第2話『ソイル国の内実』

 ダヴィは血まみれになっていた。


 あちこちの肌が裂け、地面に転がっている。血と土で汚れていた。すべて自分の血だ。もしかしたら骨も折れているかもしれない。


 なぜ、こんな事態になっているのか。


 それは、目の前で木剣をつきつける男が原因である。


「立て。ウォーター国の騎士はこの程度なのか」


 訓練場の地面から立ち上がり、ダヴィはフラフラになりながら木剣を拾い上げる。そして気力を振りしぼって、果敢かかんにその大男に駆け出していた。


 その男・ハワードは表情一つ変えず、ダヴィが振り下ろした剣を跳ね飛ばし、素手でダヴィの顔を殴りつけた。鼻に横一文字についた傷は、全くゆがまない。


 彼の小柄な体が吹き飛ぶ。耳飾りを金色に何度も光らせて、何回転も地面に転がる。


「あぐっ……うう……!」


「情けない。それで500人をよく指揮できたな」


 ハワードに鼻でわらわれたが、ダヴィに反論できるだけの元気は残っていない。激しくせき込み、血の唾を吐き出す。再び立ち上がろうとするが、力なく崩れ落ちる。その姿はまるで生まれたての小鹿のようだった。


 ハワードは飽きた様子で、剣を投げ捨てた。彼のオールバックの短髪には汗一滴も光っていない。


「鍛え直してこい」


 彼が去った後も、訓練場にいたソイル国の兵士たちは遠巻きに見ているだけだ。ダヴィを助けたのは、しばらく後に来たライルとスコットである。


「だんなあ!」


「ダンナ! なんでこんなことに?」


 2人は駆け寄り、ダヴィの身体を抱え上げる。彼の左目は真っ青にれあがっていた。


 ダヴィは顔を痛みでしかめ、彼らに血を拭かれながら答えた。


「朝早くハワード様から呼び出されて……腕前を試したいからと、ここに……」


「あんなごつい奴に勝てるわきゃないでしょう! なんだって、受けたんですか?!」


「逃げたらウォーター国の恥になると、思ったからかな……はは……」


 担がれて、用意された部屋に運び込まれる。そして包帯でぐるぐる巻きにされて、水を口に含み、やっと人心地ついた。ベッドの上で身を起こす。


「もう大丈夫だよ。ありがとう」


「大丈夫じゃねえよ、だんなあ。ここは怖い国だあ」


 彼らは国外に出たのは、これが初めてだと聞いた。自分たちを導いてくれるはずのダヴィがこんな姿になり、さぞや怖かろう。スコットにいたっては、涙目になって怯えていた。


 ダヴィは苦笑いをして、彼らに頼んだことの報告を聞く。


「街で聞き込みしてもらったけど、どうだった?」


 シャルルとアンナ女王に命じられた通り、彼はこの国を早速調べ始めていた。スコットが舌を出しながら答えた。薄い頬がへこむ。


「この国の料理は熱くて辛いや。舌、やけどしちまった」


「バカ! ダンナはそんなことを聞いてねえよ!」


 ライルは声を小さくして、答えた。


「あの女王様、どうにも人気が無いんですなあ」


「人気が無い?」


「なんでも、女が政治を仕切るのが気に入らねえようで。町中の人が口々に悪口を言ってやがりました」


「あんなに美人なのになあ」


 彼らは城の中でチラリと彼女の美貌びぼうを見ていた。それゆえにライルは丸い腹をかき、スコットはごま塩頭をかきながら、不思議がった。


 ソイル国では元々女王は象徴的な存在であり、実際の政務は夫の国王が司ってきた。それが現女王において、歴史上初めてと言及出来る変化が生じた。アンナ女王が姿の見えない国王の代弁者として、堂々と政治を行っている。


 その状況を伝統を重んじる国民は反対しているのだ。


「生活が悪くなったのかい?」


「ところがどっこい、税金自体は安くなったそうで。今の国王が元気だった頃は戦争が絶えず、元気な男は全員兵士に取られて、苦しかったそうです」


「それが無くなって良かったって、食堂のおばちゃんも言ってた」


「…………」


 そんな実情がありながら、国民は反対しているのだろうか。そこまで保守派が多いのか。ダヴィは疑問に思った。彼は質問を重ねる。


「だったら、今人気があるのは誰?」


「なんでも国王と前妻との子供のパーヴェル王子が人気だとか。国民も貴族たちも支持していると」


「戦争も強くて、賢いって言ってた。おまけにカッコイイらしい」


 ダヴィはもう何個か質問をして、それからしばらく黙った。ライルたちは安静にさせようと気を使って、部屋を出ていった。


 一人になった彼は、アンナ女王が抱える問題を整理する。1つ目は彼女は国王の代理であり、実質的な統治権が無いこと。2つ目は国民の人気がないこと。3つ目は国王の息子という政治的ライバルの存在。4つ目が宰相ウィルバード=セシルと騎士団長ハワード=トーマス以外の後ろ盾がいないこと。


(弱い存在だ)


 ダヴィでさえ、そんな危惧きぐをする。いつ落ちるか分からない雲の上で、踊り続けているようだ。あらゆる悪意が集まる権力の頂点で、あの女王はなぜ泰然たいぜんと笑みを浮かべていられるのだろうか。


 なんと強い精神力だろう。


(それにしても、こんな強い人なのに、なぜ人気が無い?)


 美貌びぼう。知恵。自信。シャルル王子と似ている。しかし国民の支持がない。違和感を覚えるほど。


 しばらくダヴィはその疑問に対して、ある推理が浮かんだ。そして傷だらけの顔で不敵に笑う。耳飾りがかすかに揺れた。

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