第21話『嘘だらけの進軍』

 ウォーター国の雨季を迎えていた。やっと晴れた合間の日でも、地面はぬかるんでいた。


 その地面に、無数の軍靴の足跡が付く。


「お兄さま!お気をつけて!」


「頑張って」


 見送るルツとオリアナに、ダヴィは手を振った。鎧をガシャガシャと鳴らして、兄は馬に乗っていってしまった。彼の姿を飲み込むように、軍列が続いていく。


 彼女たちはこの一年で背が伸びた。しかし大きな馬に乗った彼の方が、何倍も成長したように思える。


 兄の力強い後姿を見て、彼女たちは確信した。


「お兄さまは大丈夫ね」


「……うん」


 彼女たちはウォーター国の内乱を恐れた父親によって、クロス国の屋敷へ戻されることになる。彼女たちは兄とまた会えることを信じて疑わなかった。


 南へと出発したシャルル軍。それと同時にルイ軍も東へと向かった。


(後ろから襲われるかもしれない)


 そのような懸念を抱いた両軍が、示し合わせて出陣したのだった。


 しかし、決戦は近い。それは貴族や騎士たち全員が確信していた。


 一日目の宿舎にたどり着いて会議を行った際、シャルル達はそのことを集中して議論していた。


「ルイたちの様子はどうだ?」


「まだ動きはありません。東へ進軍を続けています」


「十分に距離を離してから、反転して首都に向かうつもりか」


 彼らの意図は、忍び込ませたスパイから筒抜けである。よほど自信があるのか、ろくな情報統制を布いていない。


 ルイたちの戦略は、シャルル達を南の防衛線にくぎ付けにさせて、その隙に首都を占領して、シャルル派を一掃する心づもりだろう。そうなればシャルルは辺境で孤立し、その配下は勝手に自壊してしまう。


 彼らと状況が異なるのが、南のヌーン国は実際に侵攻の準備を進めているが、東のファルム国に動きがない点だ。シャルルは備えなければならないが、ルイは自由に行動ができる。


 ただでさえ、北方にも兵を割いているシャルル軍は、この時点でも兵の総数は彼らに劣る。何としても先手を取るしかない。


(では、先に首都に攻め込むか?)


と、シャルルは考えるが、即座に否定する。彼らには大義名分がない。首都を即座に占領できずに、最悪の場合破壊してしまったら、その時点で不利になる。


 一方で、ルイ側には宰相・ジャック=ネックがいる。宰相は王宮内での支持を集めており、彼らが首都に押し寄せたら、中から呼応して協力する者は多いだろう。首都を戦場とした場合、シャルルは絶対的に不利になる。


 と、すれば


「ルイが反転してから、首都を占領される前に、彼らを打ち破らなければならない」


 会議中が静まり返る。そんなの、不可能である。


 首都から東と南の国境線まで、早駆けして同じく10日かかる。しかしルイが反転したという連絡が届くまで少なくとも4日。そのタイムラグが、重くのしかかる。


 幕僚の貴族の一人が声を上げる。


「ルイ王子が反転する前に、彼らと首都の間に陣取ってはいかがですか?」


「……いや、我々は大義名分が欲しい。彼らが『首都に攻め込む』ということを非難して、対峙することが必要だ」


「しかし、実際問題として、この時間的不利は覆せません」


 率直な意見に、シャルルは頭を悩ます。いたずらに金色の髪をかき上げる。彼の言うことはもっともだ。


 シャルルは答えを探して、会議に出席する面々を眺めた。その末席に、慣れ親しんだ姿を見つけた。


「ダヴィ。君はどう思う?」


 会議中の目が、末席の若造に向けられる。しかし彼は臆することなく、堂々と意見を述べた。


「先に反転できない。首都には攻め込めない。だとすれば、考えることは一つです」


「それは何かな?」


「首都までかかる日数を短縮しなければなりません」


 バカな、そんなことが出来ればとっくにやっている、と会議中に反論と罵声が飛ぶ。


 ダヴィが言っているのは、10日かかる日数を6日に短縮するということだ。そんなのは無理だと貴族たちは喚く。


 シャルルは黙って考えていた。果たしてそんなことが可能だろうか。彼の優れた頭脳が計算し続ける。難解なパズルを組み立てていく。


 シャルルは手をあげた。会議が鎮まる。


「会議はこのくらいにしよう。明日の夜、再び開く。それと、ダヴィ」


 末席にいたダヴィに、シャルルが声をかける。


「後軍にいるアルマを呼んでくれ。もう着いているはずだろう」


 彼がパズルにおける最後のピースである。


 ――*――


 同時刻、ルイは礼拝堂にいた。ウォーター国東部の有名な大聖堂。夜であったが、祭司に無理を言って開けてもらった。


 何十本と立てられたロウソクの明かりの中で、大きな聖女像と、膝をついて祈るルイの影がゆらゆらと揺れている。彼の茶髪が赤く染まっている。


 入り口から近づいてくる足音があった。


「こんなところにおられましたか」


 手を後ろで組んだジャック=ネックがルイに声をかける。彼の後頭部にわずかに残った白髪も、蝋燭の火で赤く映っていた。


 ルイは祈りを続ける。


「珍しいですな。戦いの前に、礼拝に来られるとは」


「黙れ」


 ルイはネック公を鋭く叱り、再び祈りの言葉をブツブツと呟く。ネック公は彼の心中を察した。


(やっとシャルル王子と戦うことが出来るのだ)


 評判や配下の数だけではない。直接、彼とすべてをかけて戦うのだ。


 この戦いが、彼の人生の意義、価値を決める。


(可哀そうなお方だ)


 聡明な彼は、自分が貴族たちの操り人形になっていることに気が付いているだろう。おそらくこの戦いに勝てたとしても、自分のやりたいことをやれる環境にはならない。そのことも理解しているはずだ。


 それでも、彼は祈る。自分のライバルに勝つために。明日をつかむために。


 ネック公は彼の肩に皺だらけの手を置いた。ルイは頭を上げる。


「我らがお支えします。必ず勝てましょう」


「当たり前だ」


 この状態でも強がる彼を、ほほえましく思う。ネック公は彼と一緒に祈り始めた。


 夜は更けていく。


 祖父と孫のような関係の彼らを、白い聖女像は黙って見つめていた。

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