第12話『南部国境線の戦い 上』

 金歴552年中秋、空の青さが透明に変わり始める。人々はやがて訪れる冷たい北風を予感して、冬の支度を始める。


 そんな時、ウッド軍襲来の知らせが届いた。それと同時に、南部で元貴族の反乱が発生したと連絡を受ける。


「冗談だろう?」


 会議室で座るミュールが腕を組んで呟く。隣に座るジャンヌが尋ねた。


「どうしてそう思うのさ」


「だって、今はコメの収穫時期だろ? ウッド国の連中にとって一年で一番大事な時さ。そんな時に兵士として駆り出すなんて、正気の沙汰じゃねえ」


 農民出身のミュールはこれが農民にとっていかに非情な行いか、分かっている。会議室にいる一同がミュールの言葉に頷いた。


 ルフェーブはこの出兵の理由を推測した。


「アレキサンダー6世が強硬に主張したのかもしれない」


「あの“元”教皇が?」


「大方、この前の新教皇の即位に腹を立てたのだろう。自分の地位が危うくなることを恐れたのかもしれない。いずれにしろ、あの男は農民の苦労を理解していないはずだ」


「けっ、くそったれだな」


 問題は今後の対策だ。ダヴィはアキレスやオリアナに尋ねる。


「敵の兵力は? 反乱の状況は?」


「物見から、ウッド軍は約二万と聞いています。北進を続けて、反乱軍と合流するつもりでしょう」


「反乱は小規模……元貴族が三人参加……兵力はせいぜい四千人」


「まったく問題はないでしょう」


 とジョムニが言葉を添える。彼は青いキャスケット帽の下から不敵な笑みをのぞかせながら、ダヴィに進言した。


「敵はこちらの虚をついたつもりでしょうが、天の時節に逆らって行動しています。そして我々の常備軍はいつでも行動できます。こちらの勝利は必至です」


「そうだね、落ち着いて行動しよう。どういう作戦がいい?」


「各個撃破するべきでしょう。今はダボットさんがいませんので、私が反乱軍に向かいましょう。ダヴィ様はウッド軍の撃破をお願いします」


「分かった」


 あとは軍の編成だ。ジョムニは数式の答えを求めるように、平然と言った。


「私にミュールさんと二千の兵をお預けください。ダヴィ様は二万の兵を率いてください」


「二千?」


 会議中で驚きの声が上がる。アキレスが信じられないという表情で質問する。


「本気か? 相手は四千人で、城に籠っているんだぞ?」


「まあ、大丈夫でしょう」


 事もなげに言うジョムニはニヤリと笑う。彼には自分の手の上で敵が躍る未来がありありと見えた。彼は机の上にある資料をポンポンと叩く。


「オリアナさんが揃えてくれたこの情報。そして武官の皆さんが鍛え上げた軍隊。あとはそれらを上手く活用することで、勝利は転がり込んできます。戦いはすでに終わっているも同然です」


 ――*――


 一方、森の中を北進するウッド軍の中で、シンは眉間にしわを寄せて難しい表情を浮かべていた。ろくな道がないため、行軍スピードは遅い。牛の歩みのように、休憩を繰り返している。


(いかんな)


 士気が低い。兵士たちの表情に覇気はなく、すでに疲れた表情をしている。何度叱咤しても休息を取ってしまうのも、その表れだ。


 馬上で、彼女のポニーテールが揺れる。シンはため息をつきそうになるのを、すんでのところで止める。その代わり、彼女は出陣命令を受けた後、サロメに挨拶をした時のことを思い出した。彼女の部屋に入るなり、相変わらず寝そべっていたサロメにいきなり指摘された。


