第32話『赤龍の戦い 2』

 翌日からも教皇軍の攻勢は続く。一度や二度はアキレスたちに潰走かいそうさせられても、新しい軍がその後ろから現れる。晴れやかな春の陽気とは裏腹に、ダヴィ軍の兵士たちに表情は暗い。


 その中でも、ダボットは一段と顔をしかめている。


「敵の進みが速いな。ためらいが無い」


 彼の若禿げの頭には包帯が巻かれている。昨日の戦いで流れ矢がかすったからだ。ジャンヌがその包帯を巻き直してあげながら、同意する。


「いくら相手の指揮官を倒しても、次のがすぐに現れるんだよ。あたいの矢だって尽きちゃうさ」


「教皇軍は雑多な軍だ。指揮系統もままならないはずだが、それを強引に攻めさせる。指揮官はアンドレ=ヴァレントンといったか。やつの評価を改めないといけないな」


 アンドレは先の戦いから学んでいた。あの時は5万の軍勢だったが、それでもベルナールや貴族たちが勝手な行動をした。そこで彼は自分の息のかかった騎兵を各軍に送り込み、彼らの指揮権をその軍を率いる貴族らよりも優越させるように、教皇を説得して命じさせた。これがここまでのスムーズな戦いぶりにつながっている。


 そしてもうひとつ、彼らは秘策を用意していた。


「南の隣接都市に、各地から物資が集まってきています。それを運ぶ馬車も確保しました」


とジョルジュが報告する。アンドレは満足そうに頷いた。


 先日の戦いで教皇軍が敗北した原因が、物資の不足である。長期戦を予期していなかったため持ってきた物資は少なく、補給路も確保していなかった。今回は万全を期して、準備している。


「補給路の状況はどうだ」


「今のところ、敵の妨害はありません。街道の途中途中に拠点を設けて、そこに兵士と物資を置いています。敵が道路を塞いでも、すぐに対応できます」


「うむ」


「幸運にも、敵の放棄した陣が活用できました。拠点建設はスムーズに進んでいます」


 これはジョルジュの立案だった。先日の戦いでは、街道を直しても直しても、どこからか現れたダヴィ軍の破壊工作で補給路が断たれた。その度に、ナポラから兵士を派遣して修復させる。各所に拠点を設けることで、ダヴィ軍の破壊部隊の行動を監視し、破壊されても修復部隊の派遣も即座に行えるのだ。


 本来なら一日でナポラまでたどり着く街道を、数日かけても抜けられない。しかしアンドレに不満はなかった。


「これなら相手が山に籠っても、じっくりと腰をえて戦えるな。この調子で頼むぞ、ジョルジュ」


「分かりました」


「もう少し早く攻め上りたいところですが、仕方ないですね。ネズミを捕らえるのも一苦労です」


とベルナールがため息をつく。しかしその細い目は将来の虐殺を期待して、ほのかに笑っているように見えた。アンドレは目をそらし、その場にいた将校全員に激を飛ばす。


「ここでアキレスやミュールらの中から一人でも討ち取れれば、それだけで敵に大打撃を与えられる。攻勢を緩めるな! 奴らを疲れ果てさせろ!」


 彼の命令はすぐに前線に伝わる。補充のないダヴィ軍は徐々に戦う兵士の数が減少し、残った兵士の目もうつろになってきた。


 敵が襲ってきてからまだ少ししか経っていないのに、ミュールは撤退命令を出さざるを得ない。


「くそが! てめえら、退け!」


「ミュール様は?」


「俺が殿だ。急げ!」


 ミュールは徒歩のまま、敵の兵士に立ち向かう。騎兵には剣を振り上げてその腕を斬り飛ばす。槍を構えた歩兵には、その攻撃をすり抜けて、首筋を斬り裂く。


 敵の誰かの剣先が、ミュールの頬を裂いた。彼の傷だらけの顔に、また新しい傷がつく。ミュールはその傷口から流れる血を舌で舐め、また出てきた新たなる敵に対して、剣と盾を構える。


