第13話『帰国の時』

 祭典が終わり、ソイル国にも花咲く春が巡ってきた。ダヴィがソイル国に来て、4か月が経とうとしていた。


 春うららかな昼過ぎ、羊雲が浮かぶ空の下、ダヴィは意外な人物に呼ばれていた。王城の一室に入ると、服以外白い人物がそこにいた。


「来たな、ダヴィ=イスル」


 宰相・ウィルバード=セシルが机の横で立っていた。黒一本も混じっていない白髪と白髭が今日も美しく整えられている。


 ダヴィがお辞儀をして近づくと、彼はいきなり机の上にあった箱を横倒しにした。中から大量の手紙がザラザラとなだれ出てくる。


「これは?」


「お前の主君からの手紙だ」


 その一つを手に取ってみる。文章の最初はアンナ女王への美辞麗句びじれいくが並んでいたが、段々とダヴィを心配する文章が連なり、そしてダヴィを早く帰してほしいという内容で締められている。他の手紙も言葉は違えど、内容は同じである。


 脅迫。歎願たんがん。交渉。シャルルは手を変え品を変え、ダヴィの帰還を求めていた。


 中にはダヴィに直接送った手紙もあった。しかしダヴィは読んだことがない。


「女王が止められたのだ。お前に読ませないように」


 ではなぜ、彼は今読ませたのだろうか。その疑問を口にする前に、彼は答えた。


「女王がお前に、これ以上のめりこまない様にするためだ」


 ウィルバードがニヤリと笑うと、ダヴィの顔が赤らむ。


 ダヴィは以降は彼女を抱いた(もしくは抱かれた)ことはなかった。だけである。


 その代わりに、夕食後会話をすることが多くなった。最初は十分程度だったが、その時間は段々と伸び、昨日は3時間も話し込んでしまった。


 ウィルバードがその会話をちらりと見ると、彼と話す女王の表情は、この国の者が見たことがないほど穏やかで、楽しそうであった。


 この国の宰相は取り繕わず、ダヴィと女王の距離が近い状況を警戒していると、ダヴィに伝えた。ダヴィは不快に思わず、むしろ感心した。


「アンナ女王のためですか」


「フン。この国のためよ。あの女が男にのめり込むのは構わないが、この国の政治に影響があっては困るのでな」


「あの女」


 自分の主君をそのように呼んだことに、ダヴィは驚いた。ウィルバードは白い片眉を上げて、彼の驚く顔を見た。


「意外か?」


「え、ええ……」


「あの女とは“共謀”しているのだ。この国の政治を立て直すために、力を誇示することしか能がないカーロス4世とパーヴェル王子を排除する。その目的が合致したにすぎん」


 元々アンナ女王がカーロス4世の妻になる前から宰相を務めていた彼が、自分の出世のためにアンナ女王を担ぐ必要はない。彼は冷静に、辛辣しんらつに、この国の将来を見極め、自分の主君を蹴落としたのである。


 この冷酷さ。頭の切れ味。この国の者は彼を『大白狼』と呼んで恐れている。


 『大白狼』は目の前の黒髪の少年に言った。


「自分の国に戻るのだ、ダヴィ=イスル。この国にこれ以上踏み入るな」


「…………」


「この国の草原には悪意が埋まっておる。足をとられる前に、出ていくがよい」


 ――*――


 自室に戻ったダヴィは、椅子に座ってシャルルの手紙の束を読みあさっていた。机の上に足を置きながら、香水の匂いがする手紙の文章を読み進めていく。


 その中にはダヴィを心配する言葉が並んでいた。


(どうしてここまで思われているのだろう)


 自分の身体、精神状態、環境、すべてを気にかけてくれる。そして自分の生活も細部にわたり、教えてくれる。


 まるで恋人だ。


(平凡な、奴隷出身の、僕を)


 アンナ女王も気に入ってくれる。彼女が見つめる目に魅了されるのを、すんでのところでこらえているが、その熱いまなざしがことが本能で分かる。


 彼にとっては困惑する環境でしかない。


(僕にそんな価値があるのか)


