第10話『祝典と再会』

 ウッド国との交渉が大破綻した後、両国の緊張感は一気に高まった。そうは言っても、すぐに戦争が始まるわけではない。ダヴィの国で生産される小麦は収穫時期を迎え、ウッド国のコメの収穫ももうすぐだ。この時期に戦端が切られるとは考えにくいとジョムニは言う。アキレスは「しかし」と反論する。


「収穫時期は俺たちの方が早い。俺たちから戦争を仕掛けたらどうだ?」


「ファルム国との戦争が終わってまだ間もないです。国内の統治体制を整える時間も必要ですし、我々には休息の時間が必要ですよ」


 ダヴィは頷いて同意する。ウッド国の情報も集まってきていない。この段階で攻め込むのは早いだろう。


 ルフェーブもジョムニの意見に賛成だ。


「我々は国内でやることが多い。ダヴィ様、収穫祭に合わせて、一つもよおし物を行いたいと思います」


もよおし物?」


 ルフェーブは硬質な表情で頷く。祭司庁の高官としても働く彼は、日ごろの権謀術策入り混じる教会政治に鍛えられたようで、メガネの奥の眼光の鋭さが増していた。彼は提言する。


「新しい教皇の即位式です」


 金歴552年中秋。祭司庁と修道院は共同して、新たな教皇の即位を発表した。そして、その発表は両者とも聖子女の名のもとに行われる。


『ピセウス=スカリアを新たな教皇として任命する。新しく設ける正円会議を取りまとめ、祭司庁を正しき方向へと導くことを求める』


 先述したルフェーブの改革案通り、教皇の権力は分散され、正円会議が祭司庁を率いることになった。聖子女や修道典女のカリーナの強力なバックアップもあったが、最後の決め手はダヴィがファルム国に勝利したことだ。その結果、ファルム国など王侯貴族から支援を受けていた保守派の司教たちが失脚し、ルフェーブが先導する改革派の意見が大多数となった。


「ようやく、ここまでたどり着いたか」


 教皇の即位式に参列したルフェーブは独り、胸を撫で下ろす。この日のために前々から新調していた白い僧服を着て、わざわざ散髪した長い黒髪が艶やかに光る。いつもは身につけない香の匂いは、彼の高揚する気持ちの表れだ。


 新たな教皇がひざまき、聖子女・アニエスが目の前に立って祝福の言葉をかける。この儀式もルフェーブが考案したものだ。彼の長年の構想が、やっと実を結んだ。


(しかし、これからだ)


 新たなシステムに代わり、祭司庁は慣れるまでしばらく落ち着かないだろう。そして保守派がまた盛り返してくる可能性もある。改革の旗手としてのルフェーブの戦いはまだまだ続く。


 儀式が終わり、心を新たにしたルフェーブは大聖堂の出口へと向かう。その途中、良く知った男に出会った。


「よう、上手くいったな」


「ミュール」


 ミュールが手を上げて、カラッと笑う。いつもはぼさぼさの頭に油を塗り、白い襟詰めのフォーマルな服を着ている。この儀式の警備の任務に就いていたので、そういう格好をしていたが、儀式が終わった今、すでに第二ボタンまで外して着崩している。そのくらいラフな方が彼には似合う。


 ルフェーブは気を抜いたところで彼と会い、思わずドギマギした。目を開き、口をパクパクと動かす。


「なんだよ、俺の格好がそんなにおかしいか?」


 上手い具合に勘違いしたミュールが渋い表情を浮かべた。ルフェーブはメガネを直して、手を振って否定する。


「そんなことありません。似合っていますよ」


「そうか? 俺には合わないな。窮屈で嫌になっちまうぜ」


 と自分の服を見ながらぶつくさと呟く。しかしルフェーブは本当に似合っていると思った。小麦色の肌と白い服はコントラストに映え、彼の筋骨隆々な身体が服の盛り上がりから分かる。ルフェーブでなくても、触りたくなってしまうだろう。