「ナポラには一歩も入らせねえ! かかってきやがれ!」


と怒鳴ったその時、後ろから騎馬が現れる。ジャンヌだ。迫ってくる敵に何本か矢を放つと、ミュールの傍に寄る。


「何やっているのさ!」


とミュールを叱りながら、彼の頭をペチンと弓で叩く。ミュールが睨んだ。


「いってえな。何するんだ!」


「撤退だって、自分で言ったじゃないか。こんなところで死んだら、困るんだよ!」


「俺は死にやしねえよ!」


「うっさい! 早く乗って」


とジャンヌは手を伸ばす。ミュールはしぶしぶその手を握り、彼女の馬に乗った。そして敵の攻撃をかわしながら、また後ろの陣へと逃げていく。


 戦闘が始まってから、今日で4日目だ。最初は丸一日、陣ひとつ取られるまで粘っていられた。ところが今日に至っては、一当てされただけで敗走してしまう。


「おい、ちょっとヤバくねえか」


「兵士たちの疲労がピークなんだ。このままじゃ、もたない」


とミュールとジャンヌが会話する通り、教皇軍の侵攻スピードがますます速くなっている。それを理解すると、自分たちの粘りが無駄な気がしてきた。


 アキレスも苦戦を強いられていた。彼は息つく間もなく、襲いかかってくる敵を退けている。その奮闘する姿は、敵味方問わず、さすがと思わせる。


 しかしながら、彼の前に奴が現れた。


「ベルナールか」


「お久しぶりです。あなたが討たれないか、ひやひやして、出てきてしまいましたよ」


とウォーハンマー片手に、ベルナールが馬に乗って現れる。彼はアンドレの制止を聞かず、前線に出てきたのだ。


 彼の今の望みはただ一つ、アキレスの首だ。


「傷の具合はいかがですか。おやおや、痛そうですね。あの時小生がしっかりと殺してさし上げればよかったのですが」


「ほざくな!」


「あなたは小生の獲物です。さあ、戦いましょう!」


 ベルナールは馬を走らせる。アキレスも対抗して、駆けだした。


 両者がぶつかり、つばぜり合いになる。しかし疲労がたまるアキレスが押され始めた。


「しっかりしてください。これじゃあ、楽しめないじゃないですか!」


「くっ!」


 前の時とは異なり、アキレスが防戦一方になる。打ち込んでくるウォーハンマーを、受け止め、かわし続ける。ベルナールは満面の笑みになっていく。


「さあさあ! あなたの頭の中身を見せてくれませんか」


 ベルナールのマフラーを巻いた首にぶら下がる真円のマークのネックレスが、ハンマーを振るう度に跳ねている。彼の心の高揚を表すかのようだ。


 アキレスは連続する攻撃を嫌がって、パルチザンを振るった。その先がちょうど、マフラーの先を斬り裂く。


「おや?」


「…………っ!」


 マフラーが舞い上がり、ベルナールは手を止めた。その隙をついて、アキレスは馬を返して逃げる。ダヴィ軍の兵士たちもその後を追った。


 ベルナールはボロになったマフラーを外して、地面に捨てる。彼の首筋に『赤蛇』の名を示す鞭の跡が見えた。


「いいでしょう。疲れたあなたを殺しても、つまらない。またの機会にしましょう」


 彼はアキレスを追わずに、自分の首にネックレスをかけ直した。その真円のマークに口づけする。


「ああ、偉大なる聖女様。地上の楽園の完成はもうすぐです」


 その頃、本陣にいたジョルジュは地図にマークしていく。それは落とした敵陣を示す。その数は合計で50になった。


「ここまで来たか」


 筆から手を離し、ジョルジュは地図を見つめる。もう日が暮れる。今日の侵攻はここまでだが、この分だと明日にはナポラにたどり着く。


 彼は地図上のナポラに人差し指を置いた。そこにはダヴィと聖子女がいるはず。


「つくづく運が無いな、ダヴィ」


 主君を殺され、クロス国に逃げてきた。そして『正円教の史上最悪の反逆者』の汚名を着させられ、殺されるのを待っている。


 ジョルジュはふと、昔一緒に籠城した記憶を思い出す。あの時は一緒にファルム軍に怯えていたが、今では追い詰める側だ。しかし、彼に高揚感はない。あるのはむなしさだけだ。


 それでもジョルジュは前に進む。あの世でシャルルやマクシミリアン、そしてダヴィに唾を吐きかけられても、自分は生き残る。それが彼の正義だ。


 ジョルジュはナポラの名前を指ではじく。


「チェックメイトだ、ダヴィ」


 ――*――


 山の空が黒く染まっていく。今日も星々や月が輝き、戦いに飽いた街道が静寂に包まれる。冬を思い出したように、冷たい北風が木々を抜けていく。


 その様子を、山の上から眺めている小さな影があった。車いすに座る彼は、街道に連なる教皇軍の陣の明かりを眺める。


「時は来た」


 彼は部下の兵士に命ずる。その兵士は特殊な細工をした矢を、夜空に向けて、放った。


 ピュウと、森や山に鳴り響く。動物や人が耳をそばだてる。


「なんだ?」


と教皇軍の兵士が眠い目をこすって呟いた。風にしては変な音だった。


 まあ、明日調べたらいいだろう。そう思って寝床に戻ったその時だった。テントの幕がブスリと音を立てる。


「なんだ?」


 今度は疑念を抱いている暇はない。その音を立てた場所から、火が上がる。見る見るうちにテント全体が火に覆われ、兵士たちは驚いてい出て来る。


「なんだよ、おい?!」


 そのテントだけではなかった。教皇軍の多くのテントや小屋に火矢が突き刺さり、闇に閉ざされていた視界が一気に明るくなる。


「消せ! 消せ!」


 そんな声も聞こえるが、兵士たちは右往左往して逃げまどう。テントから出た火は風に乗って燃え移る。瞬く間に、陣全体が火だるまになった。


 50以上の陣が一斉に燃える。山の上では、ダヴィがジョムニの肩に手を置いた。


「じゃあ、行ってくるよ」


「お願いします」


 ダヴィがブーケに乗って駆け出した後、ジョムニは敵陣が燃える様子をジッと眺めていた。


 三本の街道沿いに火が走っていく。ジョムニには、まるで三匹の赤い龍が飛び立つように見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る