第14話『アンナの踊り』

 陽が昇ると同時に、ダヴィは女王に面会を求めた。彼女は日の出前から職務をしていると聞いているので、大丈夫なはずだ。


 彼女の執務室に通された時、案の定、彼女は大きなテーブルの前で仕事をしていた。


「あら、ダヴィ。おはよう」


「おはようございます」


「少し待ちなさい。……この書類をウィルバードに。それと、ハワードをここへ連れてきなさい」


 ペンを置き、椅子に座り直す。赤い髪をかき上げる。それらの仕草ひとつとっても、洗練されているように感じた。


 彼女の赤い瞳がこちらを向いた。


「それで、帰るのね」


「……はい」


 すでに要件は分かっていたのか。あの赤い目はどこまで見通しているのだろうか。


 彼女は呟く。


「……ウィルバードも、余計なことを……」


「なにか、おっしゃいましたか?」


 彼女はダヴィの問いかけに答えず、侍従が持ってきたコップに口をつける。そうして一呼吸おいてから、再び彼を見つめた。


 赤い目を細め、彼を誘惑する。


「この国で騎士になるつもりはあるかしら」


「…………」


「私の側近におなりなさい、ダヴィ」


 彼もまた、静かに答えた。大きな金の輪がちらりと光る。


「僕はシャルル様に育てられたウォーター国の騎士です。裏切るようなまでは出来ません」


「フフフ、高潔なこと」


 彼女の笑みは、冷笑と表現すべきであった。彼女はその笑みのまま、尋ねる。


「あなたが忠誠を誓っているのは、シャルル王子? それともウォーター国?」


「えっと、それは同じ意味ではないのでしょうか?」


「違うわ、まったく」


 自分の周りのことになると鈍いのね、と女王はぼそりと言った。そして彼の代わりに、彼女は彼らの未来を予想する。ため息とともに。


「シャルル王子がしようとしているのは、大貴族中心の政治からの脱却。そして絶対王政の確立。そうでしょう」


「ええ、まあ……」


 ずばりと当てられて、流石に動揺する。しかし彼が本当に動じるのは、これからだった。


「まさか大貴族たちを討伐して、それで終わりだと思っているのかしら?」


「え?」


「その首領たる者を、排除しなければならないでしょう」


 首領。ダヴィは考えた。その正体を。


 そして、それに思い当たった時、彼は息を飲んだ。


「……国王…………」


 女王はまたコップに口をつける。そして水滴がついた赤い唇をゆがめ、面白そうに、彼らの運命を占うのだった。


「シャルルは父親を殺せるかしら」


「…………」


 答えにきゅうしていると、重い足音と金属同士がカチャカチャとぶつかり合う音が聞こえた。ハワードの登場である。


「只今、参りました」


「ハワード、ダヴィが最後の挨拶をしてくれるそうよ」


 彼の鋭い目がダヴィをじろりと見つめる。今日も顔の大きな傷からは感情が読み取れなかった。重い口を開く。


「帰るのか」


「はい、明日にでも出立しようと思います」


「そうか」


「そういうことよ。あなたも、備えなさい」


 ハワードが何か答える前に、ダヴィは深々と彼に頭を下げた。


「ハワード様。これまで僕たちをお守りいただき、ありがとうございました」


「…………」


「あの厳しい訓練も、パーヴェル王子派からの敵意を向けさせないためだったのでしょう」


 パーヴェル王子派は強硬な考え方をする者が多い。武力による問題解決、領土の拡大路線を掲げている。ウォーター国に毎年冬に襲撃に来るのも、もとはと言えばこの方針があったからだ。これはこの国の伝統的な戦略でもある。そうしなければ多数の好戦的な遊牧民を抱える国をまとめることが出来ない。


 その結果、他国を無条件に敵視する者は多い。本来であれば、ウォーター国から来たダヴィも迫害される危険があった。


 だが、パーヴェル王子に同情してもらった。それがダヴィに手を出させない結果につながった。


 そしてその同情を買ったのは、ハワードのおかげである。


「最近では嫌がらせを受けましたが、それを抑えてくれたのもハワード様でしょう。本当に、ありがとうございました」


「…………」


 ハワードは何も語らない。ただ少し、視線をそらしただけだ。


 女王はおかしそうに笑う。


「ハワード、餞別せんべつの言葉はないのかしら?」


 やっと彼は口を開いた。


「ダヴィ、お前には武芸の才はない」


「はい」


「弱き者は考え続けるしかない。自分の道を探し続けろ」


 ダヴィは厳しい戦いを続けて、生き残った。その自信を彼は打ち砕いてくれた。


(人生は厳しい)


