第13話『南部国境線の戦い 中』

 旧クロス国とウッド国の国境にはリスリィ山がそびえている。他の山々と東西に重なり、二つの国を切り分けている。これらの山々が南から流れてくる雲をせき止め、大量の水源を必要とするヴィレン大森林の植生が北へ進出することを防いでいる。


 ダヴィ軍二万人とウッド軍二万人は、その山のすそ野に布陣、対峙たいじした。


 山々は赤く染めあがっている。しかしながら、これから人の命でもって、もっと赤く染まることだろう。


「うう~、ここは寒いねえ。僕の美しい肌が荒れないか心配だよ」


 とマセノが両腕をこすりながら、不満を口にする。隣にいた異教徒の男が睨む。


「情けない。我らの故郷よりは大分マシだ。風は強いが、北から吹いている。我らに有利な風向きだ」


「勇ましいね。血の気が多すぎると、女の子が引いちゃうよ。君、モテないでしょ」


「なに!」


「おっと」


 目じりをつり上げた男に対して、マセノは人差し指を立てて制する。彼は顔半分でニヤリと笑ってみせる。


「今回は喧嘩はなしだ。君だって、ダヴィ王にこれ以上失望されたくはあるまい」


「くっ……」


「勝手に突撃しないこと。そして僕の命令に従うこと。いいね? 君の同僚や部下にもそう伝えてくれ」


 男は一度睨んだが言葉はなく、そのまま立ち去った。その去り際に「なぜこの男の指揮下なのだ。ダヴィ様の意図が分からぬ……」とだけ呟いて。


 マセノはふうと息を吐いた。


「僕にだって分からないよ」


 先日の戦いと同様に、マセノに異教徒の軽騎兵隊を率いさせた。そしてこちらも同じく、ノイは前線の歩兵部隊に組み込まれた。


 敵の方角をジッと見つめるノイに対して、この部隊を指揮するライルとスコットが近づいて行った。


「よう、大男」


「…………」


 頭二つ分以上高い場所から視線を向けられ、ライルは思わずひるんだ。しかし怒ってはいないと確認すると、咳払いをして話しかける。


「今回は周りを見て戦えよ。ここで活躍したら、ダンナも許してくれるさ」


「汚名を挽回するチャンスだよお」


「それを言うなら“返上”だろうが! へへへ。お前さんも音楽鑑賞をダンナに禁止されて不満だろう。また聴きたかったら、ここで頑張ることさ。俺たちと一緒にな」


「…………」


 ノイはファルム国との戦いでの独断行動をとがめられ、ダヴィから罰として演奏会へ聴きに行くことを禁止されていた。ちなみにマセノは大聖堂の模写を禁止された。


 ライルはもう一押しする。


「俺たちの指示に従ってくれるなら、俺様がお前のために褒美をやる! お前さんが贔屓ひいきしている音楽家にサインを貰ってきてやるよ」


「ライル、本当にい?」


「俺を信用しろよ、スコット。俺は約束は破らない男だぜ」


「う~ん」


 スコットは腕を組んで悩んでしまった。そんな彼の足をライルが踏みつけようとした時、ノイはやっと口を開いた。


「……分かった」


「おお、分かってくれたか! おめえも現金なヤツだな、へへへ」


 ライルは調子に乗って、彼の褐色の腕をパンと叩く。しかしすぐにマズいと判断したようで、「じゃあ、ヨロシクな」と言ってさっさとその場を去った。


 その道すがら、スコットがライルに尋ねる。


「音楽家のサインってどうするんだあ?」


「あん? そりゃ、どうにでもなるだろうよ。いざとなれば俺が適当に書いてやるさ」


「悪者だなあ」


 その頃、ダヴィは本陣から敵の様子を眺めていた。この場所は木々が少なくて開けており、遠くからでもウッド軍の武装を見て取れた。


 隣にいたアキレスが潰れていない片目で観察し、指摘する。


「変わった武装をしていますね」


 ウッド軍の兵士はダヴィ軍に比べて軽防備だ。指揮官さえもフルアーマーではなく、腕や脛、そして胸部と腹部と頭だけを鉄の防具で覆っている。そして長槍は少なく、馬に乗る者も少ない。そして全員、鎧の下に黒い衣服を身にまとう。


 アキレスは不敵に笑う。


「平野ではもろそうな軍備です」


「油断するなよ、アキレス」


 ダヴィはたしなめる。相手は未知の敵だ。どのような戦術を用いるか分からない。


「先陣は任せるが、注意して戦うんだ。俺たちの目的の第一は、ウッド軍の北進を押し止めることだ。それを忘れるなよ」


「はっ! 分かりました」


 戦いは両者の挑発から始まった。伝統に基づくこの行為は、ダヴィの新式の軍隊でも変わりはない。両軍の騎兵が大声で挑発する。


「歴史も常識も知らぬ方々よ。我らの剣で丁寧に教えてあげましょう。そして恥を知ったならば、誇り高きクロス国の大地と臣民を旧来の形に戻し、どこかへ旅立つと良い!」


「森から出てきたことのない引きこもりの方々よ。そなたらこそ新しき世の流れを知らずに、ここまで歩いて来てしまったのではないか。今こそファルム国にも勝利した我らの剣を味をお教えしよう!」


 そして両軍の矢合戦が始まった。しかしこの場所は開けているといっても、森と山に挟まれ、横には展開できない。横一列で攻撃してこそ効果を発揮する弓矢に限界を感じ、両軍はすぐに剣を抜いて突撃し合った。


