第48話『ライルとスコット』

「うわあああ! 出たい! 出してくれ! 帰して!」


 籠城してからしばらく経過した。もう秋が終わる頃、ダヴィの目の前で、ある兵士が泣き叫びながら走り回る。


「おい! あいつを止めろ!」


 やっとのことで、周りの兵士が彼を羽交はがめにした。地面に組み伏せられた後も、彼は鼻水を垂らして嗚咽を漏らす。


 彼が発狂した原因は、城に投げ込まれた生首であった。城の前で断末魔と共に殺されたウォーター軍の捕虜の首である。後で聞いてみれば、彼の兄であったそうだ。


 一方でダヴィはその光景を見ながら、吐きそうになるのを、口を一文字に閉じてこらえていた。彼の目がこっちを見ている気がする。非難されている気がする。


 最初の頃は、城内にはまだ元気があった。食事の時にはバカ話に花を咲かせ、城外からの説得・脅しに挑発し返す者もいた。


 しかし備蓄した食料の半分が無くなり、城内の木々から葉が落ちる。兵士たちの心には次第に望郷の念と恐怖心が強くなっていく。


 この頃になると、ダヴィが兵士たちに聞かれるのは、この言葉だけとなってきた。


『ダヴィ様、いつになったら救助は来るのでしょうか?』


 彼はこの言葉から逃げるために、治療場所となっている教会に留まる時間が増えた。ろくに話すことが出来ない怪我人のそばにいた方が、彼の心は休まる。


 残念ながら、マクシミリアンとジョルジュの経過は思わしくなかった。十分な食事も治療道具もなく、板の上で転がっているからだろう。彼らはまだ起き上がることもままならなかった。


 この日もダヴィはジョルジュの枕元に座った。苦悶の表情を浮かべる彼の顔の汗を時々拭き取ってやる。これが彼の日課となっていた。


 ジョルジュはなされるがまま拭かれていると、ふとダヴィの顔を見上げた。


「ダヴィ……シャルル様はいつ……」


 その言葉を聞いた途端、ダヴィの顔がこわばる。拭いていた手の動きも止まった。オッドアイが一点を見つめて固まる。


 それを見て、ジョルジュはすべてを察した。彼は再び目を閉じる。


「すみません。動けない身でありながら、こんな不安を……」


「いや……いいんだ……」


 ダヴィは努めて自分の感情を周りに漏らさないようにしていたが、兵士たちの中には不安が広がっていた。彼らの中には、この環境から脱出しようと考える者もいた。


 その筆頭が、ライルである。


「お前ら、このままでいいのかよ」


 夜中、焚火のそばで、ライルがひそひそ声で自分の部下数人に話す。彼を囲んでいるのは、彼が集めた、周りに影響力があって、それでいて動揺しやすそうな兵士たちだ。


 彼は丸い顔の下半分を火に照らされながら、丁寧に説得を続ける。


「あの子供騎士の不安そうな顔を見てれば分かるだろう。援軍は来ねえ」


「じゃあ、どうなるんだよ」


「どうなるって、そんなの決まってらあ。食料が無くなった頃に城門が開いて、みんな打ち首だろ。問題は誰が城門を開くかだ」


「それを、俺たちにやれって言うのか。裏切れって言うのかよ」


 兵士たちの声が低い。激怒してもおかしくない内容なのに、彼を強く糾弾きゅうだんできない。彼らの表情を見て、ライルは心の中で笑った。


 しかし隣にいるスコットが反論してくる。


「ライル、それは悪いことだよお」


「おめえは一々口をはさむんじゃねえ。命あっての物種だ。お天道様も許してくれるだろう」


 そうはいっても、裏切ることには変わらない。兵士の一人がやっと口を開いた。


「仲間を裏切るなんて、出来ねえよ」


「……確かに、おめえが正しい」


 ライルはわざとらしく頷いた。この回答は想定済みだ。彼は代替案を提示した。


「裏切るんじゃなくて、ちょっくら失礼するのはどうだ?」


「失礼するって、逃げるってことか」


「その通りだ。ロープで城壁を降りて、鎧を捨てて地元の住民に化けるんだ。数人だけなら、敵もごまかせるだろう」


 黙って聞いていた兵士たちが顔を見合わせる。誰もがこの状況から逃げ出したい。彼の提示した案は、とても魅力的に聞こえた。ライルは自分の想い通りに、この相談が運びつつあると察した。真ん丸な腹を叩いて喜びたくなった。


