第49話『白き月の使者』

 深夜、ダヴィはそんな密談が交わされている危険も知らず、自室に戻ってきていた。


 少し前までは兵士たちと一緒に寝ていたが、最近はずっと、用意された個室に戻ってきている。ベッドでも弱音を吐けない状況に、彼は心身ともに疲れ切っていた。


 この個室は修道士のために作ったと思われる小屋で、ベッドと小さい机、そして白磁の聖女像が祭壇に置かれた質素な部屋である。少し変わっているのが、他の小屋と比べて屋根が高く、壁の高いところに円形のステンドグラスが付けられている。ここは修道士の中でも位の高い人が泊っていたのかもしれない。


 ステンドグラスから月の光がこぼれる。ダヴィはベッドに寝転がったが、一向に眠ることが出来ない。明日、そしてその先を考えると、心臓が早鐘を打つように動く。


 吐きそうになって、上半身を持ち上げた。胸に手を当てながら、大きく息を吐く。


「ダメだ。こんなことじゃあ、ダメなのに……」


 弱気になる自分の頬を、両手ではじく。自分は指揮官だ。明日も早いのだ。ダヴィは薄い掛け布団をかぶって、クロエからもらったお守りを握り、無理やり目をつむった。


 それでもなかなか眠れない。敵から身を守る亀のように、体をこわばらせて丸くなる。彼の黒髪が震える。


 雲が風に押しのけられ、月の光が強くなったのを感じた。


 その瞬間、頭をやさしく触ってきた手を感じた。


 誰だ。


「安心せよ。そなたは大丈夫」


 体がピクリとも動かない。だけど危機感はなく、その手の温かみで固い心が融けていくようだ。


 やがて彼は意を決して、うっすらと目を開けた。


 淡い月明かりの中、ショートカットの女性が彼のベッドに腰掛けていた。白い服を着ている。それだけではない。顔も、手も、髪も、眉毛さえ白かった。ダヴィは自分のオッドアイに映し出されたその姿に、見とれてしまう。


 美しい横顔を見せながら、彼の頭を撫で続けている。その白い眼は穏やかに輝く。


 彼女は白い唇を開いた。


「そなたは王となる。偉大な王に」


「王……?」


「だから、安心してお眠り」


 春の夜風のような、かすかな声で、彼に伝えた。月の光で照らされ、彼女の身体は青白く光っているように見える。まだ体は動かない。


 女性は頭を撫でていた白い手を、スッと彼の目元に持ってきて、彼の視界をふさいだ。


「はっ」


 ダヴィが跳ね起きると、いつの間にか彼女は消えていた。淡い光に照らされた部屋の中に、彼女の影も形もなかった。


(夢だったのかな。でも、温かかった)


 部屋にあるのは、白い聖女像だけである。彼をそれを手に取った。


 聖女像はいつもと変わらず、微笑みをたたえていた。


「……まさか、ね」


 彼は聖女像を元に戻して、ベッドに戻った。そしてうとうとと舟をこぎ始めた。とりとめのないことを眠い頭で考えていると、はたと思い出した。


 満月が中天を過ぎて日が変わる。今日は僕の誕生日だ。


(いつもはトリシャたちに祝ってもらうのに…………トリシャ……)


 彼は布団を頭までかぶった。聖女像にも見られないように、体を震わせる。耳につけた金の輪は、いつもよりも冷たかった。


 敵に幾重いくえにも取り囲まれた山城の中、ダヴィはひっそりと十五歳となった。金歴545年、世界は身を凍えさせる冬を迎えようとしている。

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