第47話『舞台上の涙』
「こらっ! 何しているの!」
怒られた団員も、その周りの団員も、体をびくりと震わせる。稽古場の中、セリフをとちったり動きがぎこちない演者に、容赦なく叱責が発せられる。この怒号を出しているのは、ロミーでも、ミケロでも、ビンスでもない。
トリシャである。
普段は冗談のひとつも言って、叱る人の怒りを和らげる。だが、この日は自分が怒る役割を担っている。彼女が荒い声を上げるたびに、彼女を慕う子供たちは怯え、大人の団員達もたじたじとなる。
またセリフを忘れた団員がいた。彼女は目じりを吊り上がらせる。
「いつになったら覚えるのよ! 覚える気がないなら、出ていって!」
「なあ、トリシャ。ちょっと抑えろよ」
「ビンスは黙って! それよりも、あなたももっと真剣に稽古しなさいよ! さっきだって、少し動きが遅れたじゃない」
「うぅ……」
長身のピエロはすごすごと退散する。たまらず、今度はミケロが彼女を抑えにかかる。眉間に思いっきり皺を寄せながら、いつもとまるっきり様子が異なる彼女に意見する。
「トリシャ、さすがに言い過ぎだろう。まだ新しい台本ができて少ししか経ってないんだ。みんなが覚えてなくても仕方ないだろう」
「…………だって」
ミケロやビンスたちがギョッと驚いた。あの勝気なトリシャの目から、ポロポロと玉のような涙をこぼしていたのである。
トリシャは白い頬を伝う涙をぬぐいつつ、叫んだ。
「はやくしないと、ダヴィが死んじゃう!」
「トリシャ」
稽古場に入ってきたロミーが、彼女の震える肩を抱く。
「そんなに焦ったらダメだよ。あたしたちでこの国中を感動させないといけないんだ。演者が楽しむぐらいの気持ちでいないと、お客も喜ばないじゃないか」
「でも……」
「公演まで時間はないけれど、焦らせたり急かすのは禁物さ。まず良い演目にすることを目指さないと。そうだろう?」
「…………」
ロミーが強く抱きしめようとするのを、トリシャは「もういいわ」と振り払った。涙が止まったばかりの目が赤くはれている。
ロミーは苦笑いでそれを見ながら、団員たちに伝えた。
「ちょっと休憩にしようじゃないか。次はラストのシーンから始めるから。トリシャにどやされたくなければ、台本を確認しておきな」
「なあ、トリシャ」
皆が練習場から出ていく中で、ビンスがトリシャの背中に声をかける。
トリシャが振り返る。長い金髪がふわりと舞い上がり、彼女の花のような香りがビンスの鼻孔をくすぐった。ビンスは少し心を弾ませるが、固い表情のまま質問する。
「お前、やっぱりダヴィを……」
「知らない」
ビンスの言葉をさえぎり、トリシャは小さく、それでも鋭く言った。赤くなった目をそらす。
ビンスは意味が分からず困惑する。
「知らないって、なにが」
「知らないったら知らないわよ! 自分でも分からないの! これでいい?!」
彼女はビンスの返事を待たずに練習場から飛び出していく。ビンスとその光景を見ていた団員が、唖然と彼女の後ろ姿を目で追った。
ロミーは鼻で息をついて、隣にいたミケロに話しかけた。
「女になってきたね。もうちょっとで気づくはずさ」
「ビンスがかわいそうですが」
「それも大人になるための経験のひとつだよ。いつか思い出になるさ」
――*――
急ピッチで仕上げれらた演目は、稽古開始後たった7日でお披露目された。
主人公はトリシャが演じる、恋人の兵士を待つ女性。幸せになることを誓い合った主人公とその恋人であったが、急な戦争の開始で男性は徴兵されてしまう。そして戦争は敗北し、彼は敵国の奥で取り残されて、明日も知れない身となってしまう。ダヴィの状況と全く同じである。
そして主人公は彼のことを思い、帰りを待つ歌を歌って幕は下りる。恋物語が多いこの劇団の演劇では、政治色の強い異例の内容だ。
トリシャの演技は
ラストシーン。トリシャは舞台上に一人で、恋人へ歌をささげる。白いドレスに金髪をたなびかせ、彼女は大きく口を開いた。
『 嘘つきなあなたを 夢に見ます
すぐに帰ると 言ったのに
夕闇に部屋の隅で 涙こぼす
私のことを 覚えている?
お日様に お月様に 祈っても 時はただ過ぎ
抱きしめた ぬくもりが 消えて 冷えてしまった
いつもの道を歩いて わたしひとりぼっち
ふいに振り返っても 風が通り過ぎるだけ 』
歌い終わり、彼女は舞台上に崩れ落ちる。そして幕が閉まった。観客は涙を流して立ち上がり、いつまでも鳴りやまない拍手を送った。
彼女の顔を金色の長髪が隠す。彼女が「ダヴィ」と呟いた声は、舞台上でかき消えた。
舞台袖にいるシャルルも、彼女に拍手を送る。
「これでいいのですか」
「満足だ。すばらしいよ」
演技を終えたばかりの汗だくのロミーが、濡れた黒髪を束ねながら、シャルルに問いかける。彼は微笑んで演者たちを称えた。
「こんな短期間でよくやってくれたね」
「あの子も私たちの家族。家族を助けるために一生懸命になるのは当然です」
「家族か……それは幸せなことだ」
シャルルは身をひるがえし、外へ出ようとする。ロミーは再び声をかけた。
「これであの子は助かるのですか」
「民衆がこの話に感動し、今も敵地に取り残された彼らを救おうと義憤にかられるなら最高だ。その熱意を俺が後押しして、彼らを助ける。残りの契約期間は、この演目をやり続けてくれ」
「分かりましたよ。でも、ひとつだけ言わせてもらいますけど」
「なんだい?」
ロミーはシャルルの
彼女は素の口調に戻って、彼に迫る。
「ダヴィを助けなかったら、承知しないよ」
シャルルは肩をすくめ、自分の
「安心してくれ。ここからは俺の仕事だ。必ず、助けるさ」
――*――
その頃、アルマはソイル国へ訪れていた。戦場から首都には戻らず、シャルルの密命をおびて北上したのだ。
『ウォーター国の使者』と伝えずに、『シャルル王子からの使者』と伝えた結果、公にされず、女王の下へとすぐに通された。
広い部屋の中、赤い女王と巨大な騎士がアルマを待ち構えていた。アルマは左胸に手を当てて、薄くなった髪を見せて、深々とお辞儀をする。
「ご機嫌麗しゅう、女王陛下。お元気で何よりです。この度は……」
「ダヴィのことかしら」
「さすが、ご聡明であらせられる。貴国の援助なくしては、彼を含めた五百名の兵士を助けることが出来ません。どうか彼らに
アルマは再び頭を下げた。彼にとっては息子の命がかかっているのだ。本当ならなりふり構わず土下座して、すがりたい気持ちを、ぐっとこらえている。
彼女は彼の気持ちを察したか分からないが、頷いてみせた。
「我が国はファルム国とは伝統的に仲が悪い。私個人としても、シャルル王子とは親しくしたいと考えている。彼らを助けるのに障害はないでしょう」
「おお! それでは!」
「ただし」
彼女が口角を上げた。その不気味な美しさに、アルマは初めて心がざわついた。
「お願いがある」
「お願い、ですか」
「聞いていただけるかしら」
アルマは眼鏡をかけ直す。その要求を飲むしかないことに、すでに本能的に察していた。
そして、その通りになった。
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