 ダヴィ軍の先陣はアキレスだ。


「者ども、俺に続け!」


 馬上から、彼のパルチザンがうなりを上げて振り下ろされる。薄い防具しか身に着けていないウッド軍の兵士は防ぎようがなく、血と命を散らして倒れ伏す。


 彼の前に片刃剣を抜いた騎士が現れた。


「ウッド国伝統の剣技、見せてくれよう!」


「フンッ!」


 アキレスは彼の口上にひるむことなく、一気に近づいた。そしてパルチザンを斜めに斬り下ろした。騎士は長い片刃剣で受け流そうとする。


 ギン、と鈍い金属音が鳴り、片刃剣は見るも無残に折れた。


「あっ」


 それが彼の最期の言葉となった。アキレスの目にも止まらぬ攻撃は騎士の鎧をも斬り裂いた。そして心臓を切断し、騎士の魂魄こんぱくは身体と別れた。飛び散る血に、周りのウッド軍の兵士が恐れおののく。


「さあ、次は誰だ!」


 騎士の身体がずり落ちる前に、ウッド軍の兵士たちは逃げ始めた。アキレスの働きにより、ウッド軍の前線が後退し始めた。


「許せん」


 シンは自ら前に出ようとした。しかし周りの貴族や騎士たちが止める。


「アンジュ公。貴殿はこの軍の総大将なのだ。軽率な行動は慎まれた方が良い」


「お止めください! アンジュ様は剣の使い手とはいえ、まだまだ働きどころではございません」


「くっ……分かった」


 悔しそうにシンは諦める。前線を支えるという意味もあったが、彼女自身が武人としてアキレスと戦いたかったのだ。彼女の若い身体が熱くなるのを、彼女の理性が抑圧する。


(私は総大将なのだ。落ち着けよ、私……)


 ウッド軍は代わりに第二陣・第三陣と兵士を繰り出していく。兵士の数は元々同数。道が細いこともあり、ダヴィ軍の猛攻は続かず、戦局は少しの間硬直した。


 そこへ変化をもたらしたのは、ライルたち別働隊の働きだった。


「あの山を獲る」


 とダヴィが占領を指示したのは、リスリィ山の中腹に盛り上がった山だ。そこを占領すればウッド軍の全容を眼下に把握でき、側面からの攻撃も可能となるだろう。


 しかし同時に、ウッド軍も同じように占領に動いた。


「あの山がこの戦場における要だ。占領を命じます!」


 シンの命令により、ラドン子爵ら数千名のウッド軍が山へと駆け上る。


「なぜあのような小娘に命令されなければならないのだ」


 とぶつくさとラドン子爵は不満を漏らすが、彼から見てもあの山の重要性は理解できる。渋々命令通りに進軍した。


 やがて両軍は山の上でぶつかった。


「おっと、相手も同じこと考えていやがった」


「追い落とすよお!」


 ライルとスコットの号令が響き、ダヴィ軍はウッド軍へ突撃した。その先頭は言わずもがな、ノイだ。


「な、なんだ、こいつ!」


 森の中からヌッと出てきたノイを、彼の褐色の肌と相まって、熊と見間違う者もいた。しかしながら、彼は熊よりも凶暴だ。


「進め! 敵の大将を探すんだ!」


 というライルの指示通り、ノイは木々の間を彼の巨体からは想像できない俊敏さで突き進む。近づく敵には無言でハンマーを振り下ろし、その敵は彼以上に無口になった。


 そしてノイはラドン子爵を発見する。


「お前か」


「誰だ、貴様は?!」


 ノイの言葉は相変わらず短い。その答えはハンマーを振り下ろすことで示した。


 ラドン子爵はギリギリのところで避けて、地面に転がった。長年戦ってきた貴族の面目を保つ。


 ところが、上を向いた時、すでにノイの大きな影が覆いかぶさっていた。


「終わりだ」


「このっ!」


 ノイのハンマーが再び振り下ろされる。ラドン子爵は剣を振り投げて、ひるんだ隙に、それもまた避けてみせた。


 だが、彼の首根っこを巨大な手がつかむ。


「あ゛……ぎゃ……」


 ノイの丸太のような両腕で首を捕まれたまま持ち上げられる。彼は喉を潰されながら、宙に浮いた。


 そしてボギッと鈍い音が鳴った。もがいていたラドン子爵の手足がだらりとぶら下がる。


「なんて野郎だ。そのまま首の骨を折りやがった!」


「痛そおだ」


 ノイはラドン子爵の身体をゴミのように投げ捨てた。ウッド軍はそれを見て、悲鳴を上げながら逃げ出す。ライルはそれを好機と見た。


「このまま追って行って、奴らの横っ腹に攻撃するぞ! てめえら、突撃だ!」


「行くぞー!」


 一気に戦局が変わる。ライルたちの攻撃に慌てたウッド軍の様子を見て、ダヴィは全軍の総攻撃を命じた。アキレスたち前線は再び力を振り絞り、剣先が鈍ったウッド軍を追い詰める。


 シンは冷静に戦局を分析した。敵はまだ全力を出していない。ダヴィは虎の子のマセノ率いる軽騎兵隊を温存していたし、ダヴィの近衛部隊は一歩も動いていない。その一方で、ウッド軍はすでに疲れと動揺が見えていた。


(やはり無理があった)


 元々士気の高さは負けていたし、平野ではダヴィ軍の装備の方が使い勝手がいい。こうなることは半ば予想がついていた。


 しかし彼女は負けを認めたわけではない。隣に控える部下たちに指示を出す。


「一旦退く。後詰を出して、前線の後退を助けるんだ。そして」


 シンはニヤリと笑う。ここからがウッド軍の真骨頂だ。


「奴らを我らの森へと釣るのだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る