第38話『バラが散り、ユリが咲く』

 首都に戻るダヴィはある疑問を抱いていた。


 シャルルから一向に情報が来ないのである。


 ダヴィからは勿論、逐一報告し続けていた。この度の大勝も報告している。


 しかしながら、ダヴィの戦いは副次的なものなのだ。本題は、シャルルとルイの戦いである。もしシャルルが敗れると、ダヴィの勝利も吹き飛んでしまう。ダヴィは常にシャルルたちの戦局を気にしていた。


 その報告は、意外な形で知らされた。斥候せっこうが報告に来る。


「ダヴィ様!前方に軍勢あり!」


「軍勢?旗印は?」


「ユリの旗印。シャルル様です!」


「え?!」


 ダヴィが急いでブーケを走らせて、シャルルの元まで向かった。シャルルは黄金の髪をたなびかせ、その数十騎の騎兵の先頭に立ち、彼を笑顔で待っている。


 シャルルの前に来ると、ダヴィは急いで馬から降りてひざまづく。


 シャルルも馬から降りて、そして彼を抱きしめた。


「ダヴィ!君は相変わらず、俺の予想を超えてくれるな!」


 満面の笑みで抱きすくめられ、ダヴィは感極まって涙目になる。もうすぐ17歳になるが、彼に褒められることが一番うれしい。


 ひとしきり抱きしめられた後、ダヴィは目を拭いて、シャルルの方の状況を聞いた。


「シャルル様の方はどうなったのですか。ルイ王子との戦いは?!」


「終わったよ」


「え?」


「終わった。ルイは死んだ」


 シャルルは淡々と言う。悲しい目をしながら。


 ルイの最期は壮絶だった。


 彼は百を下回った味方と共に、山奥の城へと籠った。4回もシャルルに討ち破られ、彼に残された道はなかった。周りもそう思ったであろう。あろうことか、ルイ王子に嬉々として従っていた諸侯は、シャルル王子へ裏切る手土産として、ルイ王子に刺客を送り込んだ。


 少ない味方と籠城した城は、たちまち包囲され、数日も経たないうちに攻め落とされる。


 ルイは人生の最後を、その城の屋敷で迎えた。屋敷の門前にまで、敵が押し寄せてきている時だった。


 ルイはさっぱりとした顔をしていたという。茶色い短髪は長い戦いの日々で乱れていたが、目は不思議と澄んでいた。


『所詮、俺はこの程度の器だったか……』


 周りの側近が止める中、彼は剣を抜き、その先を自分の喉へ向けた。


 彼は吠える。


『ウォーター国に栄光あれ!さらばだ、シャルル!』


 彼の剣がためらいなく彼の喉を切り裂く。彼の手が震えながら、剣刃で喉を貫き通した。おびただしい血が体を伝い、床を赤く染め上げていく。


 そして彼は仰向けにばったりと倒れた。ルイ=ウォーター、享年24歳。


 一方でネック公は、フォルム国の縁戚を頼って亡命したという。一人は死に、一人は逃げうせた。彼らの野望は終わった。


 その報告を聞いて、シャルルは涙したと、ジョルジュ=リシュは日記に記している。


 そんな彼の心を癒したのが、ダヴィの大勝利であった。シャルルは改めてダヴィの手を握り、彼に感謝する。


「ここで君が防いでくれなかったら、ウォーター国の南部は荒れ果てるところだった。ダヴィ、ありがとう」


「いえ、そんな」


 彼は何度も、部下と、急に現れた老人のおかげと強調した。シャルルは目を細める。


(無欲で、愛しい、我が弟よ)


