第11話『ダボットの未来予知』

 突然現れたダボットは、ゆっくりとダヴィの隣に座った。頬はこけ、テーブルに出した手は骨と皮しかない。ダヴィは心配する。


「ダボット、大丈夫か?」


「ご心配ありません。まだ戦場には行けませんが、歩くことは出来ます。それに」


 ダボットは机の対岸に座るハリスを見た。


「こやつが来ていると聞きましたから、その顔を眺めたいと思いましてね」


「…………」


 ハリスは黙った。ダボットの力なく垂れる袖から目を反らす。彼にも罪悪感はあるらしい。


 ダボットは容赦なくハリスに言う。


「俺が言ったこと、そのまま聖下に言われたそうだな」


「くっ……」


「見せかけだけでは聖下はだませぬ。聖下は中身を見通される」


 病後でも、彼の毒舌は鋭い。ハリスはますます俯き、下唇を噛んだ。マリアンとトーマスも黙ったままだ。ダボットは彼らにバッサリと答えを伝える。


「ダヴィ様のおっしゃる通り、お前と聖下を引き合わせても、今のところ無意味だ。出直してくることだ」


「…………」


「ダヴィ王並びにご重臣の方々、恥を承知で、もう一つお願いしたいことがごさいます。我らと手を結んでもらいたい」


「なに?」


 ダヴィたちが顔をしかめると、トーマスは急に自分の包帯を解き始めた。何重にも巻かれた包帯の下には、えぐられた穴が二つ、ひくひくと動いている。


「うっ……」


 思わずジャンヌが顔をしかめた。鼻が無いだけではなく、火傷の跡も見える。人の顔とは思えないほどみにくい。


 ハリスたちも驚く中、トーマスは皺の多い顔で苦笑する。


「見ていられないでしょう。自分で分かっております」


「痛々しいお姿だ。それも“あの反乱”の時のですか」


「さすがはダヴィ王、耳がお早い」


 トーマス=スケール。彼はファルム国で高名な農政学者だった。壮年の頃は各学校が招待を争うほど著名で、当時のファルム王の諮問にも答えている。だが、彼は現場を見たいと言って、家族と一緒にファルム国の片田舎に移り住んだ。それが悲劇の始まりだった。


「今も昔も変わらず、農民の暮らしは酷かった。儂がいた地域は目も当てられないほどで、やせ細った大地から得たわずかな収穫を、貴族がしぼり取っていった。儂の農学を扱う以前の問題じゃった。そこで儂の正義感が働いたのが、運の尽きでしたな」


 と言って、トーマスは笑ったが、周りの表情は強ばったままだ。笑うことが出来ないほど、彼の人生は壮絶だ。


 彼は農民たちと一緒に反乱を起こした。反乱と言っても武器を持ったわけではない。貴族たちの横暴を咎める嘆願書を、ファルム王に提出したのだ。ファルム王は深く受け止め、現地に調査団を送り込もうとした。その動きに貴族が激怒した。


 そして発生したのが、証拠全てを隠ぺいすること、つまり殺戮だった。


「飢餓が発生していた村々を貴族の軍隊が襲い、儂と儂の妻や娘も捕らえられました。儂は鼻を削がれ、目の前で妻と娘は焼き殺されました。儂がこうして生き残っているのは、鼻を削いだ時点で死ぬと踏んで捨てられたからです。その後、妻と娘を焼いた木の破片で自分の傷を焼かなければ、本当に死んでいたでしょう」


 こうして調査団が来る前に、農民たちは皆殺しにされて、村々は焦土と化した。


 この件に対して、ファルム王が怒ったかと言えば、そうではなかった。さすがにやり過ぎとは見られたが、この殺戮を実行した貴族の後ろ盾には、ファルム国屈指の大貴族がいた。彼らの権力と、貴族間の調整により、農民たちの命は無視され、事件の責任の所在はうやむやにされた。このことに、トーマスは死よりも辛い憎しみを抱く。


 彼は話をまとめる。


「儂は勿論のこと、ハリス様やマリアンも、今の貴族中心の政治を憎んでおり、変えたいと願っております。ダヴィ様、あなたも同じのはず。先の教皇に最愛の人を殺され、クロス王に潰されかけた。そして今、貴族制度を潰して、新しい政治を行おうとしている」


「だから、手を結びたいと?」


「このトーマス、伏してお願い致します。ハリス様と共に、新しい世界を共に築いて頂きたい」


 と言って、トーマスは深々と頭を下げる。マリアンも続いた。


「お願いします。ご温情を頂きたいです」


「…………」


 マリアンも深く頭を下げるが、ハリスは軽く下げるに留めた。ダヴィは難しい顔をする。


(ハリスは、信用ならない)


 断ろうとしたその時、彼の足をダボットの杖が小突いた。


「お受けなさいませ」


「ダボット、良いのか?」


「トーマス殿の言葉は本物です。熱い言葉に心を打たれました。同じ信条の者と手を組むのは良いことです」


「おお!」


 トーマスは目を輝かせて、改めて頭を下げる。ダヴィは渋い顔をして答えた。


「ファルム国には干渉しない。たとえファルム王の親族や貴族たちから援助を求められても、手助けしない。……今、約束できるのは、このくらいだ」


「十分です! 感謝いたしますぞ」


 ハリスたちにとって最も恐ろしかったのは、ダヴィが反ファルム王側に回り、ハリスたちを討伐しに来ることだった。その不安が解消されただけでも、意義のある合意だ。しかも立場はダヴィの方が圧倒的に上なのだ。マリアンに至っては、驚きを隠さず、目を丸くする。


