第18話『海からの襲来者』

 その日は穏やかな日だった。春の陽気に包まれ、温かい海風が港になだれ込む。海難の心配がないこの天気に、灯台守はあくびをしていた。


 西の遠洋をぼんやり見つめていると、黒い点々が現れた。それはどんどん大きくなってくる。灯台守は嫌な予感を抱く。休憩していた目の良い仲間を呼んで、それを見てもらった。目を凝らした彼は「あっ」と叫ぶ。眠気が一気に吹き飛んだ。


「デンラッドの船だ! 海賊だ! 海賊が来たぞ!」


 その情報はすぐにミラノスのダヴィの元にも届いた。


「被害の状況は?」


「南部の数都市が襲撃されました。かなりの商船や倉庫が被害に遭い、死傷者は数百人にのぼります。街の守備兵は全く歯が立たなかったそうです」


「かなり大規模な船団とみられます。恐らく南ブロック海のデンラッド諸島の海賊船だと思われます」


 南ブロック海とは、ファルム国の南に位置する海洋のことで、このズボン型の大陸の股ぐらを占める。そこにはデンラッド諸島という無数の島々が存在し、その全容は誰も把握していない。その未知を利用して、国から追放、または逃げてきた人々が多く移り住み、次第に集団化して海賊行為を働くようになった。


 ファルム国を始めとした各国は何度も海賊討伐に乗り出した。しかし島々の周囲の激しい海流や複雑怪奇な海岸線に翻弄ほんろうされ、大規模な軍隊を送り込めず、大半の海賊たちに逃げられてしまう。結局のところ、騎士などの地位を与え、商船からの通行料の徴収権を認めて懐柔するしかなかった。


 しかしダヴィはデンラッドの海賊と聞いても首を傾げていた。


「知ってはいたが、確か分裂状態だと聞いたよ。フィレスなどの大都市は避けたとはいえ、港町を襲撃するほどの力を持っているとは思えなかったけど」


 ジョムニは一度頷いてから彼の疑問に答える。


「私もそう考えていましたが、どうも最近情勢が変わったようです」


「情勢が変わった?」


「オリアナ様からの情報では、ファルム国から使者の船が何度かデンラッド諸島に渡ったとのことです。つまりファルム国が援助して、一部の海賊に力を付けさせた可能性があります」


 というアキレスからの報告を聞いて、ダヴィは嫌な予感がした。


「それは“いつから”援助しているんだ」


「最近……と聞いています」


「ということは、援助しているのはハリスか」


「おそらくは」


「この襲撃もハリスの指示という可能性は?」


 この問いに対して、ジョムニとアキレスは同時に頷く。ダヴィは黒い短髪をかいた。それが事実なら、ゴールド国からの要請に、ハリスが応えたことになる。締結したばかりの三者同盟を無視して。


「ところで、この海賊は以前から力を持っていたのかい?」


「いえ、新興の勢力です。全く見たことない旗印だと報告を受けています。オリアナ様が現在調査中です」


「新興?」


 ――*――


 ダヴィたちも無策ではない。すぐに海賊たちが襲撃の拠点としている島の特定に成功し、クリア国の海軍はそこへ向かっていた。


「おい、大丈夫かよ……」


「ライルこそお……」


 その指揮官であるライルとスコットは船べりから離れられなかった。腹の中は空っぽになったにもかかわらず、吐き気は止まらない。その二人を船員たちは冷ややかな目で見ていた。


 彼らは正規のクリア軍兵士ではない。その多くがフィレスなどで集められた水兵が多い。クリア軍は今までの戦歴で分かる通り陸戦の部隊だ。ナポラなどの内陸部出身の兵士が多く、海を見たことすらない者も多い。当然、操船技術はおろか、船上で戦う技術も持ち合わせていない。一応この船団にも乗船してはいるが、ライルたちと同じように吐き気に襲われている。とてもじゃないが戦力にならない。


 水兵たちに不安を感じさせながら、海軍は目的地へと近づいた。今日も晴天に恵まれて、視界は広がっている。島影の前に、複数の船団が見えた。


「敵の船影を確認しました!」


「やっとだよお」


 戦いが始める不安よりも、船酔いをまぎらわせる安心感を、場違いに覚える。ライルたちは武器を持ち、戦鼓の響きに持ち前の元気を取り戻す。ライルはフィレスから連れてきた船長に聞いた。


