第23話『シャルルの大返し』
静寂な森の中、野鳥の声が響く夏の夜。短い夜に、夜行性の動物の目が光る。
普段ならば、誰も行こうとしない闇の中。息遣いさえ聞こえそうな月夜の晩。
この日だけは、無数の炬火が通り、足音が響き渡った。
「進めよ。急げ!走れ!」
シャルルの激が飛ぶ。それに呼応するように、兵士たちの足が速くなる。
「もうすぐ休憩所だ!そこまで頑張れ!」
首都への帰路の道中各所の城で設けられた休憩所には、水や食料が備えられている。それを補給しつつ休憩して、すぐに彼らは出発するのだ。
この強行軍の目的は、言うまでもなく、ルイ王子たちよりも早く首都付近にたどり着くためである。狼煙の活用で、彼らとのタイムラグは3日になった。それでも通常10日以上かかる道のりを7日で走破しなければならない。そのため、昼夜を問わず、走らなければならない。
この無理を可能にしたのは、アルマの財力である。
彼の金庫を空にするほど資金をかけて、強行軍のための休憩所を設けた。いつ来るか分からない彼らのために人員を配置することは、意外と金がかかる。シャルルへの忠誠心が、彼自身に無理させることになった。
さらに、アルマの下で働いたジョルジュの隠れた功績もあった。彼は冷静に考え、適切な供給を続けた。そのおかげで、過不足なく、シャルル軍は行軍を続けられたという。
もう一つの理由が、シャルルの演説であった。出発前、事情を知らない兵士たちに語った。
『第二王子・ルイが私利私欲のために、首都を占領し、自身が王となると宣言した』
急な話に、兵士たちに動揺が走る。その上、次の言葉が彼らの動揺を余計に
『ルイは、私に味方している君たちの家族を、皆殺しにすると言っている』
万を超す悲鳴が上がる。首都付近から徴兵されてきた彼らの家族は、ルイの進軍する方向に残っている。彼らの動揺は、恐慌と言えるほど荒れた。
シャルルは再び彼らを静寂にさせ、怖い顔で彼らに語る。
『彼が怖いなら、私を裏切ってもいい。だが、今から裏切っても、果たして間に合うだろうか?』
兵士たちもここが首都から離れすぎていることを理解している。ドヨドヨと話し声が聞こえる。もう逃れられない運命なのか。
シャルルは手を広げて、また自分に注目させた。彼の金色の髪が輝きを増したように感じさせる。
『君たちが家族を救うには、ルイたちを先回りして、彼らが首都に入る前に敵を打ち破らなければならない!』
息をのむ。そんな音があちらこちらから聞こえてきた。そんなことが可能だろうか。彼らに覚悟を決めることを否応なしに求められる。
彼らの心の葛藤を見抜いて、シャルルはニヤリと笑う。
『奴らに勝った暁には、数え切れぬ褒美を約束しよう。さあ、どうする!』
彼の強い言葉に刺激されて、段々と彼に呼応する声が聞こえ始める。十分後には、兵士たちは武器を鳴らし、声を上げて、シャルルに賛同する。
『うおおおおおおおおおおお!!!』
地面が震える。
シャルルは野生味あふれる笑みで、宣言した。こぶしを突き上げる。
『家族を守る義務と!王を守る名誉と!褒美を手に入れる栄光を!つかみ取れ!いざ、出発!』
こだまする何万人もの兵士たちの声。この声がルイにまで聞こえていないか、ダヴィが心配するほどだった。
彼らが必死に走る中で、シャルルは1人だけ楽しそうだった。彼の金色の姿は夜でも目立つ。
「さあ、首都へ近づいているぞ!走れ!走れ!」
そんな彼の姿を横目に見て、ライルは不満を言った。
「いい気なもんだ。お1人だけ嬉しそうだぜ」
「夜通し走るなんて、聞いてないよお」
スコットはもうヘロヘロである。痩せているからか、やはり体力はない。彼らは不慣れな馬に乗らず、走っていた。
馬に乗るダヴィは、そんな彼らを横で励ます。
「ここが運命の分かれ道なんだ。さあ、頑張れ!」
「そんなこと言っても、だんなぁ」
「ほら、荷物は持ってあげるから」
