第28話『中庭での説教』

 ウォーター軍が首都パランに凱旋がいせんした。夏はもう暑さの盛りを越えていたが、まだまだ肌に汗がにじむ。鎧をかぶる兵士たちは、早く体を洗いたいと、家路に急いでいた。


 帰ってきたマクシミリアンは真っ先に、屋敷にいた母親に喜び勇んで報告した。


「母上! ただいま戻りました!」


「ああ、マクシミリアン! 無事に戻って来たのね」


 マクシミリアンの母、エトーレ=ヴァイマルが、旅塵りょじんにまみれた息子の頭を撫でた。出陣する前は短く切っていた髪の毛は、母の手によって形が変わるほど、伸びていた。刈り上げた側頭部も膨らんでいる。


 くすぐったそうにするマクシミリアンは、一人、姿が見えないと気が付いた。


「あれ? アキレスは」


「あなたが素晴らしい功績を立てたと聞いてから、ずっと庭で鍛錬しているわ。今も剣を振っているのでしょう」


 待っていなさい、すぐに料理の準備をするからと、エトーレはエプロンを身に着ける。下級貴族の四女として育った彼女は、どこでも生きていけるようにと、彼女の母親から仕込まれたおかげで、自分で料理ができる。


 頭の後ろの太い三つ編みが特徴の、母の後ろ姿を見て、マクシミリアンはやっと、自分の家に帰ってきたのだと実感した。


 そこへ、モランも鎧姿のまま、帰宅した。


「マクシミリアン、すぐにシャルル様の屋敷に向かえ」


「なんで?」


 エトーレも、夫に反論する。


「食事をとってからでもいいじゃないの。シャルル様だって疲れているでしょうに」


「いや、今じゃないとダメだ」


 基本、理由を告げずに命令するが、父はシャルル様を第一に考えていると、マクシミリアンは知っている。主君の迷惑になっても行くように、という言い方に、首を傾げた。


 モランは再び、強い語気で言いつける。


「行け。そこでお前がおごっていた事実を知るだろう」


 ――*――


 マクシミリアンがシャルルの屋敷の門前へ来た時、ちょうどジョルジュも屋敷へ来ていた。彼の黒い長髪も伸び、枝毛が何本もはねているのが分かる。


「なんだ、お前もか。ジョルジュも父親から言いつけられたのか?」


「なんのことですか? この屋敷に荷物を届けに来たはずの妹を、探しに来たのです」


 二人はシャルルとジョルジュの妹を探しに、屋敷へと入っていった。普段よりもどことなしに空気が重い。給仕たちに聞きながら、探していく。


 やがて、この小さな屋敷にはちょうど合う、ささやかな花が彩る中庭にたどり着いた。


 その中庭を、柱の陰から見つめる小さな女の子と男の姿があった。


「父上、クロエ、一体なにを」


「しー! 静かに」


「お兄ちゃん、黙ってて」


 ジョルジュの父・アルマと妹・クロエが、小さい声で注意する。マクシミリアンとジョルジュは、訳も分からず、一緒に柱の陰に隠れた。


 彼らが見つめる中庭では、シャルルが大きな木を目の前にして、立っていた。


「おいおい」


「あれは?」


「シー!」


 クロエが口に小さな指を立てる。ハッと口を押えたマクシミリアンとジョルジュは、再度、木に縛られている人物を確認する。


 それは、鎧姿のままのダヴィであった。


「なんでこんなことに……」


 四人が息をのんで監視する中、シャルルが口を開く。


「まだ半日も経っていないが、反省はしたかな?」


「…………」


 シャルルが笑みを浮かべて話しかけてくるのを、ダヴィは黙って見つめていた。目に涙がたまっている。こんなことで許されるわけがないと分かっている。


 シャルルは質問する。彼もまだ、戦場にいた姿のままだった。


「ダヴィ、君は知っていたのだろう。俺があの戦いを長引かせたかった考えを。それなのに、君は戦争を早く終わらせた」


「え? なんで」


 柱の陰からマクシミリアンが声を漏らす。今度はアルマとクロエがその口を押えた。


 その隣のジョルジュも眉をひそめる。シャルルの意図が分からない。そしてなにより、ダヴィがその意図を知って、それに背いた事実が信じられない。


(だって、あれはダヴィが提案したじゃないか!?)


 口の開かないダヴィに代わり、シャルルは自分の意図を説明する。


「俺はあの戦いで、ソイル軍をおびき出すつもりだった。本隊は来ずとも、せめてニコール=デムの領土近くに点在する遊牧民の集団を、あの場で叩きのめし、今後の襲撃を食い止められるかもしれない。分かるな」


「……はい」


「そこに手柄を立てて、自分の名声を高めたいという俺の思惑は、確かにあった。ただし、それは結果として、この国のためになる。それを、君はフイにしたのだ。しかもニコール=デムは逃亡して、行方知らず。大失態だ」


 シャルルはもっと、ダヴィに近づき、彼の目を覗きこんだ。ダヴィの緑と赤の目が、鈍く光っている。


 じっと見つめながら、柱を握るクロエの手が、震える。彼女はダヴィ以上に、緊張していた。


(そんなに好きなのか)


と、兄のジョルジュが、妹を思いやった。黒いメイド姿の彼女は、お勤めに出る前から兄を通じて、ダヴィを知っていた。以前、あの耳飾りやオッドアイに興味を持つうちに、好きになったと、顔を赤らめながら告白してきたことを思い出す。


(ダヴィが義弟になるかもしれない)


 それも悪くないと、ジョルジュは思った。


 このクロエという、この時代に最も翻弄ぐろうされる少女は、まだ恋に恋する12歳であった。


 ジョルジュが妹について考えている間に、シャルルは核心をついた。


「あの男、トーリを助けたかったのか」


「っ! なんで知って?!」


「お見通しだよ。あの男に泣きつかれた件も、それに動揺していた気持ちも。あの男を苦しめたくなかった。だから戦いを早急に終わらせて、彼を帰したかった」


 ダヴィはうつむく。この人にはかなわないと、改めて思い知らされる。


「ひとつ、残念なことを言おう」


 ダヴィが息を飲んだ。


「彼は死んだ。城に攻め入った際に矢を受けてね」


「え?! あ、あああ……」


 実は、ダヴィは予感していた。戦いの後、どれだけ探しても、トーリがいなかったのだ。彼を知っていた年配の兵士もいない。彼は無事に逃げたのだろう、と自分をだますように、無理やり楽観的に考えて、心の奥底に不吉な考えを抑え込んでいた。


 シャルルは眉を落として、首を振った。ウソだ、という言葉も出ずに、ダヴィの目からボロボロと涙がこぼれ、嗚咽おえつする。その様子に、シャルルも、彼らを盗み見る四人も、沈痛な面持ちになる。


「ダヴィ、俺たちは間違え続ける。正しい答えなどない」


 声音が柔らかくなったシャルルに、ダヴィは顔を上げた。シャルルは笑みを消して、自分の思い出話を語りだした。


 それは、彼にとって、最も思い出したくない話だった。

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