「シャルル様、ピエトロ王子にお会いされますか?」


 この戦いでの手柄を示す一番の証拠である。ダヴィはシャルルに面会させたかった。


 シャルルは彼の提案に頷き、護送車が彼の元へ動かされる。


 その護送車から出てきたピエトロ王子は跪かされ、無言で長身のシャルルを見上げた。


「ピエトロ=ヌーンだな」


「…………」


 その口調だけで、相手が誰だか察したであろう。王族を呼び捨てにできるのは、王族だけである。


 虚ろな目の彼に、シャルルは言う。


「私はシャルル=ウォーター。ウォーター国をこれからは統べる者だ。君の答え次第では、ここで私が解放してもよい」


「……なにが望みだ」


 シャルルは笑みをこぼしながら、彼に要求する。


「我が国に近い城を3つ割譲してもらいたい。さらに、毎年ウォーター国に貢物を納めること」


「分かった」


 屈辱的な内容だ。しかし予想よりは軽い内容であり、彼は褐色の首をうなだれさせ、要求を飲むしかなかった。


 シャルルが用意した書面にピエトロが捺印したことを確認すると、シャルルはダヴィに命じた。


「ダヴィ、彼を解放してあげなさい」


「それは……」


 ダヴィは心配する。これほどの大事であるなら、国王の判断を仰ぐべきだと思ったからだ。しかしながら、シャルルは自信たっぷりに答える。


「俺の言うことだ。国王も納得するだろう」


 ルイを打ち破り、彼は事実上ウォーター国で一番の権力者となった。国王が彼に逆らえるとは思えない。彼は国王の上に立つ存在なのだ。


 これが彼の過信であったことは、この後の歴史が物語る。この結果はしばらく後に語ることにしよう。


 シャルルの言葉に、ピエトロは驚く。目が丸くなる。


「助かるのか……!」


「その通り。これからは両国共に繁栄しよう」


 腕を広げて彼はピエトロに笑いかけた。ピエトロはうなだれる。


 勝者と敗者。この構図がはっきりと分かる姿だった。


 シャルルは約束通り、ピエトロを解放し、カボットらと共に帰国させた。グスマンを連れて。


「グスマン、ありがとう」


「ダヴィ様、お達者で」


 ダヴィはグスマンを抱きしめた。小さい体だった。


 彼の死はしっかりと記録されている。宰相のルジェーロなどグスマンの旧知の貴族たちの歎願があったが、彼は死罪となった。彼は磔刑にされた。


 ところが、ここで異例なことに、民衆の観客は全くいなかったという。彼はヌーン国において人望が厚かったため、彼に敬意を示した民衆が、彼の刑を観なかったと伝えられている。


 彼の刑をずっと観ていたのは、と伝記には記されている。


 もちろん、ダヴィは観ていない。彼は、南へと遠ざかるグスマンの姿を眺めているだけだった。


 そこへシャルルが近づいてくる。ダヴィは言う。


「師を、失いました」


「良い人に巡り合えたな」


「はい」


 シャルルは今後のことを話す。


「ヌーン軍から引き渡される城は君に管理を託そうと思う。俺の代わりに頑張ってくれ」


「分かりました……シャルル様、ひとつ、聞いてもいいですか」


「なんだ?」


「シャルル様は今後、どのような政治をされるのですか」


 実質上、この国の支配者となった彼の方針を聞きたい。ダヴィの素直な気持ちだった。


 そうだな、と考えるシャルルは、こう答えた。


「強い政治を目指す」


「強い政治?」


「そうだ。強い国王。強い軍隊。強い経済力……貴族たちに分散していた権力を集中させ、この国を一つに固める。俺を中心とした強い国家を作り上げる!」


 彼の理想、彼の本音に触れて、ダヴィは力強く頷いた。反発する貴族も多いだろう。変革に戸惑う民衆も多いだろう。これからの道は険しい。


 それでも、シャルルを支えたい。そう決意させてくれる、彼の言葉だった。


「これからですね」


「ああ、やっとだ」


 シャルルの時代が始まる。ダヴィはこの天高く広がる青空のごとく、前途を明るく感じた。


 ――*――


 暗い廊下。夏というのに、肌寒ささえ感じる。


 初老の男が歩いていた。その後ろから奇妙な衣装を着た男が続く。ケラケラと笑いながら。


 彼らの元へ、1人の男が近づいてきた。廊下に誰もいないことを確認すると、初老の男に対して、耳打ちする。


「ヘンリー王子より伝言。『支度は整いつつあるが、時間がかかる。しばらく待たれよ』とのことです」


「分かった」


 初老の男の返事を聞くと、耳打ちした男は一礼して去っていった。


 薄日が窓から差し込む。その明かりに横顔を照らされた男は、静かに笑った。白いオールバックの頭が不気味に暗い部屋に浮かび上がる。


 ケラケラ嗤う男、道化師は、そんな彼の気持ちを唄う。


「天に昇った風船は~やがてしぼんで落ちてゆく~ああ、えらいこっちゃ~えらいこっちゃ」

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