第14話『同期と会話し、妹たちに奇襲を受ける』

 夏が近くなり、稽古するたびに汗が垂れるようになってきた。サーカス団の宿泊地にまた豪華な馬車が着く。相変わらず水はけの悪い土地柄、馬車の車輪に泥がついた。


「今度はだれ?」


 トリシャが入り口に向かうと、そこには大きなサーカス団員に囲まれた小さな2人の女の子がいた。その顔を見て、トリシャがつまらなそうに、半目になる。


「なあんだ。ルツとオリアナじゃない」


 トリシャの顔を見て、不安そうだった二人の顔が輝くが、すぐにツンとした態度をとる。


「トリシャ、お兄さまはどこ?」


 茶色の髪を中分なかわけにして、背中まで伸ばした女の子が、腕を組んで偉そうに尋ねた。もう一人のおかっぱ頭の女の子は、その子の後ろに隠れている。


 トリシャは「相変わらずだね」と両腰に手を当てて、あきれた様子で叱った。


「トリシャ“さん”でしょ。敬語ぐらい使いなさいよ」


「いいわよ、トリシャだもの」


「それで、どこ?」


 もう一人の方もつっけんどんに尋ねてくる。こういうところは姉妹だな、とトリシャはこめかみをひくひくとさせつつも、年上らしい大儀さを見せて答えてやった。


「あんたたちのお兄ちゃんは別の場所で勉強しているわよ」


「勉強? なんで?」


「サーカスの練習は?」


「今日は休息日よ。あいつは他の仕事をしているの」


 場所はどこどこよ、と答えてやると、姉妹はお礼ひとつ言わず、馬車に飛び乗ってさっさとその場を後にした。


 残されたトリシャは苦り切った表情でその馬車を見送る。馬車が急に走り出したせいで、はねた泥が顔についた。ますます腹が立つ。


「どういう教育しているのよ! ダヴィがあまいからいけないんだわ。この代わりに、ダヴィをいじってやるんだから!」


 ――*――


 突然、ダヴィの身体がブルブルと震えた。マザールの家で、分厚い経済の本を読んでいる最中であった。


「どうしたのですか?」


「なんか、急に寒気が」


「寒気って、今は夏だぜ」


 一緒に本を読んでいたマクシミリアンが心配して肩を叩き、ジョルジュは半開きにしていた窓を閉めてあげた。


 マザールのところに連れられてきてから数か月、彼らは気の置けない仲になった。基本、おとなしいダヴィが聞き役となって他の二人の緩衝材として、仲良し三人組を作り上げた。ダヴィが来るまでは、マクシミリアンとジョルジュはいつも言い争っていたと聞く。


 マクシミリアンとジョルジュは全くもって対照的な性格だ。勇猛な父を持つマクシミリアンは勉強は苦手だが、剣技は同年代の少年たちを歯牙しがにもかけない腕前を誇っている。それを以ってマザールに師事する前までは、首都に常駐する騎士の息子たちのガキ大将として暴れまわっていた。


 一方でジョルジュは、優れた財務能力を以って下級貴族から経済官僚として成り上がった父を尊敬して、幼少から部屋に籠って勉強を励んでいた。その知識量は、十歳にして成人した大人の多くを論破してしまうほどであり、本人はそれを鼻にかけていた。その反面、剣しか取り柄のない武官をあなどっている。


 こんな二人が合うわけがない。


 こういう二人にとって、ダヴィはバランサーとしてちょうど良かった。武芸も知識もない平民のダヴィは自然と低姿勢で彼らに接し、その結果、二人の自尊心を守り、喧嘩のない穏やかな空気を醸成じょうせいさせる。


 しかしダヴィは彼らに従っていたわけではない。最初にダヴィが自分が平民で、しかも元奴隷のサーカス団員と告白した時に、彼らは


「すげえ! あんな技もできるのか?」


「色んな所に旅したのでしょ! どうでした?」


 と軽蔑するどころか、うらやましがった。彼らが伝統的な貴族生活を送ってこなかった家系であることは大きいし、先日彼がシャルルを助けたことも知っている。自分たちの仲間としてすぐに受け入れた。


 ダヴィにとっては


(自分を褒めてくれる!)


 得難い友達を得た。そう思ったからこそ、彼らの仲を喜んで取り持った。この意図しないダヴィの働きに、傍目から見ていたマザールは彼への評価を改める。


 話は戻り、ダヴィは二人に心配するなと首をふる。

 