 妙な心持ちでミュールの姿を見ているルフェーブに、ミュールは微笑む。


「それにしても、やったじゃねえか。お前の夢が一つ実現したな!」


「まだ一つです。これからですよ」


「それでも、大きな一歩前進だ。へへ、顔がにやけているぜ」


 ルフェーブは驚いて自分の頬を触った。抑えきれない感情があふれたのだろう。ルフェーブは苦笑した。


「そう素直になるのも悪くないことさ。俺もこのことをナポラの連中に自慢しないとな」


「ナポラの復興の状況はどうですか?」


「順調だ。住宅はほぼほぼ建て終わった。ダヴィ様も時々巡回に来て下さるし、活気はどこ街にも負けねえよ」


 ミュールはにっかりと笑う。そのナポラの活気を代表する彼の元気さに、ルフェーブは思わずときめいた。ジッと彼の顔を黙って見つめてしまう。


 そんなルフェーブの様子を見て、疲れているのかと、ミュールは思った。


「とりあえず今日はお疲れさん。これからも頑張ろうぜ」


 と言って、ミュールはルフェーブの背中をポンと叩いて、大理石の廊下をガツガツと大股で歩き去った。叩かれた拍子に、ルフェーブの長い黒髪が舞い上がる。彼の身体がこわばってしまう。


 ミュールの姿が消えてしばらく後、ルフェーブの呟きが誰もいなくなった大聖堂の廊下に響く。


「一歩前進ですか……こっちは前に進まないものですね」


「ルフェーブ殿」


 急に声をかけられ、背筋をびくりと震わせた。そして振り返る。


「ああ……典女猊下げいかでしたか」


 声をかけてきたのは、カリーナだった。今日はハレの日なので、光沢ある白い僧服とベールを着ていた。彼女は言う。


「驚かせてしまって申し訳ありません。少し、ご相談がございます」


「はあ、どういった御用件でしょうか?」


「ここでは話せません。聖下の件で、ちょっと……」


 ――*――


 その頃、ダヴィは大聖堂の外で、久しぶりの再会に喜んでいた。


「ロミー! 久しぶり!」


 郊外に設置された大きな天幕。ダヴィが見慣れたサーカス団『虹色の奇跡』の舞台だ。この祭典に合わせて、ダヴィは彼らを庶民への催し物の一つとして招致していた。


 ロミーははにかんだ表情を見せる。


「やあ、ダヴィ。元気そうだね」


「ロミーも……って、そのお腹は?」


「やっぱり気づくわね」


 ロミーのお腹はポッコリと膨らんでいた。オレンジ色のふわりとしたドレスを身にまとうが、その異変は隠しきれない。ダヴィは彼女のお腹と顔を目をぱちくりしながら見つめる。彼女は照れて、膨れたお腹を擦りながら言った。


「まさか人の母親になるなんて、夢にも思わなかったよ」


「相手は?」


「そこのでくの坊さ」


 ロミーが親指で後ろを指す。そこにいたのは、頭をポリポリとかいたミケロだった。


「ミケロ! いつの間に!」


「いやあ……その、なあ……」


「トリシャが死んで大分落ち込んだ時さ。そこを狙われたのさ。うまい具合に慰められてね。あたしも油断したものだよ」


 と眉間にしわを寄せるが、口元は笑っている。こちらも照れている大柄なミケロと並んでみると、気心知れたお似合いの夫婦に違いない。ダヴィは満面の笑みで祝福した。


「おめでとう!」


「ありがとうね。あんたの仕事もあるけど、子供が生まれるまではここに留まらせてもらうよ」


「ダヴィ、大分西の情勢が怪しくなってきたぞ」


「状況としては、俺がいた頃に戻ったと思ったけど、それよりも悪い?」


「そうだね。きな臭くなってきたね」


 ヨハン=セルクスが敗死した後、ファルム国中心の世界秩序は崩壊し始めた。ヨハンが手なずけていたウォーター国とファルム国は親交が薄れ、ファルム国内では貴族間の対立が激しさを増していた。それも、ヨハンと教会の後ろ盾を失ったファルム王の権威の失墜が原因だ。


