第14話『南部国境線の戦い 下』
秋の日は短い。ウッド軍が後退を始めると同時に、日が傾き始めた。ダヴィは好機を逃すまいと、追撃する味方に指示を出す。
「陽が落ちるまでに、敵に痛打を浴びせろ! 大将のアンジュ公を捕らえたら、莫大な褒美を出そう!」
いつもは倹約家のダヴィから思いもよらない言葉が飛び出て、ダヴィ軍は奮い立つ。逃げるウッド軍に追いすがり、次々と森へと勇み入っていく。
ところが、追撃は思うようにいかない。
「邪魔だな、この木どもは!」
「見えないよお」
ウッド国の森は非常に密生している。広葉樹が太陽の光を
ところがウッド軍はスルスルと抜けて行く。黒い服を着た彼らの姿は、あっという間に森の暗がりへと溶けていく。
しかも逃げるばかりではない。探し回って疲れたところを、短い矢が闇から飛んでくる。
「
アキレスは
(毒か)
苦しむ仲間の仇を討つためアキレスは馬を走らせる。しかし矢を撃ってきたはずの木陰を覗き込むと、そこにはもう誰もいなかった。アキレスは顔をしかめる。
「しまった! ここは奴らの庭だ!」
その一方で、ノイは猛進する。長い間、野で暮らした彼は夜目が効く。逃げるウッド軍の兵士を逃さず、駆けて追いつき、兵士の背中をハンマーでかち割った。
「くそが!」
声と共に、闇から兵士三人が飛び出してきた。彼らは短い剣を持ち、ノイに立ち向かう。
これが彼らの戦略だった。後世の戦術研究家は以下のように語る。
『ウッド国の最大の武器は、ヴィレン大森林そのものだった。太古の時代からこの薄暗い森で戦うことに、彼らの戦術は特化した。振り回しても木に当たらないように短い剣と弓を持ち、森を駆け抜けるために軽い防具を付ける。そして森の闇と一体となるために黒い服を着るのだ。こうして“森の守護者”となった彼らは、外敵を森に引き込む。そして食虫植物と同じように、意のままに敵を滅ぼした』
ウッド軍の兵士の一人は短弓を用いて矢を放ち、他の二人は剣をつかんで姿勢を低くして攻撃してくる。ノイが矢を避けると、二人が連携して左右から攻撃を仕掛ける。洗練された戦術だ。ノイはハンマーで防ぎながら、一歩退く。攻撃の糸口が見いだせない。
「死ね!」
再び矢が放たれる。剣を持つ二人は、ノイが矢を避けるのを待って、彼の動きを予測して剣を構えた。
しかしノイは避けなかった。襲いかかる二人を睨みながら、左腕を上げて、飛んできた矢が突き刺さる。血が傷口からふき出す。
「はあ?」
「うわっ」
前につんのめった状態の二人は、慌てて戻ろうとする。だが、ノイのハンマーは逃さない。
「が……」
ハンマーを落とされた一人の後頭部が潰れた。もう一人の顔が恐怖で引きつる。
その顔をノイがつかむ。
「むんっ!」
ノイは片手で掴んだその頭を、近くの木にぶつける。ゴスッと鈍い音が鳴った。木には丸い跡が残り、兵士は白目をむいて倒れた。
あとは弓兵だけだ。
「う、わああああああ!」
悲鳴が森に轟く。兵士は弓矢を捨てて、逃げ出した。ノイは無傷の右腕を振りかぶる。そしてハンマーを投げつけた。
ビュンと空気が斬り裂かれる。先ほどノイが受けた矢以上のスピードと正確さで以って飛んでいく。そして兵士の首にぶつかると、その首の骨がいとも簡単に折れた。
ノイはゆっくりと倒れた兵士に近づき、落ちたハンマーを拾い上げ、その兵士の頭に振り下ろした。先ほどまでピクリピクリと動いて兵士の身体は、血を流して全く動かなくなってしまった。
「時間をかけた」
ノイが辺りを見渡すと、敵兵も、味方もいない。ノイが耳を澄ませても鳥の声しか聞こえない。
ここはどこだ。高い広葉樹が屋根のように広がり、目印の山の姿を隠す。ノイは左腕に刺さった矢を引き抜き、ようやく自分の状態に気が付く。彼は無表情で呟く。
「…………迷った……」
彼だけではない。ダヴィ軍は各個、森の中で方向感覚を失っていた。そして間髪入れずに現れるウッド軍に襲われ続ける。ライルとスコットが悲鳴を上げる。
「ちくしょう! どうなっているんだ、この森は!」
「嫌な場所だよお」
アキレスは焦る。なんとか事態を打開したいが、現在の状況すら分からない。深淵なる森に捕まり、喰われていくようなおぞましさを感じる。
その時、いきなり馬がいななき前足から崩れて、アキレスを地面に落とした。素早く起き上がったアキレスが馬の前足を見ると、大きなトラバサミが食い込んでいた。もう歩けないだろう。アキレスは額に青筋を立てる。
「卑怯な」
「卑怯ではない。我らの伝統ある戦術だ」
アキレスが武器を構えながら振り返ると、黒いポニーテールの女性が鋭い目つきでこちらを睨んでいた。長い片刃剣を鞘に入れて持っている。アキレスはその姿をミュールから聞かされていた。
「お前がシン=アンジュ公爵か」
「そうだ。公爵と知りながら『お前』呼ばわりか」
「あいにくと、我々には爵位などという古めかしいものは使っていない」
チャンスだ、とアキレスは感じた。彼女はウッド軍の大将だと知っている。
