第34話『赤龍の戦い 4』
教皇軍が炎に巻かれてパニックに
彼らの中でも、ミュールの勢いは
「てめえら、俺に遅れるんじゃねえぞ!」
と味方を激励しながら、炎を飛び越えて突撃していく。馬に乗らないのに、その迫力に敵は逃げていく。まるで巨大なイノシシに襲われたかのようだ。
そもそもミュールは大の負けず嫌いだ。それなのにここ数日負け続け、彼の自尊心は悲鳴を上げていた。それをこの反撃で、一気にうっ
それをジャンヌとダボットが遠巻きに眺める。
「あーあ、あんなに暴れて。よくも疲れないもんだよ」
「体力バカとはあいつを示す言葉だろう。役立てばいい」
「冷たいねえ」
ジャンヌは苦笑する。そして南を向く。ミュールが戦うはるか先で、ダヴィが奇襲をかけているに違いない。そしてそこには、自分とも仲が良かったジョルジュもいるはずだ。
ジャンヌは呟き、ダヴィを
「ちゃんとあの馬鹿を殴ってやって、ダヴィ」
――*――
教皇軍の本陣は、前線とは比べられないほど、荒れていた。
次々と異教徒の騎兵に将官が討ち取られ、指揮系統は完全に崩壊した。兵士たちの思考は停止して、陣の外へと逃げていく。
アンドレは焦っていた。スキンヘッドに汗がふき出す。一刻も早くダヴィを討ち取り、この場を収めなければならない。
しかし目の前の2人が邪魔をする。アンドレは殺気を放ち、急所に向かって剣を突き出す。
「あぶね!」
「このやろう!」
ライルがすんでのところで盾で防ぐと、スコットがアンドレに斬りかかる。彼らの見事なコンビプレーが、アンドレにトドメの二撃目を撃たせない。
目の前ではライルがスコットを叱る。
「しっかり斬れよ!」
「だって、あいつ速いから。ライルこそ、ちゃんと反撃してよお」
「そんな余裕ねえよ!」
こんな茶番に付き合っていられない。アンドレは自分の腰のあたりを探った。
(……多少卑怯だが、仕方ない)
アンドレはそこから小さな陶器のふたを取り、そのままそれを投げた。目標にされたスコットの顔に、陶器の中から出た黒い液体がかかる。
「なんだあ?!」
それは墨だった。アンドレはいつでも命令書をかけるように、墨と筆を常備していた。この奇襲を受けた状況でも、彼は完璧に普段の武装していた結果が現れる。
スコットは視界を
「ああ、スコット!」
「そこだ!」
アンドレは残ったライルに斬り込む。ライルは盾を構えるが、強烈な突きで体ごと吹き飛ばす。
「うわああああ!」
ライルの丸い体が転がり、剣や盾を手放してしまう。
アンドレは
「ライル、逃げて!」
地面でうつ伏せに
「終わりだ」
「さて、それはどうかな」
急にライルの身体が反転し、アンドレの顔に粉を投げつけた。その刺激にアンドレは思わず目をつぶり、一歩後退する。
「そらよ!」
ライルはアンドレの腹を蹴りつける。今度はアンドレが転んだ。立ち上がろうとするが、目が開かない。咳き込み、目から涙があふれだす。
その前に、ライルとスコットが立つ。
「ヌーン軍のやつからパクった粉末攻撃だ。どうだ、効いたか!」
これは昔、ヌーン軍のチェザーレがアキレスに使った戦法である。その攻撃に感心したライルは、いつか自分でも使ってやろうと、密かに用意していたのだ。スコットがそれを褒める。
「なんかやるなあと思っていたけど、そんなの用意していたんだねえ」
「やっぱり分かっていやがったな。それで墨が取れねえふりしただろう!」
「えへへ。あたり」
「『危ない!』って言って、くせえ芝居しやがって。バレたらどうするんだよ」
「ごめんよお」
アンドレはまだ苦しんでいる。そんな彼にライルは罵声を浴びせる。
「見たか、ハゲ野郎! 卑怯で俺様たちを上回ろうなんざ、百年早えや! おととい来やがれ!」
「百年も早いのにおととい来たら、もっとダメだよお」
「うるせえ! こういうのは文句が決まっているんだよ」
「くっ!」
アンドレは目が見えぬまま、剣を振るおうとする。しかしスコットがその剣をはね飛ばした。そしてライルが攻撃を加える。
「これでもくらえ!」
ライルの剣が
「しぶてえな」
「でも、勝負あったねえ」
ところが、アンドレは諦めなかった。
なんと、斬られた腕の傷口から噴き出す自分の血で、目を洗ったのだ。そして左手に剣を持ち、2人に振るう。
「うわっ」
「おいっ」
驚いた2人がのけぞった隙に、アンドレは踵を返して炎の中へと走り逃げる。
「あっ、てめえ! 待ちやがれ!」
その時運悪く、炎の勢いが増した。彼らの追撃を防ぎ、アンドレの姿を消してしまう。
「やっちゃったあ」
スコットの情けない声が響く。しかしこの
こんな戦いが行われていた中、その近くでは、もうひとつの決闘が起こっていた。
「あまいぞ、ダヴィ!」
「うっ!」
ジョルジュがダヴィに襲いかかっていた。護衛が離れた隙をつかれ、一対一の状態で戦う。燃え盛る小屋の陰に隠れていたジョルジュに、ダヴィは気づかなかった。
ジョルジュは馬を操り、必死に剣で攻撃をしかける。彼はまともな防具をつけていない。しかしその気迫と不意な攻撃に、ダヴィは押された。
そしてついに、ダヴィは剣をはね飛ばされた。
「ああっ!」
「もらった!」
主人の危機を察したブーケが、ジョルジュの騎馬に体当たりする。ジョルジュがのけぞった。ダヴィは手綱を引いて逃げる。
