第37話『待ちわびる幸福』
この一か月ほど、旧クロス国内の司教たちと打ち合わせのため、各地を回っていたルフェーブが戻ってきた。
城内に戻ってきて報告をする彼に、ダヴィは尋ねる。
「支配体制が変わって、教皇様の領地はどう変わった?」
「酷い有様です」
教皇が率いる祭司庁が支配するようになって、民は安心していると思ったが、ダヴィは意外な報告に驚いた。ルフェーブは説明する。
「正円教への寄付の圧力が高まっています。今までは領主から、領内に赴任した司教の生活維持程度の寄付を渡していましたが、現在は民から直接徴収しています。それをしないと太陽の国(天国)に行けないぞ、と脅している有様」
「そんなことが……」
正円教など宗教は、この世界において領主から保護される存在であった。その由来は、伝説の金獅子王が「聖女信仰を布教する者は各貴族に仕え、貴族は彼らを保護する」と定めたからであり、実を言えば、祭司庁は各国における絶対的な
ところが、教皇直轄領においては、そうではない。司教が領主と同等の力を持ち、政治の全てを取り仕切るようになる。そして税金のように寄付を取り立て始めたのであった。
「教皇領には、降伏した貴族が支配する地域もあります。そこでは司教と貴族によって、二重の税金が課せられる始末です」
「それは、無理だ」
「ええ、無理な政策です。それに、各地で教会の改修が行われており、それも民衆の寄付とボランティアで作らせています」
ルフェーブは四角い眼鏡の奥に怒りをためる。グレーの長髪が小刻みに揺れる。清廉潔白な信仰を目指す彼としては、許せない行為だ。
「ひでえな」
「ミュール」
ミュールがダヴィの執務室に入ってきた。
「すみません。聞き耳を立てる気はなかったんですが、それにしてもひでえや」
「この領内に逃げてくる民衆もいるかもしれません。いかがされますか」
とルフェーブから進言があり、ダヴィは少し考えた後、ミュールに言う。
「教皇側にバレないように、保護できるかな」
「分かりました! 農民たちが黙っておくようにしておけばいいんですね」
「頼むよ。ルフェーブは国内の司教の口止めを頼む。ジョムニは領内を見回って、ここにはいないから、今はミュールと相談して、対応してくれ」
「分かりました」
ミュールは「ああ、そうそう」と訪ねてきた理由を思い出す。
「服屋が来てましたよ。仕立てが終わったそうで、広間に来てほしいと」
「分かった。ありがとう」
「よし! ルフェーブ、行くぞ!」
ミュールはポンとルフェーブの肩を叩く。その粗野な振舞いに、ルフェーブが怒らないかと、ダヴィは心配した。
ところが彼の反応は、意外なものだった。
「は、はい! 行きましょう」
声を上ずらせて、ミュールについて行く。その足取りは軽やかで、彼の長い髪の毛先がはねる。ミュールの背中を見つめる目は、少し熱っぽく感じた。
2人が出ていった後、ダヴィは勘を働かせた。
「……そういうことなのかな」
――*――
気を取り直して、ダヴィが広間に向かうと、いくつもの新しい服が等身大の人形にかけられていた。
エラが早速新しいドレスを着て、ダヴィの足元に駆け寄ってくる。
「パパ! 見てー」
「エラ、かわいい服だね」
「すてきでしょ」
片手を頭に、もう片手を腰に当てて、ポーズを決めるエラの大人ぶる姿に、ダヴィは微笑む。それを眺める部下たちの顔にも、笑顔が見える。
「こら、エラ。そんなに走り回ったら、結婚式前に傷んでしまいますわよ。まだ1ヶ月はあるのに」
先月選んだ生地で、気合が入った服屋がすぐに仕立ててくれたそうだ。ここで一週間後には到着するトリシャと一緒に試着して、調整してくれるそうだ。
女性陣のドレスだけではなく、男性陣のタキシードも仕立てられている。ライルとスコットは自分のを見て、居心地悪く顔をしかめる。
「うへー、こんなの着るのかよ!」
「窮屈そうだあ」
「ダヴィとトリシャの晴れ舞台なんだから、文句言わないで着なさいよ」
と別室から現れたジャンヌに叱られる。その姿を見て、ライルとスコットは噴き出した。フリルが付いた青いドレス。いつものバンダナの代わりに、黄色いカチューシャを頭につけた彼女がいた。