「大将がこんなところにお出ましとは、道にでも迷ったか」
「残念ながらそうではない。ここは我らの故郷。森は我らの味方だ。ここに入り込んだ瞬間、お前たちの死は確定している」
「では、なぜ俺の前に現れた?」
「それは……」
シンは
「武人としての
「なんだと?」
「アキレス=ヴァイマル。その名は聞いているぞ。勝負願おう」
アキレスはパルチザンを構え直す。シンも剣の柄に手を乗せた。
「大将直々にお相手か。これがウッド軍のやり方か?」
「指揮は部下に任せた。本来はいけないことだ。だが、森は全てを隠してくれる……」
シンは腰を落とす。そして柄を握りしめた。
「行くぞ」
「来い」
シンは風のごとく走り出した。地面には雑草や木の根が息づいているのに、それに足を一瞬でも取られることなく、アキレスに迫る。アキレスはタイミングを見計らって、パルチザンを振るった。
「ふっ」
シンは地面すれすれまで伏せた。そしてパルチザンの攻撃の下をくぐり、見えないほどのスピードで剣を
「ちっ!」
アキレスは飛び退くと同時に、パルチザンの柄の部分でシンの剣を弾いた。ガンッと鈍い音が鳴る。
しかし、シンの攻撃は止まらない。
「はあ!」
片刃剣を両手で握り、上に下にと斬り裂く。アキレスは必死に防戦するが、彼の分厚い鉄の胸当てに切り傷が付く。まるで虎の爪に引っかかれたように、その傷は深い。
その時、アキレスは木の根に足を取られた。
「なっ」
「もらった!」
アキレスは背中から倒れる。シンがその好機を逃さず、体ごと突進してきた。このまま剣で彼の腹部を貫こうとする。
パルチザンが宙に浮いた。
「まだだ!」
アキレスはそのパルチザンを握りしめ、自分の身体よりも早く地面に突き刺す。そしてそれを支えとして、アキレスは宙に浮いたまま、迫ってくるシンを右足で蹴り上げた。シンの腹がへこむ。
「ふぐっ」
シンは声を漏らして、アキレスから距離を離す。腹を抑えるが、目からは闘志は消えない。思わず口の端に出た唾液をふき取る。
ダメージを受けたのは彼女だけではない。アキレスの右足は彼女の剣に当たり、軽くはない傷を受けて血を流していた。仕切り直しとはいえ、二人の息は上がっていた。
その時、鐘の音が聞こえた。森の中の鳥が騒ぐ。
それを鳴らしたのは、ダヴィだった。
「この森は危険だよ」
森の外にいるダヴィに、この戦いから近衛部隊にいるジャンヌが進言した。彼女はその理由を説明する。
「こういう知らない森では味方同士でいつも連絡とらないといけないんだよ。それがあたいたちは今、全然出来てない」
ダヴィも頷いて、自軍の不利を悟る。状況がつかめず、伝令は道に迷って目的地までたどり着けもしない。この時の彼には自軍の死傷者数は分からなかったが、情報が上が ってこないこの事態に、彼の頭の中の危険信号が素早く点滅した。
「退却しよう。引き鐘を鳴らしてくれ」
その状況判断は正しかった。森の中にいたダヴィ軍はホッと息をついて、鐘の音が聞こえた方へと逃げて行く。
アキレスも矛先を引いた。
「勝負は預けた。さらばだ」
「待て!」
シンはアキレスを追おうとした。しかしその時、彼女の鼻先に煙が漂ってきて、足を止めた。
「なんだ?」
一人の兵士が駆け寄ってくる。
「アンジュ様! 敵が森に火を点けました」
「くそっ!」
火を点けたのはライルとスコットだ。今日は北からの風が吹いている。そして空気は乾燥している。風上にいる彼らにとって、火を点けるには絶好の気候だ。
「さあ、じゃんじゃん火を点けろ!」
「そんで逃げるんだよお!」
シンはチッと舌を鳴らして、剣を鞘にしまった。そして部下に命じる。
「追撃はしない。全軍で火を消すんだ」
こうしてダヴィ軍は退却に成功した。しかし大分、死傷者が出た。後々分かった、ウッド軍の死傷者と比べても同じぐらいだ。
(引き分けか)
平野での戦闘には勝利したが、森の中では敗北した。ダヴィは安易に森の中へ追撃させたことを、ブーケに乗りながら反省した。
その帰り道、意外な人物に会った。
「あの軍は……ジョムニか?」
先頭を進むアキレスが首を傾げる。だが、目の前を進む軍勢の旗印は、確かにジョムニのものだった。
その報告を聞いたダヴィの元に、輿に乗ったジョムニが現れた。輿の担ぎ手の動きに合わせて、彼の青いキャスケット帽が揺れる。
「おや、奇遇ですね。ウッド軍との戦いはどうしましたか?」
「それが……」
ダヴィが事の
「君には反乱軍鎮圧をお願いしていたけど、どうしたの?」
「終わりましたよ」
ダヴィは絶句する。反乱軍は城に籠っていたはずだ。普通は、城攻めには膨大な時間がかかるはず。こんな短時間では攻略できないはずなのだ。
ダヴィがその点を指摘する。ジョムニは肩をすくめて答えた。
「でも、終わっちゃったんですよ」
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