第8話『女王の褒美』
ソイル国の王都は、風の騎士団に連れられてきた異教徒の集団に、動揺を隠せずにいた。
本来、異教徒は王都に入ることもできない。それなのに、一族合わせて数百人の規模でやってきた。王都の中に村が一つ増えたような印象だ。
この時代、特に各国の中でも小規模な王都であるモスシャの街は、人口は5万人もいなかった。国力とは人の数で表される時期であり、この数の移住のインパクトは、我々が考えるよりもかなり大きいと付記する。
風の騎士団の騎士たちが、街の人々に触れ回る。
「この者たちは二重円教に
それを聞いて、余計に驚いた。名誉を重んじる異教徒たちが
それがこの女王の時代になって変化した。
(女王陛下はどんな手を使われたのだろうか)
女王憎しで
――*――
ロレックは代表として連れられ、アンナ女王の前にひれ伏した。その隣にダヴィとハワードが立つ。女王は微笑みながら座り、ウィルバードは深い皺を刻んだ渋い顔を崩そうとせずに隣に立っていた。
「陛下、この者がバクス族の長です」
「ロレック=バクスと申します。降伏をお受けいただきましたご寛大な御心、感謝いたします」
「…………」
彼女はジッと、ひれ伏すロレックを見つめている。ダヴィは恐れていた。ここで彼女が機嫌を損ねて彼らを受け入れなかったら、どうしようか。彼女の中にある、異教徒を軽蔑する気持ちが強ければ、そうなってしまう。
しかし彼女は口角を上げた。
「しっかりと仕えなさい」
「はは!」
ロレックがハワードに連れられて去った。ダヴィは彼女の質問を受ける。
「人は大事よ。異教徒を私の国に組み入れたのは評価するわ。でも、それだけ?」
単純な人口の増加。異教徒の襲撃の防止。その結果だけでは、彼女は満足しない。
ダヴィは試すように見つめてくる彼女に、こう提案した。
「彼らを陛下の直轄軍に組織してください」
「直轄軍?」
「近衛軍を編成するのです」
ソイル国は遊牧民の部族で出来上がっている。ソイル軍も部族ごとに集まっている。その部族長たちの支持がパーヴェル王子に集まっている現状、女王が保有する軍事力は『風の騎士団』のみだ。ダヴィはそこが女王の弱点の一つだと感じていた。
「近衛軍を強化すれば、女王の権威は高められます。やがてその軍事力を恐れて、従う部族も増えるはずです」
「それを異教徒で構成するのか?」
「今従っている部族をそっくり近衛軍で組み入れるのは難しいです。この国には比較的異教徒が多い。彼らで組織できるはずです」
ウィルバードは頭の中で計算する。この国は伝統的に武力の強いものを尊ぶ。カーロス4世がまさにそうだ。だから各部族も粗暴な彼を慕って従ったのである。
暴力こそ権威。この国で通用する常識を利用しない手はない。女王の笑みが深くなる。首元の鈴が光る。
「近衛軍が私を救う……」
「異教徒を改宗させるという名目で行えば、民衆は支持します。今回の件でも、陛下を見る目は変わったはずです。この基礎として、バクス族を使って下さい。これが私の誕生日プレゼントです」
彼女はフフフと笑い始めた。そしてその声は大きくなり、部屋中に響くぐらいまでになる。
しばらくして、やっと彼女は笑い声を収めた。
「ウィルバード。近衛軍のための予算を編成しなさい。彼らに宿舎も与えること」
「分かりました、女王陛下」
「ダヴィ」
彼女は立ち上がると、ダヴィを手招きした。
「私の部屋に来なさい」
「陛下、それは……」
「ダヴィは口が堅いし、信用できる。あなたもこの数週間監視して分かったでしょうに」
ウィルバードは戸惑って一瞬固まったが、やがて一礼して部屋を出ていった。ダヴィは不安そうに眉をひそめて、彼女を見た。
彼女は真っ赤な唇を動かして、彼を誘う。
「いらっしゃい。ご褒美をあげるわ」
――*――
石畳の廊下を歩く。王城の奥へ進むにつれて、すれ違う人が少なくなる。空気が余計に冷たく感じられた。
女王は国王と一緒の部屋に住んでいる、はずである。
『国王の世話は女王が自分でやるから、メイドも入れないとか。国王の姿自体をここしばらく、女王以外は誰も見ていないらしいですぜ』
ライルが仕入れてきた情報を思い出す。それならば女王の部屋に入ると、国王に会えるのだろうか。
考えがまとまらないまま、2人は重厚な鉄の扉の前にたどり着いた。周りには衛兵の姿すらない。
「ここよ」
彼女は持っていた鍵で錠前を開き、ゆっくりと扉を開けた。中から、かび臭い匂いが這い出てくる。
「入りなさい」
言われるがまま、ダヴィは部屋の中に入った。
部屋には窓すらない。小さな蠟燭だけを頼りに、大きなベッドや家具の
その家具の中に、ダヴィは“人形”を見つけた。
「だ、だれ?」
椅子に座る彼は、瞬きもせずに、ずっとダヴィを見ていた。蝋燭の明かりに照らされたその姿は、白い髪や髭が伸び放題で、小刻みに震えているのが分かる。
唯一の扉に再び鍵をかけたアンナ女王は、物言わぬ彼の白い頭を撫でた。
「カーロス4世。この国の国王よ」
「え? この方が……」
ダヴィは絶句した。王城の中で見かけた肖像画に描かれた立派な鎧姿、大きな斧を振るっている勇猛な姿とは、似ても似つかない。
彼女は怪しく微笑むと、彼の頬に口づけする。
「数年前からこんな風になってしまったの。可哀そうなことに……ふふふ」
そう言うと、彼女は彼の頬をつねり上げる。彼は「うう」としか声を漏らさなかった。
人形。まさしく彼は女王の人形である。
「だから私がこの国を率いているのよ。仕方のないこと」
病気でこうなるだろうか。そう疑問に思った時、彼女の底の見えない瞳を覗いた。
ダヴィは確信する。
(これは、人の悪意によるものだ)
女王は“人形”から離れ、ベッドに腰掛ける。そしてスルスルと、ろうそくの光でより赤く見えるドレスを脱ぎ始めた。
彼女の白い肌が、ダヴィの目に飛び込む。
「えっ? えっ?」
「あなたは初めてかしら」
ダヴィが戸惑う間に、彼女は一糸まとわぬ姿となった。白い体に、赤い髪が垂れている。首につけた鈴も取り外す。張りのある乳房が、彼を誘った。
彼女は香を
心臓がバクバクと音を立ている。
いつの間にか、彼は服を脱がされていた。彼女の吐息に、頭がとろけそうになる。体の中の血液が、いつもの何倍かのスピードで流れている気がする。
彼女はまた微笑むと、ベッドの傍のロウソクを消した。
暗闇の中から彼を呼び寄せる。
「いらっしゃい。夢を見ましょう」
この後のことを、彼はよく覚えていない。緊張していたからか、それとも無我夢中だったからか。彼女の柔肌の感触も、お互いの汗のしたたりも、暗い闇の中に置き忘れたようだ。頭の中にもやがかかる。
覚えているのは、部屋の片隅からこちらを見る、人形の目だった。木のうろのような目が、ダヴィの記憶の中にこべりつく。
そしてすべてが終わった後、ろうそくの火が消えた真っ暗な部屋の中で、彼女の言葉が、彼の記憶に残った。
「いつかあなたが軍を率い、私が国王になった時に、踊りましょう。世界を巻き込み、血わき肉躍る激しい踊りを。それまで死んだら、いやよ、ダヴィ」
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