 それを改めて思い出させてくれたのだ。ダヴィは素直に感謝して、頭を下げた。


 女王は頷く。


「ダヴィ、私も餞別せんべつを渡しましょう。来なさい」


 ――*――


 再び女王の部屋を訪れた。あの夜以来である。重い扉を開いて、暗い部屋に入る。この国の王は、あの時と全く変わらない位置で鎮座している。


 正直、この部屋には来たくなかった。トリシャと誓い合った後なのだ。その前の出来事とはいえ、彼女を裏切るような行為を思い出してしまう。


 あの日と同じように、部屋はろうそくの火に照らされている。


 ダヴィはふと違和感を感じた。


「聖女様がいない」


 正円教徒である彼は、必ず部屋に聖女像を置いている。サーカス団のテントにもそれがあった。そしてシャルルの部屋にも。二重円教を信仰するこの国でも、見た限りでは、それは変わらなかった。


 自室に聖女像を置く。それがこの世界の常識である。


 ところが、この部屋はその常識の外にあった。


「意外かしら」


 彼女は椅子に深く座り、尋ねる。ダヴィは立ったまま頷く。


「聖女様を信仰する人は全員飾っていると思っていました」


「それは正しいわ。私は信仰していないから」


「えっ」


 彼女は静かに、告白した。


「私は聖女が嫌いよ」


 ありえない。ダヴィは思考が停止する。


 二重円教のトップ、いや、この世界に生きる者として、それはあってはならない。この世界で生きていけない。


 全身をこわばらせる彼に、彼女は怪しい笑みを向ける。


「驚いた?」


「……はい」


 馬に乗れない、以上の秘密だ。これがばれたら、彼女は間違いなく殺される。


 身体がこわばったままのダヴィに、彼女は座るようにうながす。ダヴィはぎくしゃくとした動きで座った。


「不思議ね。これはウィルバードやハワードにも教えてなかったのに、あなたに教えるなんて」


 ダヴィは背中に動かない国王の視線を感じた。彼もまた、彼女の特別になれなかったのだろう。


 彼女の話は続く。告白というべきか。


「私は異教徒だったのよ」


「異教徒?」


「そうよ。バクス族と同じ、異教徒。この国の西の果てで暮らしていた」


 13歳の時、それが変わった。ソイル国の軍勢が押し寄せてきたのだ。


 その軍勢を率いていたのは、この部屋にいる、カーロス4世だった。彼は捕まえたアンナの美貌に惚れて、自分の妻にした。


 親兄弟を目の前で殺された。そして無理やりベッドに連れ込まれた。そして『こと』が終わった後、肌を合わせながら、泣きじゃくるアンナに対して彼は言った。


 髭面の彼の口から獣のような吐息と共に、彼女が一生忘れない言葉を。


『お前は私の人形だ。私のために命を使え』


「今でも、自分が人形になってしまった現在でも、そんなことが言えるかしら」


 彼女が人形に向ける目は冷たい。それ以来、彼女は自由を失い、自分を連れ去った馬への恐怖から馬除けの鈴を手放せなくなった。自分の人生を奪い、心を壊した彼を、許すことが出来ようか。


