第3話『女王との夕食』

 れが一向にひかない。これから女王と夕食というのに、ダヴィの片眼は見すぼらしく青く傷ついたままだった。


「大丈夫ですか、ダヴィ様」


「ええ、ご心配なく。つぶれてはいませんよ」


 案内役の女性の召使いに精一杯の笑みを返すも、表情筋を動かすことで、余計にれが目立つ。その顔を向けられた相手は、眉をひそめて顔をそむけた。とても見ていられない。


 夕日の光が差し込む廊下。その途中、男たちの行列が目の前から近づいてきた。行列の一番前にいるのは、ライル以上にどっぷりと太って、あごひげを生やした男であった。


「パーヴェル王子です」


 召使いがぼそぼそと教えてくれた。ダヴィは彼女にならって廊下の端に並び、お辞儀をした。


 パーヴェルは大股でこちらに歩いてくると、ダヴィの存在に気が付いた。


(珍妙なやつだ)


 両耳から大きな金の輪が垂れさがっている。こんなやつ、見たことがない。


 隣で歩く側近が耳打ちする。すると、興味を示したのか、大きなタラコ唇を開く。


「お前がウォーター国から来た騎士か。顔を見せろ」


 ダヴィが顔を上げると、その顔を見た彼はギョッと目をむいた。


「その傷はどうした?」


「えーと、ちょっと……」


 側近が再び彼に耳打ちする。王子は露骨に顔をしかめた。


「あの性悪な女狐め! こんな子供をいじめて、どうしようというのか」


 年齢は30を超えている彼には、後から聞いた話だが、ダヴィと同じぐらいの息子がいるらしい。そのためか、ダヴィの身上みのうえを素直に案じる。


 彼はダヴィに自分が持っていた短刀を渡す。


「何かあればそれを振り回してでも逃げてこい。俺が許そう。あの女の胸を突き刺しても大丈夫だぞ」


「え、それは……」


「むしろ、それをしたら英雄と称えてやろう。フハハハハハ!」


 ダヴィが言いよどんでいると、その短刀を無理やり押し付けてきて、受け取るしかなかった。王子は良いことをしたと笑って、側近たちと共に廊下を歩いていった。


豪儀ごうぎなお方です」


 ああいう性格がこの国では好まれるのだろう。召使いはうっとりとした目で、彼の後姿を見送っていた。


(これも、お国柄くにがらか)


 ダヴィは彼の姿を目に焼きつけつつ、ダイニングルームへ再び向かった。


 ――*――


 静かな夕食を終え、テーブルの端にいる女王は、もう一方の端にいるダヴィに質問した。


「今日は何が分かったかしら」


 ダヴィはナプキンで口を拭った。その時、昼間に切った口の端の傷が痛んだが、表情を変えることなくナプキンをテーブルに置いた。そして静かに答える。


「女王陛下はですね」


 女王の左側に座るウィルバードが、白い眉の片方を上げてダヴィをにらんだ。女王は笑みを深める。


「それは、どういうことかしら」


「ウォーター国の国民は普段、王家の話をしません。彼らは目の前の生活が大変ですから、興味を持たないのが普通です」


「…………」


 彼女は肘枕をついて見つめた。彼女の傾けた頬に赤い髪がかかる。彼女の首の鈴が鳴った気がした。ダヴィの話は続く。


「それに比べ、ここの民は毎日の食事の時も陛下の話をします。それはトップの政治が生活に直結すると知っているから。陛下が政治を行って以降、生活が楽になったと理解しているからです」


「その噂話が、たとえ悪口であっても?」


 ダヴィは一口コップの水を飲み、しっかりと答える。


「好きの反対は無関心です。嫌いと言われているうちは、好きになる可能性はあります。それに、この評判自体が作られたと考えます」


「なぜ、そう思ったの?」


「申し訳ありませんが、パーヴェル王子をカッコいいとは思えなかったので」


 女王は声を上げて笑った。隣のウィルバードも白くて長い髭を揺らして笑っていた。


 ダヴィは、アンナ女王とパーヴェル王子両方の評判が、王子側で作られた代物だと推察した。いくら豪快な性格で好まれるからと言って、あれを直接見て美形と表現する人などいまい。そんな人がいたらシャルル様に会わせてやりたいぐらいだ、とダヴィは思った。


 彼女は笑い声を収めて、今度は彼を褒めた。


「よく調べたわね。最初に聞いた時は、ハワードに痛められすぎて頭がおかしくなったのかと思ったわ」


 ダヴィはまだ青くれている目を抑えて、はにかんだ。その表情はまだ15歳の少年そのものだった。彼女は赤い唇を三日月型にして微笑み、彼に問いかける。


「その嫌いを好きに変えるには、どうしたらいいかしら?」


「……申し訳ありません。それはまだ分かりません」


 彼女は小さく頷き、そして椅子から立ち上がった。


「いいわ。まだ二日目ですもの。これからじっくりと調べてちょうだい。あなたの部下2人にもよろしく伝えなさい」


「はっ」


 ダヴィも立ち上がり、部屋を出ていく彼女たちを見送ろうとした。


 その時、彼女は足を止めた。


「そうそう。ハワードが明日も訓練場に来いって言ってたわよ。そちらも頑張りなさい」


 顔が思わずゆがむ。ダヴィは慌てて表情を戻したが、それを見逃すはずもなく、女王は再び高笑いをして部屋を出ていった。鈴が鳴っている音が、段々と遠ざかっていった。


 ダヴィは彼女の笑い声と鈴の音が消えたのを確認すると、また椅子にドカッと座った。高い天井を見上げて、大きく息をつく。


「やれやれ、修羅場の後はまた修羅場か。生きて帰れるかなあ」


 残念ながら、彼の人生は修羅場だらけになるとは、この時彼はまだ知らなかった。


 知らない方が幸せであるというべきか。

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