「待て!」
ジョルジュが追いすがる。あと一歩まで追い詰めた。ここで逃がすわけにはいかない。この強い執念は教皇への忠誠か、それとも自分の意地か、ダヴィへの憧れに似た憎しみか。もはや、区別する必要はない。終わった後に考えようと、ジョルジュは思考を放棄した。
ダヴィは丸腰で逃げる。ジョルジュはその前を塞ごうとするダヴィ軍の兵士の攻撃をかわすことなく、無理やり突破していく。傷だらけになり、服を自分の血で染めながら、目を血走らせて追っていく。
教皇軍の陣の外れの街道の真ん中に、大きな岩山があった。街道を作る際、
ダヴィは
「ブーケ!」
手綱で一回叩く。そして強く引いて、ブーケをその岩山に登らせた。ブーケの巨体が跳躍し、岩山の頂点へと登っていく。
「逃がしはしない!」
ジョルジュも後をついて行こうとする。彼は手綱を引いて、同じように馬を登らせようとした。
しかし馬が怖気づく。前脚を高く上げて立ち止まり、ジョルジュは振り落とされそうになる。
ジョルジュは馬を抑えて、再び岩山を見上げた。
(あっ)
ダヴィが弓を構えている。一瞬の静寂が2人の間を流れた。
「ジョルジュ!」
ダヴィが矢を放つ。その軌道は真っすぐ伸び、ジョルジュの右胸に向かう。
ダンッ。ジョルジュは馬から転げ落ちた。
「ジョルジュ!」
ダヴィはブーケに山を下りさせた。そしてジョルジュの傍に立つ。
彼は地面に横たわっていた。剣はすでに手放し、その目は天を向く。鎧を身に着けていなかった胸から、おびただしい量の血がふき出す。
「忘れていた……馬は、マクシミリアンよりも上手だった……」
ジョルジュは口から血を吹いた。ダヴィは、彼が他の武器を所持していないことを目視で確認してから、傍に寄った。どちらにしろ、もう終わる。
「俺は……死ぬのか……」
「ああ、そうだよ」
「そうか…………やっとだ……」
ダヴィは彼の隣に膝をついて、彼の顔を覗き込む。不思議と、一緒に戦ったあの籠城戦を思い出す。
ジョルジュも同じ気持ちだ。
「変なやつだ……俺を助けてくれた時と、同じ目をしている……」
彼はまた血を噴いた。彼の頬に血のしぶきがまばらに付く。燃える陣から離れたこの場所は、妙な静けさをたたえていた。遠くからようやく、ダヴィ軍の兵士が近寄ってきてくるのが見える。
その中で、彼の目の光は徐々に消えていく。
「私の父は」
ジョルジュは昔の敬語混じりの話し方に戻り、かすれる声で話し始めた。
「決して……好んで裏切ったわけではありません…………母と、妹を、人質に取られていました」
彼の父・アルマは、新興貴族であった。国王への忠誠を示すために、王宮に妻と娘のクロエを奉公に出していた。そこを狙われた。
「……父は家族を愛していました……多くの貴族がシャルル様を見限り……勝機がないと分かっていた…………苦しんでいました……」
その後、母親は自分の責任を感じて
「人生は……苦しみの連続ですね……」
「ああ……」
「すみません……」
ジョルジュの目から涙が一筋流れた。何に対する謝罪だろうか。きっと、ダヴィを含めた全てへの謝罪なのだろう。
「あなたが、ずっと……羨ましかった……」
「ジョルジュ……」
ダヴィはジョルジュの手を取った。昔握った時よりも、ゴツゴツしていて、そして冷たい。
ジョルジュはダヴィの顔から、再び空に視線を移す。煙がかき消えた間から、月と星々を望む。
「ダヴィ……私は……私は、シャルル様に……許していただけるだろうか……」
ダヴィは微笑む。かつての親友に、語る。
「シャルル様はお優しい方だ。きっと、笑って許してくれるはずさ」
「……そうですね……優しくて……素晴らしい…………」
ジョルジュの目からまた涙が零れ、彼の瞼がゆっくりと閉じる。そして再び開くことはなかった。
ダヴィは力を失ったジョルジュの腕を彼の胸に置き、自分も天を見上げる。
自分は独りだけ残った。これからも戦い続ける。
――*――
ダヴィ軍大勝利の報は、すぐにナポラの城に届けれらた。民衆は歓喜し、城内で留守番をしてたルツたちも、手を取り合って喜んだ。大人たちはエラと一緒になって飛び跳ねる。
教皇軍の兵士の多くは生き残った。しかし物資を燃やされ、そして主要な指揮官が消えた状況に、戦意を喪失した。三々五々になって逃げていったと確認された。
聖子女もその報告を聞いた。カリーナはホッと一息つき、そして窓辺に立つ。山の向こうが明るい。ダヴィたちが燃やした火が、ここからも見えた。
あの中ではきっと、多くの人が苦しんでいるのだろう。
「これで、良かったのでしょうか」
「……多くの犠牲が出た」
聖子女も心を痛める。彼女は手を合わせて祈るが、同時に未来へ希望を託す。
「だがこれで、新しき世が始まる」
金歴551年初春。こうしてナポラ近郊の山中に3匹の赤い龍が現れ、20万の教皇軍が飲み込み、教皇の野望をかみ砕く。
そして龍たちは、この地に新たなる王を迎えた。
しかし世界はこの戦いだけで変わるほど、甘くはない。古い政治や文化が反発と嫉妬を覚え、この新しい王に襲いかかるのだ。
第四章 完
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