


「あの野郎!恩を仇で返しやがって!」


「言うな、マクシミリアン」


 恐らく、アルマも裏切ったのであろう。しかし、シャルルは彼らを怒る気にはなれなかった。何か事情があるのだろう。そうでなければ、こんな非道なことをする人たちではない。


「仕方のないことだ。見抜けなかった俺に、力がなかったんだ」


「シャルル様……」


 まるで諦めるような言葉に、マクシミリアンは言葉を失う。


 その時、外から声が聞こえてきた。


「どこだ?!シャルル!お前の側近のモランは討ち取ったぞ!」


 マクシミリアンが急いで、扉の隙間から外を観察した。そこには隊列を組む兵士たちと、彼らの先頭の兵士が持つ槍の先に掲げられた、父・モランの首があった。


 マクシミリアンは怒りのあまり、扉を壊しそうになる。体が震える。


 シャルルは静かに命じた。


「マクシミリアン、この塔に火をかけろ」


「そんな!?シャルル様!」


「分かるだろう……もはや……ここまでだ」


 マクシミリアンは下唇をかみながら、松明で木製の柱や壁に火をつけていく。煙が充満し、大きな蜘蛛が逃げていくのが見える。


 外から声が聞こえてきた。この塔の異変に気が付いたのだろう。


「シャルル様、扉は燃やしていないのでしばらくもつと思います」


「そうか……」


 シャルルはマクシミリアンの手を取った。指の欠けたたくましい彼の手を握る。


「こんなところで、すまない……苦労をかけた」


「シャルル様!こんな、こんなところで……!」


 マクシミリアンの目から涙があふれだす。悔しさとみじめさが心にあふれる。今までこの国を想って行動してきたシャルルは、こんな形で裏切られ、終わってしまう。必死に彼に尽くしてきたマクシミリアンの感情は、とうてい受け入れられない。


 しばらくマクシミリアンの嗚咽が塔に響いた。そのうちに、外の声がますます大きくなってくる。


 マクシミリアンは涙を拭って言った。


「シャルル様、さすがに扉が打ち破られましょう。俺はここで敵を防ぎます。シャルル様は階段を登って、上へ」


「……分かった」


「この塔が燃え崩れるまで、敵に負けませんよ」


 マクシミリアンは気丈にも笑った。ここで今生の別れになるだろう。シャルルは彼の肩を叩いて、立ち上がって石の階段を登り始めた。


 階段ゆっくりと登る途中で、ドンッと大きな音が聞こえた。扉が破られたのだろうか。兵士たちの怒号が聞こえる。


(ああ、マクシミリアン。すまない)


 階段に血がついていく。火のまわりは早く、周りには黒い煙が立ちこみ、壁に手を添えていなければ、先が分からないほどだった。


 シャルルはむせながら登っていく。そしてその途中で、小さな窓を見つけた。


(ここで、いいだろう)


 窓の傍には、見張りの兵士が椅子がわりに使っていたのだろうか、石の段が備え付けられている。そこに体を横たわせ、シャルルは窓から外を眺めた。


 窓の外から見えるパランの街は、何事もなかったかのように静かだった。昇っていく朝日に照らされた町の建物が輝く。きっと街の住人は年明けの行事で忙しくしているのだろう。


(俺が死んでも、きっと彼らは何も起こらなかったように、生きていくのだろう)


と思ってしまうと、シャルルの心にむなしさが立ち込め、彼は静かに笑った。


 何もできなかった。悔しさとすら彼は思わない。ただ、絶望する。


 きっと、俺の家族も殺されているのだろう。それを想像してしまい、シャルルは思わず涙をこぼした。


 周りが熱くなってきた。振り返ると、炎が目の前まで近づいてきた。その業火の音に混ざって、下からまだ戦っている音が聞こえる。


 もったいないことをした、と彼は思う。きっとマクシミリアンも裏切ったジョルジュも、俺についていなければもっと生きながらえて、その才能を伸ばせたかもしれない。


 そして、ダヴィ。


「すまない、ダヴィ。俺はここまでらしい」


 シャルルは空を見上げる。突き抜けるような青さを見ていると、どこまでも飛んでいけそうな気がする。


 あの空の下に、君はいるのだろうか。君は今、どんなことを思っているのだろうか。


 シャルルにはもう、分からない。


 窓から太陽の光が差し込む。シャルルの透き通るような金色の髪を輝かせる。


 ガラガラと柱が崩れ落ちる。シャルルは薄れゆく意識の中で、空の向こうにいる彼に託した。


「ダヴィ……後は頼んだよ……俺たちの、理想を……かなえてくれ…………」

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