 ところが、ぼりぼりと坊主頭をかいていたスコットが口を開く。


「だんなはどうなるんだあ?」


「あ?」


 ライルは顔をしかめる。こんな時に水を差すんじゃねえと、苛立つ。


「静かにしてろよ。今いいとこ……」


「どうなるんだ?」


 再び聞いてきたスコットの目は真剣だ。ライルは気づくと同時に驚いた。こんな目を見たのはいつぶりだろうか。


 ライルは頭をかいて、言いにくそうにして口を開く。


「そうだなあ。この城の指揮官だからなあ。城が落ちて捕えられたら、処刑はまぬがれねえだろうな」


「じゃあ、ダメだ」


 スコットが強く断言した。その語気に、ライルは動揺した。こんな発言するやつではないのだ。


「お、おい。何言っているんだよ」


「だんなは死なせたくないよ、ライル。どうにかならないかあ?」


「どうにかって……」


 スコットの言葉を聞いていた兵士たちの態度も変化していった。


「あの方は怪我した俺の友達をずっと見舞いに来ていらっしゃる」


「俺の母親が死んだ話に、涙をこぼしてくれた」


「この戦いが終わった後の、俺の就職先を心配してくれた。あの方以上に、俺たちに親身になってくれる人はいない」


「それに、多分全員の名前を覚えてくれている。そんな騎士様、見たことがない」


 ライルは自分の旗色が悪くなっていく状況にたじろいだ。彼は戦略的撤退を選んだ。


「ま、まあ、あくまで一案さ。大前提は援軍を待つんだ。へへへ。今言ったのは忘れといてくれ。おい、スコット! 行くぞ」


 彼はスコットの腕を強引に引いて、その場を離れた。そして物陰まで来ると、彼はスコットのすねを思いっきり蹴った。


「痛ったいよお、ライル」


「うるせえ! せっかく良いところまでいったのによ、余計なことをしやがって! だいたい、俺たちは盗賊だったんだぞ。裏切りなんて朝飯前だろ。いつの間にプライド高い騎士様みたいになりやがったんだ、おめえはよ?!」


「裏切るのは、前もやったことがある」


「そうだろう。だったら……」


「でも、だんなが好きだなあ」


 いつもライルの後ろをついていくスコットの反発に、ライルはまた動揺してしまう。実のところ、スコットの素直な気持ちに、共感できる部分があったのも大きい。彼は黙った。


 スコットは幼なじみの彼に声をかける。


「なあ、ライル」


「なんだよ」


「だんなって、あの占い師が言ってた人じゃないかなって思うんだ」


「占い師? ……ああ」


 ライルは思い出した。太陽も月も聖女も信仰していない彼らにとって、一つだけ信じている教えがある。


 それは彼らが子供のころに、彼らの貧しい村を訪れた占い師の言葉である。彼は他の村人をわき目に振らず、二人の顔を見て言った。


『いつか王となる人物に仕え、歴史に残る功績を上げる。そして大貴族となるであろう』


 ライルはカッとなって、スコットに怒鳴った。


「馬鹿言うんじゃねえ! あんな子供が王になるわきゃないだろ!」


「そうかなあ。そうなったらいいのだけど」


「知るか!」


 ライルはいかり肩でその場を離れた。彼の頭の中で、あの占い師の言葉と、ダヴィの顔が、交互に思い浮かんでいる。彼は首を振った。


(ありえねえ。こんな根拠のないことを、俺らしくもない)


 ぶつぶつと呟く相棒を、スコットは頬の傷をかきながら、遠くから見つめていた。


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