第7話『征服者の覚悟』
実は、ダヴィはヴェニサにいた。マケインを見送った後、ジョムニがヴェニサの行政府の一室に入ると、そこにはダヴィがいた。椅子に深く座り、にこやかに迎える。
窓の外では太陽がサヨナラを告げて水平線に沈み、紺色の衣を来た夜がコンニチハと挨拶する。ロウソクの灯だけが人に輪郭を与えていた。
「行ったかい?」
ジョムニは車いすを押してくれた部下に礼を言って帰らせ、ダヴィの正面に向かう。そしてニヤリと笑って答える。
「行きました。納得したような、していないような顔で帰りましたよ」
「そうだろうね」
ダヴィは余裕の表情で頷く。金輪の耳飾りがロウソクの鈍い明かりでキラリと光る。
その時、扉をノックする音が聞こえた。
「誰だ」
「入りますよ」
遠慮なく入ってきたのは、マセノだ。
「お二人の悪巧みの裏側を聞かせてもらいたいと思いまして」
「悪巧み、ですか」
「かけてくれ」
ダヴィに促されると、マセノはダヴィの隣の椅子に座る。三者が円を描いて向かい合って座る。マセノはからかうような笑みを見せて尋ねた。
「今回の件はダヴィ様とジョムニ、ダボットしか全容を知らない。あまり
「相変わらずですね……」
ジョムニが
「確かゴールド国出身だったね。自分の故郷が心配になったのかな?」
マセノは少し視線を外して肩をすくめる。
「心配、というほどではありませんが、行く末ぐらいは知っておこうと」
「そうか……分かった、話しておこう」
「ダヴィ様」
「ジョムニ、いいんだ。さて、どこから話そうか……」
ロウソクが灯る薄暗い部屋で、横顔を赤く照らされたダヴィがボツボツと語り始める。彼のオッドアイが怪しく光った。
「まず俺たちはゴールド国にある噂を流した。大量の行商人に化けたスパイを送り『ソイル国が攻めてくる。奴らは大量の船大工を雇った』と」
「そこから彼らを
「そうだ。ソイル国は集団戦を得意とする近衛部隊が拡充したと言っても、まだまだ海戦には不慣れだ。ゴールド国攻略に踏み出すのは時間がかかる」
ソイル国はダヴィとハリスとの協定により、ファルム国の支援を受けられなくなったウォーター国への南進を開始した。ゴールド国攻略は二の次になるだろう。その隙に、ダヴィはゴールド国を狙った。
「ゴールド国にそのまま攻め入れば、必ず強固に抵抗してくるでしょう。そこで彼らから援助を乞われるような状況を作り、彼らの
とジョムニに説明されて、マセノは腕を組んで
「……愚かなマケイン=ニースはいまだに
「戯曲としては、これは悲劇かな? 喜劇かもしれません」
笑うジョムニに対して、マセノはいつもの冗談を発さず渋い顔を見せる。自分の故郷がこうも簡単に騙され、
「ダヴィ様」
マセノは問う。
「あなたはゴールド国をどのようにしたいのですか。完全に服従させるつもりでしょうか」
「服従ではない」
ダヴィはハッキリと、丁寧に言った。
「俺はゴールド国を征服する。従属は認めない」
ロウソクの炎が揺れる。窓から隙間風が入ってきたのだろうか。だがマセノはそれに気を配ることは出来ない。ダヴィの強い眼光から視線を外せない。
彼はそれを跳ね返そうと、語気を強くして尋ねる。
「なぜそこまでされるのか! ゴールド国の力を求めるなら、従属させるだけでいいではないですか! それをわざわざ血を見る方向で進めようとする。それに巻き込まれる民の気持ちを、数百年の歴史とプライドを、ダヴィ様は考えられているのか!」
それを言ってからマセノは、自分が立ち上がっていたことに気が付く。「失礼……」と言ってゆっくりと椅子に座り直す彼に、ダヴィは全く動揺せずに言う。
「残念ながら、俺が征服せずともゴールド国は滅びるだろう」
「え……」
ジョムニがダヴィに追随する。
「マセノさん。ダヴィ様の言う通りです。もはや世界は動き始めました。黄金の七大国で保ってきた絶妙な世界バランスは崩れました。旧態依然のまま変わろうとしない国は、新たな波に飲まれるでしょう。ウォーター国も、ヌーン国も。そしてゴールド国はいずれはソイル国に
「それは……予測に過ぎない……」
「大津波の前で立ちすくむ老人の運命を察するのは、単なる予想でしょうか。確信すら覚えますよ」
マセノは頭では理解できても、心が納得しない。頭を振り、長い髪が乱れる。ため息に似た呟きがもれる。
「だったらその老人に手を差し伸べるべきじゃないのか。時勢を理由に、弱者をいたぶることは許されるのか」
「マセノ」
ダヴィが呼びかける。マセノは再びダヴィの目を見つめた。ダヴィのオッドアイは一点の曇りもない。
「俺は非難されるだろう。悪逆なる征服者として」
彼が行っているのは復讐でも防衛戦でもない。今まで関係が無かった国へ侵攻しようとしている。それも正々堂々とではなく、ある種汚いやり方でだ。現在の知識人からも後世の歴史家からも、賞賛されることはないだろう。
「その汚名を背負ってまで、あなたは何をしたいのですか。生き残るためですか」
「それだけじゃない。ゴールド国を統一すれば、ゴールド国の民を含めて、人々の暮らしは豊かになる。そう考えているんだ」
旧世界と戦い続ける新世代の王として、そして一介の靴磨きから成り上がった一人の男として、ダヴィ=イスルは自分の信念を伝える。
「この先の数十年後、数百年後の人々がもっと笑える世界を築くためなら、いくらでも
マセノは息を飲んだ。ダヴィを知ったつもりだったジョムニも背筋が伸びた。かつてこのような信念を言う為政者がいたであろうか。ゴールド国を愛するマセノはこれ以上、ダヴィに反論できなかった。
「……あなたは必ず、ゴールド国を滅ぼすのですね……」
「そうだ」
マセノはゆっくりと立ち上がり、そのまま部屋を出ていった。その足取りは、強い光に当てられて目の焦点を失ったかのように、ゆらゆらと揺れていた。
ジョムニは心配する。
「大丈夫でしょうか。元々、ゴールド国出身の彼を作戦から外す予定だったでしょう」
「情報を漏らす密偵に成り下がるほど、彼のプライドは安くない。作戦はこのまま進める」
一方で自室に戻ったマセノは、ドッとベッドに座り込んだ。息を大きく吐くと、鳥肌が立ち怖さを覚える自分に気づく。ダヴィの心の奥にある、国も歴史も、世界中の感情すら飲み込む巨大なカオスに改めて
それに対して自分の小ささはどうだろう。彼はまだまともに自分の部下を操れていなかった。異教徒が中心の軽騎兵団の指揮官として、満足な働きをしていないことに嘆く。宗教の違いに、自分も部下も囚われていた。
「変わるため、あの国を出たというのに……」
夜深まる。芯から凍える空気がまとわりつくのに、暖炉に火もくべず、彼はただ震えている。朝はまだ遠い。
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