 手紙の文字が頭に入ってこない。ただただ自分の運命を、こんな極北のソイル国まで来た現状に想いをせていた。


 少年は、自分の可能性に、おびえていた。


 部屋のドアをノックする音が聞こえてくる。


「ダンナ、入りますよ」


 ライルたちが部屋に入ってきた。ダヴィは顔を向けず、彼らに言った。


「帰ることになりそうだよ」


「ホントですかい!」


「やったよお! ビールが早く飲みてえ」


 スコットが細い腕を突き上げて万歳しているのを、ライルが丸い顔の眉間にしわを寄せて叱る。


「うるせえ! スコット、黙ってろ! ……ダンナ、何かあったのですか?」


「シャルル様から呼ばれたのさ。ルイ王子の動きが活発になってきたらしい」


 手紙の中には花の話題が多い。シャルル王子の屋敷の中庭で咲く花々が、事細かに表現されている。


 そして、それは隠喩いんゆである。


『バラがユリに巻き付いてくるんだ』


『今日もバラがユリに日光が届かないように背伸びしていたよ。押しのけてやったけどね』


『東の区画はバラ一色だ。私が入る隙間もないよ』


 バラはルイ王子の、ユリはシャルル王子の記章である。旗印にもなっている。これらの手紙では、ルイ王子側の工作が段々と激しくなっている政局を示していた。


 シャルル王子も対策しないといけない。そのために有能な部下に戻ってきてほしかった。


『バラを駆除する時が近いかもしれない。その時は、ダヴィ、よろしくな』


 その文章を読んだ時、手紙を持つ手に力がこもる。自分の主君は勝負に出ようとしている。大人しいダヴィの心にも、炎が灯る。


 帰らなければならない。


「明日にでも女王陛下に話をする。帰り支度をしておいてくれ」


「ちょっと待ってさ」


 想像していなかった声を聞いて、ダヴィは顔を上げた。ライルとスコットの後ろに、小さな影があった。


 ジャンヌである。


「あんた、帰っちゃうのかい」


 不安そうに声をかける仕草に、年相応な可憐かれんさがあった。いつもなら怒らせて歩く肩が、縮こまっている。茶色い三つ編みの髪が震える。


 彼女は彼を責めた。


「なんで帰るのさ? あたいたちをこんな風にしておいて、自分は知らんぷりかい。おかしいじゃないか!?」


「ジャンヌ、でもね……」


「命令が大事なの? そんなにシャルル王子っていうのが大事なのかい!」


「なあ、ジャンヌの嬢ちゃん。ダンナも仕事なんだから」


「うるさい!」


 ジャンヌの肘打ちがライルの太った横腹に当たる。「ぐおぉぉ!」とうめいて腹を抱えるライルを、「痛そうだなあ」とスコットが介抱する。


 彼女の怒りは収まらない。その言葉はお願いのように聞こえ始める。


「この国にいればいいじゃないか! 女王にも気に入られているんだろ? あたいたちだっているし」


「……それでも、僕は」


 彼はゆっくりと、それが確定事項だという意味を込めて、言った。


「帰らないといけないんだ」


 彼女は黙る。目を少しうるませる。彼の優しい目が、何よりも辛かった。


「……そんなに、海が良いのかい」


「え?」


 それだけ言うと、彼女は部屋を飛び出していった。バンと音を立てて扉が閉まる。


 取り残されたダヴィは、彼女が出ていった扉を見つめていた。


「だ、だんなあ」


「あ、ああ。ライル、大丈夫かい?」


 丸い体を抱えて、床にしゃがむライルの背を撫でる。予想以上に、彼女は強く肘打ちしたらしい。


「はら、さけちまったみてえだ……」


「えっ!?」


 ライルの冗談を真に受けて、スコットが相棒を心配する。


「だんなあ」


「なんだい?」


「ライルの腹が裂けてたら、ちょっと帰るの待ってくれねえな」


 彼は苦笑いをして、頭をかいた。これが作戦だとしたら、彼女を見直さないといけない。彼はスコットに言う。


「大丈夫。休んでいればすぐに良くなるさ」


「そうかなあ」


「明日、出発する。準備は頼むよ」

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