第33話『赤龍の戦い 3』

 業火が山を覆う。厳しい冬を乗り越えたはず動物や植物が、炎に飲み込まれる。その命を食らって大きくなった赤い龍が、今度は教皇軍に襲いかかっていく。


 アンドレがいる本陣もその龍の襲来を受けていた。山の中腹に位置するその陣全体が真っ赤に染まり、星々の代わりに火の粉が空を舞う。アンドレはこの状況に唖然として、怒鳴った。


「クソが! 奴ら一体どこから現れた。全く動きを見せなかったはずだぞ!?」


 教皇軍はダヴィ軍の奇襲を恐れて、偵察部隊を幾度も送り込んだ。しかし北のダヴィ軍から迂回してくる軍の動きはなかった。


 それもそのはずである。教皇軍の陣を燃やした兵士たちは全員“隠れていた”のだから。


 ダヴィ軍はこの4日間、敗走を続けていた。陣を50回も奪われ、北へと逃げていった。


 ところが、それこそが陽動である。陣を奪われるたびに、少数の兵が分かれて逃げ、その近くの森に伏せる。そしてタイミングが来るまで、そこで待機させるのだ。当然、そこから動かない。アンドレたちは敵の傍で眠っていた事実に、今まで気づかなかっただけだった。アキレスたちが激しく戦ったのも、その目くらましである。


 炊事の煙が出ないように、彼らは携帯食料だけを食し、木の根元で過ごす。毛布はなく、夜は身を寄せ合って寒さをしのぐ。厳しい訓練と、聖子女への信仰心、そしてダヴィへの絶対的な信頼が、彼らの行動を可能にさせた。


 そしてその苦労は今、花開く。


「あわてるな。すぐに消すんだ! こんな小細工、通用するものか」


「アンドレ様、敵が!」


「なに?!」


 ジョムニとダボットの作戦は、この火計だけではない。アンドレの耳に騎馬の音が聞こえる。


「馬鹿な。一体どこから……」


「山の上からです!」


 アンドレが山を見上げる。すると、闇の森を駆け下る騎馬集団を発見した。教皇軍の兵士が叫ぶ。


「奇襲だ!」


 その声を理解する暇なく、騎馬部隊が森の中から陣へと突撃してくる。慌てて槍を持つ教皇軍の兵士を蹴飛ばし、燃え盛る陣に侵攻した。


「長年、馬を走らせてきたが、まさか炎の中に飛び込むとは思わなかった」


と教皇軍の兵士を斬り捨てながら、異教徒の騎兵が苦笑する。


 もう一つの策とは、この異教徒の軽騎兵である。彼らは炎が上がると同時に、ナポラから出発し、森の中を隠れながら走ってきた。普段から森で馬を走らせる彼らしかできない芸当であり、アンドレが驚いたのもその点だ。街道を押さえてしまえば素早く進撃できないと考えていた教皇軍の常識を打ち砕いた。


 そしてこの奇襲部隊の中に、ダヴィの姿もあった。


「将校だけを狙うんだ! このチャンスを逃すな!」


「おのれ、ダヴィ!」


 ブーケに乗って指揮をするダヴィを見つけて、アンドレは剣を抜いて迫ろうとする。ところが、立ちふさがる兵士たちがいた。


「おっと、ダンナには近づけさせねえよ」


「むっ!」


 ブンッと振ってきた剣をかわし、アンドレは体勢を整える。目の前に現れたのは凸凹コンビ、ライルとスコットだ。


「ちょうどいいところにいたねえ」


「おう! って、それを言うなよ! 俺たちが近くで潜んでいたってわかるじゃねえか」


「ライルだって、全部バラしているじゃないかあ」


「おっと」


 アンドレは鷹のような眼で、2人を睨む。


「お前らはダヴィ軍の幹部だな」


「おっ! 俺たちの顔を知っているのかよ」


「おいらたち、有名になったねえ」


「ダヴィの戴冠式にいたな。その下品な顔は見忘れないぞ」


とアンドレに言われて、2人は口をへの字に曲げる。しかしスコットが頬の傷をポリポリとかきながら、ライルに言う。


「こいつ、敵の大将だろう。じゃあ、こいつを倒せば、本当に有名になるよお」


「良いこと言うじゃねえか、スコット。そりゃそうだ」


 ライルとスコットは剣と盾を構える。彼らの顔が真剣になる。アンドレもまた、構え直した。


「その禿げ頭、かっ飛ばしてやるぜ!」


「やっちゃうよ!」


「三下ども! 来い!」


 その傍らで、同じ陣にいたジョルジュもダヴィの姿を認めた。味方の兵士に声をかける。


「アンドレ様が危ない! すぐに応援に向かえ」


「分かりました! ジョルジュ様は?」


「俺は……」


 テントの隣につないでいた自分の馬に飛び乗る。炎に怯える馬をなだめながら、奇襲に不覚を取られ平服のままだったが、目に闘志を燃やす。そして兵士に言う。


「ダヴィを殺す! この手でけりをつけてやる!」


 ――*――


 教皇軍の前線の陣も、炎に包まれていた。ベルナールは目元をぴくぴくと動かし、状況を確認する。部下に落ち着くようにと命じていると、炎の中を駆けてきた兵士から報告を受ける。