『不服そうね。感情が表に出てしまっているわ』


 シンは動揺して自分の頬を触った。その素直な動きをサロメが笑う。


『あなたのことだから、陛下に諫言したのでしょう』


『はい……この時期に出兵するのは、民衆の恨みを買うと』


『そして、かなり怒られたのね』


『…………』


 この出兵を最も推し進めていたは、実はウッド王だった。彼はサロメがダヴィから受けた屈辱を忘れておらず、憎しみは募るばかりだった。


 その折に教皇からの出陣依頼が来た。渡りに船と言わんばかりに、強引に出陣を決めてしまった。そしていさめたシンを罵倒する。


『貴様はいつから臆病者に成り下がった! これはサロメを守れなかった貴様の汚名を晴らす機会でもある。さっさとダヴィの首を上げてこい!』


 いつもの温厚な姿と違い、聴く耳を持たない。内政を司るサンデルはシンに助言する。


『こうなれば仕方ない。兵の士気は上がらないだろうが、なあに、ダヴィの出来合いの軍など、我が国の軍隊ならすぐに倒せるだろう』


 シンは内心肩を落とした。ウッド国は直近の戦闘経験は少なく、そもそも国境を越えて戦うことは歴史的にも稀だ。この難しさを、剣を持たないことを是としているサンデルには分かるまい。


 シンの真面目な顔の中に、沈鬱な感情が現れているのを、サロメは見つけた。彼女はシンに助言を与える。


『この戦い、勝つ必要はないわ』


『は?』


『負けなければいい。国境を越えさせなければいいのよ』


 サロメは出来の悪い生徒を指導するように、試しながら質問する。


『この戦いの目的は何?』


『それは……ダヴィ軍を撃破することです』


『違うわ。出征を求める陛下と教皇に、ダヴィ撃破を諦めさせることよ。そしてダヴィには、ウッド国には攻められないと認識させること。つまり、現状維持よ』


 目を点にしてシンは考える。一体どういう意味だろうか。サロメは黒い唇の両端を上げながら、理解できない彼女に指示を出す。


『あなたは一生懸命やれば良いだけよ。あとはわらわが上手くやってあげる。いいわね』


『はい……』


『分かったなら、早く行ってちょうだい。この頃陛下の求め方が激しいから、早めに戦って、陛下の溜飲が下がるような“ほどほどの”報告してもらえると助かるわ』


 今思い出しても、サロメの意図は分からない。シンは首を振った。まずは兵を率いる身として、自分は精一杯やるだけだ。シンは手綱を動かし、馬の歩みを早めさせた。


 その時、従軍していたある貴族が馬を並べてきた。


「アンジュ公、一つ助言してもよろしいかな」


 シンは背筋を伸ばして、その貴族の方を見た。彼は父の腹心だったラドン子爵で、戦闘経験も豊富だ。シンは普段の無表情さを変えて、愛想笑いを浮かべて返答する。


「喜んで」


 ラドン子爵は自分の髭を撫でながら、意気揚々に自分の意見を述べた。


「十中八九、ダヴィはこの先で待ち構えているでしょう。この道は狭いが、旧クロス国に通じる唯一の道路。予想はつきやすい。そこで、私が一軍を率いて、別のルートから進軍しよう! 予期しない方向から出て行って挟み撃ちできれば、勝利は間違いなし!」


 シンは考えた。確かにラドン子爵の提案は魅力的だ。しかしこの作戦はよく知らない敵国内で行われるのだ。不確定要素が多すぎる。さらにはウッド国の者でも迷うこの森の中では、連絡も十分につけられないだろう。連携が大事な作戦には障害が多すぎる。


「どうだろうか」


 自信たっぷりに提案してくるラドン子爵に、シンはストレートに回答する。


「成功する見込みは少ないと思います。ここはこのまま進みましょう。素晴らしい提案だと思いますが」


「分かった!」


 とラドン子爵はプイッと顔を反らして離れて行ってしまった。シンは下唇を噛む。


(また、やってしまった)


 ラドン子爵のプライドを傷つけないように、やんわりと否定するべきだった。まして、かなり年下の小娘に提案を蹴られたとあらば、心中穏やかではないだろう。


 父だったら、どうしただろうか。もっと上手く、部下とコミュニケーションを取れたに違いない。実績ある父ならば、部下も納得して立ち去っただろう。


「難しい……」


 父から受け継いだ片刃剣が、腰でガチャリと鳴る。いつも以上に重く感じる。


 シンは自分の行動と仕事に不安を抱きながら、北へと進むしかなかった。

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