「自分の命は、自分のために使いたかった。それだけよ」


 だからウィルバードやハワードと組んで、自分の人生を取り戻したのだ。その行動にいはない。


 後悔しているとすれば、二重円教のトップになってしまったことだと、彼女は言う。自分たちの部族を迫害しおとしめてきた宗教の、頂点に君臨する。何という皮肉だろうか。


「この踊りも踊れなくなってしまった……」


 彼女は立ち上がる。ダヴィも立とうとしたが、彼女に抑えられた。


餞別せんべつよ。見てちょうだい……」


 彼女はスカートの端を持ち上げ、お辞儀をする。そして緩やかに踊り始めた。


 同時に小さな声で、歌いだす。


『厳しい我が父よ 優しい我が母よ

 大地よ 我らを育め

 凍える風よ 照らす星月よ

 神々よ 我らを導け

 薄い緑の染みの中で 我らは踊る

 世界から切り離された大地で 我ら踊る……』


 指先まで力がこもる。しかし大きな動きではない。ローズやトリシャの舞台上の踊りとは全く様相が違う。人に見せつけるような大きな動きはない。見せ場を作る転調もない。


 風に流されるようにゆっくりと舞い、丁寧に、丁寧に、紡ぎ出すように、踊りを重ねていく。彼女が動くたびに、首の鈴が鳴った。


『星空のマントの下で 望み続けよう

 何もない大地の中で 使命を見つけよう

 暗い嵐の中でも 飢えた冬の間でも

 我ら 微笑む 我ら 踊る

 神々よ 偉大な神々よ

 我らを見よ 星々のごとく 』


 祈りだ。これは祈りだ。


 アンナの部族は祈りをささげていた。草原に。風に。星に。


 孤独な彼らの部族の想いが、この踊りにつまっている。今は亡き部族の誇りが、この踊りで表される。


『神々よ 我らの命を見よ

 共に踊りたまえ 共に踊りたまえ 』


 静かに、アンナの踊りは終わった。彼女はダヴィの顔を見て微笑んだ。


「泣いてくれたのね」


 いつの間にか、ダヴィの頬に涙が伝っていた。


 彼はそれを拭わない。彼女の部族、そして彼女自身を肯定するように、ゆっくりと頷く。


 アンナは満足そうに頷き返した。


「異教徒の踊りよ。この部屋でしか踊れない。あなたが始めての観客」


「……なぜ、僕のなのですか」


 彼女は彼にゆっくり近づくと、彼の頭を抱いた。驚いたが、彼女の意志に逆らえない気がして抱かれるままになった。


「ダヴィ、私の愛する男よ」


 彼女は淡々と伝える。それが当たり前のように。


 そして、彼に宣言する。


「私と、あなたは、殺しあう。この世をかけて」


 声が出そうになる。しかし彼女の腕にこもる力が強くなり、豊満な胸に口がふさがれた。


 それでも、恥ずかしさよりも、驚愕が、彼の胸に占めている。


「あの夜、一緒に踊ろうと私は言ったわね。あの言葉は嘘ではないわ」


 彼女の熱い体温が伝わってくる。体が燃えるようだ。


「シャルルでも、他の誰でもない。ダヴィ。私はあなたと踊りたいのよ。命をかけた踊りを」


 ようやく彼女は腕の力を緩めた。吐息がかかるほど間近で、互いの視線が合わさる。彼女は熱を帯びた息を吹きかけながら、彼に言った。


「私を愛しなさい。私しか考えないようにしなさい。私を、解放して」


 アンナはダヴィの口を吸った。ダヴィは拒もうとしたが、彼女の舌が口の中に潜り込んでくる。


 お互いの唾液が混ざり合う。マグマのような思いが、男女の口内を行き来する。


 息が苦しくなり、やっとのことで、彼女は口を離した。


「ごめんなさい。私らしくないわね」


 予想外のことをするのは、アンナ女王らしい、とダヴィは呼吸を整えながら思う。目の前の彼女は口元についた唾液を拭いながら、また微笑むのだった。


「あの子との口づけと、どっちが良かったかしら」


「あの子?」


「サーカス団の、あの子よ」


 トリシャのことも知っている! ダヴィの熱くなった体に、冷たい汗が流れる。


 女王は堂々と宣言した。


「ダヴィ、あの子から奪ってあげる。あなたを夢中にさせるのは、私よ」


「え……あ……」


「これから私のことは『アンナ』と呼びすてなさい。いいわね、ダヴィ」


 強引。傍若無人。絶対者。


 様々な感想が頭の中を去来するが、彼女に反論する言葉は出てこない。


 何も答えない彼に、彼女はまた顔を近づける。


「今回はあなたを帰してあげる。でも、次は……」


 再び唇を吸われた。もはや拒否することは叶わない。彼女のサディスティックな視線が絡みつく。


 ぼんやりと熱に浮かされた頭で、彼女の言葉を聞く。


「この世界のどこにいようと、あなたは私のもの。あたしを楽しませなさい。ダヴィ=イスル」

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