「ダヴィ軍、襲来!」


「やはり来ましたか」


 この火計が敵の仕業だとしたら、ここで襲ってこないわけがない。ベルナールは部下に馬を引いてこさせ、北へと向かう。


 そこには予想通り、アキレスがいた。味方を指揮しながら、果敢に攻撃してくる騎士の頭を、パルチザンを振り下ろして潰している。怒るベルナールは恐ろしい笑みを取り戻した。


「アキレスー!!」


 彼の叫びに、アキレスは反応する。片目しかない顔を向けると、その表情に余裕の笑みを浮かばせた。


「よう、ベルナール。どうだ、炎の味は?」


意趣いしゅ返しですか。結構結構。ではここで死んでもらいましょう」


「焦るな。ゆっくり楽しむのも、お前の得意分野だろう」


「言ってなさい!」


 ベルナールはウォーハンマーを上段に構え、馬を走らせた。そして全力で、アキレスに振り下ろす。


 ガンッと鈍い金属音がアキレスは冷静に受け止める。炎に照らされた2人の影が重なる。


「お前らの負けだ、ベルナール!」


「いいえ、負けていません。小生は聖女様に愛されている! ここであなたも、ダヴィも、小生が打ち殺してあげましょう!」


 アキレスはベルナールの細い目が充血しているのを見た。せり合っていた武器を押し返し、距離を離す。


「狂人め」


「小生は正常です。聖女様に従わない、あなた方が異常。排除されるべき存在だ!」


 再びベルナールは馬を走らし、アキレスに打ち込む。本来なら大振りに相手の鎧を打ち砕く働きを持つウォーハンマーが、まるでレイピアのような細い武器を扱うかの如く、鋭い攻撃を繰り返す。全く無駄のないベルナールの身体が生み出すしなやかな攻撃に、アキレスは押されていく。


 ベルナールはわらう。


「どうしましたか、さっきの威勢は!」


「くそっ」


 アキレスはこの数日の疲れが取れていない。昨日の戦闘と同様に、体の動きは鈍い。ベルナールの攻撃を受け流す体力しか残っておらず、なかなか反撃できない。


「ひゃははははは!」


 ますますベルナールの攻撃が激しくなる。彼の狂気に似た笑い声と一緒に浴び、アキレスの表情に焦りが浮かぶ。


 このままではいけないと、アキレスはパルチザンを引いて、攻撃しようとする。


 しかし、ベルナールの方が速かった。


 最上段にウォーハンマーを構え、アキレスの頭を目標に捉える。アキレスの目が見開き、ベルナールはこの上なく笑った。


「死ね」


 その時だった。彼の振りかぶった動きに合わせて、首にぶら下げていたネックレスが服から飛び出た。その金属製の真円のマークに炎が反射して、一瞬光った。


 ベルナールの目がくらむ。


「……っ!」


「そこだ!」


 アキレスは見逃さない。ほんの少し動きが止まったベルナールの腹を、パルチザンで斬り裂いた。彼の白い僧服が斬り裂かれ、真っ赤に染まる。


「はっ……ふっ……」


 ベルナールの呼吸が途切れ途切れになる。彼の内臓と思しき赤黒い物体が傷口からはみ出て来る。ベルナールは馬から転げ落ちた。


 天空に月が輝いている。彼は自分が作った血だまりの中で、それを眺めた。そして胸元の真円を血まみれの手でつかむ。


「な、なぜですか……聖女様……どうして小生が……」


 そこまで呟いた時、彼ははたと気が付いた。そしてにんまりと口角を上げる。


「そういうことですか……小生を……お側に置きたいのですね……ああ、すばらしい……」


 ベルナールは腰につけていた小刀を取り出すと、それを両手でつかみ、ためらわずに喉へと突き刺した。


 ごぼごぼと血のあぶくを吐く。やがて白目をむいて、呼吸を止めた。


 その一部始終を見ていたアキレスは、馬から降り、ベルナールの最期の表情を眺める。彼は笑っていた。


 アキレスはふうと息を吐き、聖女のところに向かっているであろうベルナールの魂に言い捨てた。


「二度と、この世に来るな」

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