「オイオイ、ジャンヌ! 気合入りすぎじゃねえのか」
「それじゃあ、馬に乗れないよお」
「うっさい! あたいだって、分かっているさ」
口をへの字に曲げるジャンヌ。その彼女を、ルツとスールが擁護する。
「ジャンヌだって、いつかはお嫁に行くのですから、ドレスの1つや2つ持っておかないといけませんわ」
「そうよ~、女の子は繊細なの。あんたたちみたいな、ガサツな男どもに分かるものですか。……こう見ると、いけるかもしれないわね」
「や、やめとくれよ!」
「スール! 本当に見境無しね」
「うふふ」
ライルがニヤニヤとして、ジャンヌにまた悪口を言う。
「こいつがお嫁に? クハハハハ! そんな奇特な夫がいたら、その面を拝んでみたいぜ」
「いい加減にしないと、そのでかい尻に矢を撃ち込むよ! この姿でも、弓は引けるからね」
おー、怖いと、凸凹コンビは自分のタキシードを持って、別室へと去っていった。ダヴィが苦笑していると、エラに袖を引かれる。
「パパ! ママのおようふくも見て!」
彼女に引かれて行くと、部屋の奥にダヴィが着るタキシードと、その隣にドレスが飾ってある。
「おお……」
「ね、きれいでしょ!」
純白の生地に、胸元に花柄の
これを自分の奥さんになる人が着る。結婚式で、自分の目の前に立ち、愛を誓い合う。ダヴィはそれを想像して、心が跳ねた。
結婚式は年越しのすぐ。ダヴィが築いた国全体に周知して、皆に祝ってもらうことになっている。
エラがダヴィの手を握り、笑顔を見せる。
「ママ、はやくこないかな。楽しみね!」
「ああ、そうだね」
冬の淡い光が差し込む。ダヴィは寒さを忘れ、そのドレスをいつまでも見ていたかった。
――*――
トリシャの旅路は順調である。嵐に会うこともなく、スルスルとファルム国を進んでいた。その道中、ロミーが紹介してくれた支援者と面談し、安全も確保されている。
そして明日には、旧クロス国に入る。遅くても、あと1週間で、ダヴィに会えるだろう。
(ふふふ、早く会いたいわ。エラも成長したでしょうし)
いつまでも晴れ渡る空に、再会を期待する。トリシャは長旅の疲れもなく、馬車の中で微笑んでいた。
急に、馬車の窓にトントンと雨が当たる音がした。空を見上げても、雲がないというのに。御者が窓から声をかける。
「すぐに止むでしょう」
「ええ……それにしても、変な天気……」
護衛する騎兵たちは、コートについたフードをかぶる。馬は雨粒が目に入り、ひと声いなないた。
トリシャは心配そうに見上げる。白い太陽が雨のすだれ越しに、ジッとこちらを見つめていた。
――*――
彼は冬の冷たい空気が好きだ。鞭うたれた体の傷から、しびれるような痛みが届く。聖女を近くに感じることが出来る。
日課のお勤めを終え、男は白い僧服を身にまとう。今日も首筋まで傷つけてしまった。他の者に見られないように、しっかりとマフラーを巻く。
かれこれ数時間はやってしまったらしい。外はもう暗く、この修道院の廊下にロウソクの火が灯る。
「ベルナール様」
甲冑姿の修道士が彼を呼ぶ。ベルナールは彼と一緒に、修道院の玄関へと向かった。
玄関前の広場には、すでに多くの騎兵が集まっている。松明の光で鈍く光る銀の胸当てに、正円教の真円のマークが刻まれている。
百騎近くいる騎兵が、現れたベルナールに振り向く。いずれの男たちも、目に殺気がこもっていた。頬当ての奥から聞こえる呼吸が荒い。
ベルナールは命じる。
「聖女様と教皇様の敵を排除しなさい。行け」
騎兵は声を立てず、一斉に門外へと駆け出していく。
再び静寂が修道院に訪れた。三日月が黒い空に昇る。
「いい月です。神々しい」
ベルナールはその目とその口を、天上に浮かぶ三日月と同じように曲げた。そして手を合わせ、痛みが走る体を伸ばして、祈り続ける。
この世の狂気が、ダヴィたちに襲いかかろうとしていた。
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