 その情勢の変化を見越して、ダヴィも戦ったことがあるヌーン国が、ウォーター国に攻め入った。ウォーター国は善戦して追い返したが、その際にファルム王には支援を求めず、ファルム国内の大貴族に援軍を要請したという。


「ファルム王ではなく、大貴族に援軍を求めた辺り、ウォーター国ではファルム王に見切りをつけているのかもしれない。教皇もあんな無様に負けちまって、何も信頼出来なくなった庶民は恐れているし、まだまだ荒れそうだよ」


「むう……」


 情報としては聞いていたが、こういう生の声を聞くと、状況の深刻さはよく分かる。


 昨年まで栄華を誇っていたファルム王の失墜。権力の移ろいとは激しいものである。東が安定したと思えば、今度は西が荒れる。その混乱を招いた遠因が自分であることの後ろめたさと、世界政治の怖さを、ダヴィは改めて感じた。


 だが、そんな世界の変動に、このサーカス団は怯えない。渡り鳥のように、自分たちが芸の出来る場所へと旅をするだけだ。


「トリシャの墓参りに来たかったし、ちょうど良かったよ」


「そうだね。新しく墓を建てたんだ。後で案内するよ」


「うん……エラにはまだ言っていないのかい?」


 トリシャが死んだことを、である。ダヴィは首を振った。彼の耳にぶら下がる金の輪がゆらゆらと揺れる。


「でも、最近は墓参りしても黙ってついてくる。何も尋ねずに、一緒にお祈りするようになった」


「……分かっているのかもしれないね、トリシャが死んだことを。あの子は賢い子だよ。自分の感情も隠せるだろう。今日は目一杯、あたしたちの芸で楽しませてあげないと」


「うん。頼むよ。それにしても……」


 ダヴィは心配する。


「そのお腹で舞台に立てないでしょう? 代役は大丈夫?」


「バカにするんじゃないよ! あたしのサーカス団を見くびらないことだね。あんたやトリシャ、そしてあたしがいなくても、お客を立派に魅了してあげるよ」


「それに、このサーカス団にはスターがいる」


「スター?」


 その時、ダヴィの肩がポンと叩かれた。振り返ると、ツーブロックの黒髪をキレイに整えた男性が笑っていた。


「ビンス!」


「よう、ダヴィ。元気そうだな」


「スターって、ビンスのこと?」


「おうよ! 俺様以外に誰がいるっていうんだ」


「調子に乗るんじゃないよ。まったく。だからもっと芸が伸びないんだ」


 とロミーは叱るが、ミケロがダヴィに耳打ちする。


「ビンスは名実ともにこのサーカス団のスターだ。この一年は必死に芸を磨いてきた。見たら驚くぞ」


 頷いたダヴィに、ビンスがまた声をかける。


「今夜のこの国の王は、俺だ。嫉妬するんじゃねえぞ」


「分かったよ」


「このヤロウ! 余裕持ちやがって。今に見てろよ」


 ビンスはガシャガシャとダヴィの頭を強く撫でる。今のダヴィにこんなことが出来るのは、もはや、ビンスだけだろう。ダヴィは笑いながら、その手荒い仕打ちを受けた。


 やがて「稽古があるから」と三人は天幕へと入っていった。ダヴィはもう自分が入ることはない天幕をぼんやりと見つめていると、土の地面を近づいてくる足音が聞こえてきた。


「ダヴィ様、こちらにいらっしゃいましたか」


「ルフェーブか。どうしたんだ?」


 先ほどとは違う口調に変わるダヴィに、ルフェーブは顔をしかめ、一拍置いて言った。


「少し、お願いしたいことがあります」


「お願い?」

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