 十分な成果を得たハリスたちは、退室した。最後までハリスはダボットに謝罪しなかった。


 彼らが消えて、扉が閉まった後、ダボットはぼそりと言った。


「トーマス=スケールは、理想家ですなあ」


 ダヴィが視線を向けると、ダボットはやせた頬に苦笑いを浮かべていた。ルフェーブが代わりに尋ねる。


「それは、貴族を廃するということですか?」


「それもある。貴族とは知識階級だ。それを全て潰しては、政治が成り立たない。だが、それ以上に、あやつを理想の主として仰ぐことが問題だ」


「ハリスを、か」


 とダヴィが呟く。今度はアキレスが尋ねた。


「やはりハリスは素質が無いか。ダボットに謝ることもしない態度は、目に余る」


 ダボットの痛々しい姿を見ながら、アキレスはいきどおるが、ダボットは鼻で笑う。


「プライドばかりが高い者だ。下らない連中だが、そんな者はいくらでもいる。ハリスの一番の問題点は、決断しないことだ」


「どういうことだ?」


「先ほども、ハリスは何も決めなかった。結局、我々と手を結ぼうと言ったのは、トーマスだ。部下の意見が先行し、自分は振り回されているだけで、何も決めない。そういう主君が一番愚かだ」


 そして、とダボットは、マリアンとトーマスが座っていた位置を指さす。


「二人はハリスをとがめなかった。それが最悪の問題点だ」


 ダボットは自分の腕を擦りながら言う。まだ痛いのだろう。


「完璧な主君はいない。ダヴィ様も血の気がまだまだ多く、威厳もあまりお持ちにならない。頑固なところもある」


 と指摘されて、ダヴィは顔をしかめて、頬をポリポリとかく。痛いところだ。ダボットはそんなダヴィを見て、頷く。


「だが、ダヴィ様はこういう諫言を受け止められる。ハリスたちは違う。ハリスは甘い言葉だけを求め、配下たちも厳しい言葉を発せず、ハリスに幻想を抱く。個々人は完璧でなくても、君臣合わされば理想に近づける。ハリスの姿形が立派であるからこそ、彼らはそれに気づかない」


 ここまでダボットが批評した後、ジャンヌが疑問を口にした。


「それなら、なんで手を組んだのさ? そんなにダメな奴らなんだよね?」


 ダヴィも同意して頷く。彼が自分の腕を斬り落としたことを咎めず、ハリスと手を組むことを勧めたのが信じられない。


 ダボットは首をひねる彼らに答えた。


「ファルム国をかき乱してもらうためだ」


「なんだって?」


「ダヴィ様。世界から見ると、我らは異端者です。ファルム国が本気を出して、周辺諸国と手を結んで攻めてきたら、我々には勝ち目はありません。そこで、ハリスを使うのです」


 ダボットは未来を予知する。


「ハリスはいずれ自滅するでしょう」


 その彼の“使い方”をダヴィに伝える。


「しかし今だけは力を持っています。やつを後押しして、ファルム国やその周りをかき乱してもらうことで、敵の力を削ぎ、時間を稼ぎます。その間に我々は力をためて、いずれはファルム国に攻め込むことが出来ます」


「彼を獅子身中の虫とするか……」


「その通りです。もっとも、ハリスは自分を虫とは思っていないでしょうが」


 感情を越えて、冷静に時局を読み切る。ダヴィは改めてダボットに敬意を抱く。ダボットはこう答えた。


「先ほど“信条が一致した”とトーマスに言いましたが、あれは方便。“利害が一致”してこそ、手を組むべきです」


 ――*――


 帰国の途に就いたハリスたちの足取りは軽い。予期せぬ合意にマリアンは心躍らせ、トーマスに至っては


「素晴らしい同志がいましたのう。誤解もありましたが、これから関係を良くしていけば大丈夫です。彼らはきっと我々を応援してくれるでしょう」


 と感動さえしていた。


 その一方で、ハリスは遠ざかるミラノス城をうつろな表情で眺めている。あの城にいる美しき聖子女。その姿がハリスのまぶたの裏に焼き付いている。


「いつか、仲良く……」


 ハリスがはたと気づくと、マリアンがこちらを見つめていた。ハリスは咳払いをして、彼女に答える。


「俺は反省したよ。聖子女様が言った通りだ。もっと有名になって、力を持たないと。男を磨かないといけなかった。俺はまだまだだ」


 彼は少し勘違いしている。聖子女は『人の魅力』について語ったが、彼は『男の魅力』にすり替えて考えた。名声と権力を求めていた。


 マリアンは薄々気づいていたが、どちらにしろ彼が前向きに考えていることに対して称賛した。


「素晴らしいお考えですわ! 我々ももっと頑張ります!」


「いずれはダヴィよりも強くなりたい」


「良いお考えですのう。彼は言わば、ハリス様の先達に当たります。目標にするべきでしょうな」


「うん……」


 さきほどかなり激怒された印象が残っており、ハリスはダヴィを好意的に見ていなかった。しかしトーマスにそう言われると、曖昧に頷いた。


 ハリスは彼らに尋ねる。


「もっと強くなるには、どうしたらいい? 聖子女様に認められたい」


「このまま貴族を潰していく方法が確実だと思いますが」


「それじゃ遅いんだ! もっと早く、認められたいんだ」


 焦る気持ちをぶつけられて、マリアンとトーマスは顔を見合わせる。そしてトーマスは首をひねりながら、彼の要望に応えようとした。


「あまり使いたくない手ではありますが、一つあります」


「どんな手だ?」


「ある人物に協力を仰ぐのです」


「誰だ?」


 トーマスは言いづらそうに答える。


「サロメ=アンティパス。ウッド国から亡命してきた女性ですが、お気を付けください。彼女は“魔女”です」


「“魔女”……?」

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