第15話『王子の話し相手』
夏も半ばを過ぎ、夕方にはウォーター国に冷たい海風が吹き始める。人々が秋のにおいを感じ出した頃、サーカス団『虹色の奇跡』の出立が決まった。
今度はファルム家の一族であるザルツボーグ公に雇われ、秋から冬にかけて彼の領内で公演する予定になった。ウォーター王との契約もこの月をもって切れるので、このサーカス団にとっては願ったり叶ったりのタイミングである。
そしてその出立とは、ダヴィにとって、シャルルとロミーの契約通り、一時的にサーカス団と別れることを意味する。
ダヴィは明日から住むシャルルの屋敷へ案内された。大人にとっては小さな使用人部屋も、彼にとっては初めての自分の部屋である。自分のためだけに用意された古ぼけたベッドやタンスを見て、気分が高揚する。
自分の狭い部屋を目を輝かせて探索するダヴィを、部屋の外から眺めて、シャルルはクスクスと笑った。
「まったく。十歳とは思えない考えをするかと思えば、そうやって年相応に戻るのだから。君は見ていて楽しいな」
見られているとは気が付かなかったダヴィは、顔を赤らめる。その表情を見て、シャルルはますます笑った。
「すまない、笑ってしまって。このくらいで部屋の見学は済んだだろう。来なさい。この屋敷での君の仕事を伝えよう」
シャルルはダヴィを応接間まで連れてくる。促されるままにふかふかの椅子に座らされたダヴィは、居心地悪そうにもじもじとおしりを動かした。
シャルルはダヴィに仕事を伝える。
「昼間は先生のところで勉強しなさい。夜は俺の話し相手になってもらう」
ダヴィは頷いた。実はもうすでに知っていた。この屋敷で働く年配の女給仕からこう聞かされていたのだ。
『シャルル王子の話し相手になってちょうだい。あの方、普段優雅に生活していても、急に立ち止まってぶつぶつと呟き始めるのよ。それがちょっと怖くってね』
自分に従事している人からそんな風に思われていますよ、とは決して明かさず、ダヴィは話し相手になることを了承した。
「結構。さて」
シャルルは腕を組んで、ダヴィを観察する。
「この数か月でどんなことを学んだのかな」
ダヴィにとっては濃密な数か月であったことは間違いない。将来の側近候補の成長を知っておきたかった。
彼は少し間を置いた後、答えた。
「世界の大きさと、自分の小ささを知りました」
実際に自分たちが住む世界の全体像を見たのは、初めての経験であった。そしてその世界を構築した歴史を学ぶ。自分が想像していたよりも世界は深く、そして広い中身を持つと知った。この教育を経て、ダヴィは相対的に自分の小ささを知る。
知るべき知識・知恵がたくさんある。それは彼にとって幸福に感じられた。
シャルルはその答えに満足そうに頷く。彼もまだ十六歳だが、人生の先輩としてアドバイスを送る。
「複雑に考えすぎないことが大事だよ。自分にとって大切なことだけを見極めな」
「はい」
「俺は先生に見放された問題児なんだ。俺の分まで勉強してくれ」
ウインクするシャルルの姿を見ながら、ダヴィはマザールの言葉を思い出していた。
『シャルル王子はわしが教えた中で一等優れた生徒だ。もう王子に教えることは何もない。この国の頑迷な政治を変えるのは、彼しかいまい』
見放されたどころか、免許皆伝を与えられて卒業したに過ぎない。まだまだマザールに怒られてばかりの自分たちにとって、身分の違いはあれど、憧れの先輩としても見ていた。
ところで、とシャルルは話を変えた。
「今までお世話になっていたサーカス団と別れることになるけど、寂しくないのかい」
ダヴィの身体がびくりと震える。彼は目に力を入れて、宣言する。
「……さみしくないです。大丈夫です!」
声が上ずっている。強がるダヴィの姿に、シャルルは再びクスクスと笑った。
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