彼の後ろから、ジャンヌが追い付いてきた。彼女の顔にも疲労の色が見える。緑のバンダナが彼女の状態を表すかのようにしおれていた。
彼女はダヴィを見て、珍しく感心した。
「あんたの馬、やっぱりいいね。全然疲れていないじゃん」
ダヴィは馬の顔を見た。確かに、ジャンヌが乗る馬と比べても、全く疲れた様子は見えない。
「さすが、ブーケだ」
ソイル国で貰ったブーケと名付けた愛馬は、フンと鼻を鳴らした。シャルルが乗る馬よりも大きく、見る者を圧倒する存在感を誇っていた。
スコットがそれを見て怖がった。
「なんだか、俺たちよりも強そおだ」
「変なことを言うなよ!……そうかもしれねえけどよ」
それはそうと、とジャンヌがダヴィに質問する。
「この疲れたまま戦って勝ち目はあるの?相手は元気いっぱいなんでしょ?」
「いや、大丈夫だ」
ダヴィははっきり断言した。マザールから以前教わったことがある。『戦いの基本は相手の虚をつくこと』にあると。相手が思いもよらないことをして、相手の思惑をくじけさせる。この強行軍には、その意味があると彼は気づいていた。
ジャンヌは彼の顔を見て「ふーん」と不思議と納得した。
「自信あるんだね。なら、大丈夫か」
「だんなはすごいんだゾ。だんなが言うなら絶対なんだ」
「おっ!いいと言うじゃねえか、スコット。そうだぞ、ウマ娘!」
「ウマ娘言うな!ヘタレ泥棒!」
「なんだと?!」
「まあ、まあ」
それに、彼らも含めて、この軍は明るい。それが彼に勝てる自信を与えていた。
――*――
一方で、ルイ軍は着実に進軍を続けていた。東の国境から西へと進む。
目指すは、首都・パランである。
「また新しい貴族が参陣したらしいぞ」
「続々と増えるな」
勝機を見た各地の貴族が、嬉々として参陣してきていた。その度に兵士たちは喜び、ネック公以下指揮官たちもニンマリと笑う。
その都度、進軍のスピードが落ちていることを、彼らは気にしない。
気にしているのは、ただ一人だけだ。
「ルイ王子、そう焦っては気品を損ないますぞ」
今日も新たに参陣してきた貴族のために陣立てを直している中、ルイは馬上でイライラと爪をかんでいた。その様子を、馬車の中からネック公がからかう。
ルイは
「勝利を早く求めて何が悪い!」
この間も進軍は止まっている。首都に入りさえすれば、自分の勝利は確実となる。それなのに、この軍は遅々として進まない。
その一方で、ネック公はご機嫌である。彼は数の信奉者だ。次々と集まる貴族たちの顔ぶれを見ては、自信を積み上げていく。
彼らの心はすれ違う。
「味方はあふれるばかりに増えてきています。勝利は間違いないでしょう」
「勝利とは、首都に早くたどり着いて、確定されるのだ。こんなところで留まっていては、シャルルに何をされるか分からん!」
「シャルル王子は南でくぎ付けになっています。何をしてきても、無駄でしょう。もしかすれば、我々の決起を聞いて、すでに逃げているかもしれません」
「そんなはずがない。やつは……」
自分の生涯のライバルがそんなことをするはずがない。そう信じている。
そして、それを裏付ける急報が届けられた。斥候役の騎士が走りこんでくる。
「ぜ、前方に、大軍あり!」
「なんだと?!誰の軍だ?」
「旗印に『ユリ』の紋章!」
ネック公の深い皺が刻まれた顔が青ざめる。ユリはシャルル王子の紋章だ。
(バカな!我らの先回りをしたと言うのか!?)
「……ふふふ」
隣から聞こえてきた笑い声に驚く。振り向くと、ルイ王子が笑みを浮かべていた。
おかしくなったのか。そう思わせる不気味な笑みだった。
「さすがは、シャルルだ」
彼は茶色の髪をかき上げて、目に闘志をともした。
(そうでなければならない。俺の前に立ちはだかるのは、お前しかいない!)
彼は鞘から剣を抜き取り、高く掲げた。そして高らかに宣言する。
「これからシャルルを討ち取る!全軍、備えよ!行くぞ!」
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