「おい、これからどうするんだ?」


 船長は素人に対する軽蔑の念を内心抱きながら、素直に答えた。


「船団を横陣に展開します。それから突撃して、船首の衝角(体当たり用の固定武装)で以って敵船に穴をあけます」


「ほうほう」


「それから乱戦になるでしょう。ライル様たちは乗り込んでくる敵を追い払って下さい」


 それまで手を出すな、と言外に伝えてくる。察しが良いライルは「けっ」と言いつつ、船長の肩をポンと叩いた。分からないことは専門家に任せるに限る。その隣で不安を感じるスコットが尋ねる。


「大丈夫かなあ」


「ご安心ください。船数はこちらの方が多いです。海賊ごときに負ける我々ではありませんよ」


 自信たっぷりに答えた船長は、部下に命じて旗信号を出す。それを見た各船で大声で指示が飛び、船倉にいる漕ぎ手が一斉に動き出す。戦場での細かい動きには、帆を用いた風力よりも人力の方が扱いやすい。


 船員のかけ声と波風の音が混ざる高揚感に包まれながら、船団はドンドン進む。ライルは敵船の影の下に、小さな影どもを見つけた。


「なんだありゃ? 小舟か?」


 大型船の傍に、五人ぐらいが乗る小舟が付きそう。数え切れない。ライルは隣の船長に聞く。


「あれも普通の戦術か? 俺たちもやんなくていいのかよ」


「まさか! あんな危険なことはしませんよ」


 確かに彼の言う通り、小舟は大型船が出す波に揺られて、今にも転覆しそうになっている。しかしライルが見る限り、小舟の乗組員は飄々とした表情のままオールを操っていた。かなり手馴れている。


(嫌な予感がするぜ)


「さ、もうすぐですよ」


 クリア軍の海軍の先陣が、敵船団に突入しようとしていた。水兵たちは弓矢や投石機を用意して、敵の大型船との距離が詰まるのを待つ。


 ところが敵の先頭に出てきたのは、先ほどの小舟の集団だった。


「ふざけているのか?」


 とクリア軍の兵士が思うが、踏みつぶそうとする大型船の波をかいくぐり、小舟たちはスルスルと船の間々に入った。そしてほら貝が鳴る。小舟の乗組員は小舟に隠していた丸いモノへ器用に火を点ける。そしてそれに結ばれた縄をぶん回して、クリア国の船に叩きつけた。それは丸い油壺あぶらつぼだった。


「燃えているぞ!」


 先頭を進んでいた数隻の船が赤い炎と黒い煙に包まれる。海賊たちは次々と油壺あぶらつぼを容赦なく投げる。燃えた船の船員はたまらず、海へと身を投げて逃げ出した。その様子はクリア軍の士気を著しく下げた。


 海賊たちの中心で、金色の三角帽子をかぶる小柄な女性がニヤリと笑う。


「旗を上げな!」


 海賊船に旗が上がる。金色のドクロ旗がはためいた。そして急加速した海賊船が黒い煙を越えて、戦列が乱れたクリア軍の船に衝角を突き立てる。あっという間に複数の船が傾いた。


「応戦だ! 怯むな!」


 船長が必死に立て直そうとするが、すでにクリア軍は及び腰になっている。矢の勢いも心なしか無い。


 それとは対照的に、海賊たちは嬉々として襲いかかる。波と炎と煙が渦巻く戦場をものともせず、矢を射かける。ついには船に乗り移り、クリア軍に斬りかかる場面もあった。


 ライルは決断した。


「こりゃダメだ」


「逃げるしかないよお」


 スコットも同意した。その決定に船長が驚く。


「まだ始まったばかりです! 我々の方がいまだに数が多い!」


 でも二人は首を振った。


「バカだな。戦いっていうのは勢いが肝心なんだよ」


「おいらの勘がここは危ないって言ってるよお」


「海戦に関してはてめえの方が賢いが、逃げることでは俺たちが世界一なんだよ。ほら、ずらかるぞ!」


 そうと決まれば、彼らの行動は早い。部下に指示を出して、船上で家具を燃やし始めた。その煙が煙幕代わりとなり、海賊たちの視界を塞いだ。


「グズグズすんな! なりふり構わず逃げるぞ!」


「こういう時はカッコ悪く逃げるのが、上手に逃げるコツなんだよお」


 クリア軍は船内の家具や武器、食料を投げ捨て、身軽になって逃げていく。その逃げっぷりに、海賊たちの方が感心するぐらいだった。


「チェッ、逃げられたか」


「ここで潰せれば、フィレスとかも襲えると思ったんですが」


「めんどっちいな。まあ、のんびりやるか」


 逃げるクリア軍を眺めながら、海賊の頭である女性は唾を吐く。しかしこの戦いは、海賊が正規軍に勝った数少ない事例となり、歴史に刻まれることになる。

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