「大丈夫。多分、いつもの寒気だから」


「はあ?」


 両耳の金の輪が揺れる。ダヴィの鋭い勘が、トリシャの怒りを知らせていた。そんな姿を見て、2人は冷たい視線を投げかけ、読んでいた本に目を戻した。


 ところが少しの後に、マクシミリアンはつまらなそうにあくびする。飽きたのだ。


「先生もいないし、こんな本読んでいてもつまんねえよ。ダヴィ、遊ぼうぜ。また本積み競争でもするか」


「なに言っているのですか。貴重な本を、遊びに使うなんてもってのほかです。また先生に怒られます」


「うっせ! 頭でっかちは黙ってろ。ダヴィ、やるぞ」


「う、うん」


 その時、外から馬車がやってくる音が聞こえた。この屋敷の前に止まったことが分かる。


「やべ! 先生だ」


「ほら、ちゃんとしてないと」


「お前もしずかにしろ!」


 三人は読書に戻る。ところが、ミセス・ジュールが出迎えたはずの玄関から聞こえてきたのは、元気な女の子の声だった。


「おにーさま! いますかー!」


「ルツ?!」


 マクシミリアンとジョルジュが首をかしげる中で、ダヴィは本を置いて椅子をおりた。


 ちょうどそのタイミングで、部屋の扉が開き、茶色の長い髪を振り乱した少女が駆け込んできた。


「おにーさまー!!」


 そしてダヴィに飛びついて、全部の手足を使って抱きしめた。床の上で「いたたた」と顔をしかめるダヴィの胸元に、その少女は子犬のようにごしごしと顔をこすりつける。他の学友は目を丸くする。


「ルツ! なんでここに?!」


「そんなのどうでもいいじゃないですか。お兄様、お久しぶりです!」


 トリシャに教えてもらったと意地でも言いたくないのか、ルツはただただ兄に甘え続けてギュッと抱きついた。


 急にダヴィの頭を撫でてきた者がいた。ダヴィが見上げると、茶色のぱっつん前髪の女の子が、ジッとこちらの目を覗きこんでいた。


「オリアナもいたんだな」


「兄さま、ひさしぶり……」


 やっとマクシミリアンが声を上げる。


「ダヴィ、こいつらは一体?」


 十分にダヴィに触り終えた少女たちは立ち上がり、スカートの端を持って丁寧に二人に挨拶する。


「ごあいさつが遅れました。わたくしはイスル家長女のルツと申します。お兄さまの妹です。お会いできて光栄です」


 後に『天秤女神』と称えられた政治力・調整能力の高さを誇る女性政治家となるルツ=イスルである。


「同じく、オリアナ……ルツとはふたご……よろしく」


 こちらも後に、『陰姫』として、諜報面で暗躍する著名な策謀家となるオリアナ=イスル。この時はまだ七歳であった。


 如才じょさいない挨拶をするルツと、不愛想なオリアナと特徴は異なるが、どちらも顔が整っている少女を見て、マクシミリアンはどきりと心がはねた。一方でジョルジュは彼女たちの名乗りで気が付く。


「やっと分かった。君たちはあの有名な貿易商イサイ=イスルの子供たちなのですか?!」


「そうですわ。西海一の貿易商、イサイ=イスルは私たちのお父さまです」


「マジかよ。だったらなんで、ダヴィは奴隷なんかに」


「………」


 ダヴィが口をつぐむ間に、オリアナが彼の袖を引いた。


「兄さま、家に戻ってきて」


 オリアナの言葉に、ルツも同調して彼の袖を引く。


「そうですわ。お兄さま、こんなところにいないで、私たちの家に戻ってくださいまし」


「父さまも心配している」


「勉強がお好きなら、家庭教師をやとえばいいですし「ぼくは行かない!」」


 妹たちの言葉をさえぎって、彼は強く拒絶する。


「ぼくはあの家から捨てられたんだ。絶対に帰らない。それにミーシャさんもいるし」


「ダヴィ……」


 知る由もない彼の事情をおもんばかって、マクシミリアンが心配する。彼の顔に現れた表情を見ると、部屋自体が暗くなったように感じられた。


 その一方で、ハッキリと断られてしまったルツが頬を思いっきり膨らませる。そして突然飛び上がって、小さな口でダヴィの首筋に噛みついた。


「いったあ!」


「フンッだ! 私たちと一緒に住みたくないお兄さまなんて、知らない!」


 そう言うとルツは、扉へ勢いよく走っていく。そして噛まれた首を抑えながら膝をついたダヴィに向かって「ベー」と舌を出したと思うと、玄関から飛び出していった。兄・ダヴィは唖然として、その後姿を見送った。


 すると、その抑えた手をやさしくほどかれ、今度は柔らかい湿った感触が彼の首筋を襲う。


「うひゃあ!」


「兄さまのキズを、いやしてあげる……そのかわり、今度は兄さまから……会いにきてね」


 もう一人の妹のオリアナがダヴィの首筋をなめていた。ダヴィが慌ててまた首に手を当てた時には、オリアナも扉から姿を消していた。


 呆然ぼうぜんと床に座り果てるダヴィに、一部始終を見ていた友人たちはそっと肩に手を当てた。


「大変ですね」


「大変だな」


「…………うん……」


 この破天荒な、歴史上最も有名な女性のうちの二人となる少女たちを、彼女たちよりも年上のはずの、こちらも数奇な運命をたどる少年たちは、師のマザールにとがめられるまで、いつまでもほうけていたのだった。

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