第40話『黄金の半年が変えたもの』

「アルマはまだ良くならないのか」


 シャルルは眉をひそめて心配する。書類へ書き込む手を止めて、窓から入り込む朝日が、彼の曇った表情を照らす。シャルルの髪と、ダヴィの耳飾りだけが輝いていた。


 以前の執務室よりも大分大きい。それもそのはず、この屋敷自体が、先の戦いの結果獲得した新しい屋敷なのだ。先週のパーティーも、この新しい屋敷でも飛び切り大きい広間で行われた。


 新しいシャルルの机の前で、ダヴィは立ちながら報告する。


「しばらく自領で療養されるとのことです。今朝、ジョルジュから連絡がありました」


「ジョルジュは?」


「彼も父親と一緒に戻ると。父に代わって領土経営をするつもりだということです」


「クロエも王宮から離れられないからな。仕方ない」


 アルマの娘であるクロエは、引き続き王宮での女給仕事に勤しんでいた。ますます綺麗になったと噂高い。兄よりも求婚される数が多いと、ジョルジュは嘆いていたのを思い出す。しかし、彼女はそれらの求婚を受けるつもりはないらしい。


 シャルルがニヤニヤとして、ダヴィに尋ねる。


「最近はクロエに会ったかい?」


「ええ、ばったりと偶然会うことが多いです。その度にたまたま持っていた弁当やお菓子を貰うので、申し訳なく思っているのですが……それが、なにか?」


「ばったり、ね」


 シャルルの耳には、ダヴィの名声が高まって焦っているのは、クロエも同様と聞いている。ダヴィにトリシャという恋人ができても、彼女は全く諦めていない。むしろ奪い取ろうとしていると、自慢の丸く束ねた黒髪とメイド姿に磨きをかけていると、ジョルジュからため息交じりに告白されたことを、シャルルは思い出す。


 罪深い男だ、と自分を差し置いて、シャルルは内心思っていた。


 気づかないダヴィは、他のことを気にしている。


「アルマ様の代わりに、私が今度の祭典を段取りいたしましょうか」


「そうだな。今度の祭典は盛大なものになる。俺と君で段取りしよう」


「はい!」


 今度の祭典とは、父であるジーン6世の即位20周年を祝う式典のことである。もちろん、国を挙げての式典になるが、各国から祝賀に訪れる使者を迎えるのだ。フォルム国、ヌーン国、そしてソイル国。以前の15周年の祭典にはのにだ。


 彼らが祝賀に来るのは、シャルルの働きが大きいことは誰もが知っている。つまり、この祭典で彼らを迎えることは、シャルルの功績を称えることにつながる。


 言い換えてみれば、この祭典の主役は、シャルルなのだ。


 そういった背景から当然、この祭典はシャルルの手で準備されることになった。宰相として最初の仕事である。今、朝から働いているのは、この準備のためだった。


「やれやれ、ひどく忙しくなりそうだ」


 そんなことを言いつつも、シャルルは楽しそうにペンを走らせる。それも当然かとダヴィは微笑む。例えるなら、シャルルが監督兼主演を務めるのだ。


 面白くないはずがない。


 ダヴィも意気込む。


「祭典の詳細について、マザール様に確認してきます」


「分かった。ただ……」


 シャルルは少し寂しそうな表情をした。目を曇らせる。


「今は忙しいかもしれないよ」


 ――*――


 マザールの自宅に赴いたダヴィは、言葉を失った。玄関を開くと、家中で本の束が箱に入れられ、ホコリが舞っている。今までも廊下に本が積まれていたが、不思議と整然としているように感じられた。それが今日は、まるで嵐に会ったように、騒然としている。


 部屋の中から、なにかが崩れる音が聞こえた。


「先生!」


「ダヴィか。ちょうどいい。手伝ってくれ」


 マザールも奥さんも次々と家のものを箱に詰めていた。窓が開いているにもかかわらず、ホコリで目がしばしばする。


 手伝う前に、まずこの状況の説明を求めた。年末の大掃除には早すぎる。


「先生、これは?」


「引っ越しじゃよ。フォルム国に引っ越すことになったんじゃ」


 ダヴィは目を丸くして驚いた。初耳だ。白い髪と髭に埃をつけた先生につめ寄る。


「一体、どうしてですか?」


「実はな、フィレスの学院に招かれたのじゃ。ほれ、お主の妹たちが通っていた学校じゃよ。そこで特別講師として働いてほしいと要望を受けた」


「特別講師、ですか」


「歴史と名誉ある職務じゃ。この国ではもはや復職は叶わぬとみたシャルルが、運動してくれたのじゃよ」


 それでも、ダヴィはマザールにもっと指導してもらいたい。しかし、マザールは首を振った。


「シャルルも宰相まで上り詰めた。もうお主たちに教えることはない。後は実地で学びなさい」


 納得していない表情を浮かべるダヴィに、マザールは笑いかけた。もう決まったことじゃ、とこの話題に区切りをつけ、片付けに戻る。ダヴィはしぶしぶ片づけを手伝いながら、本題である祭典のしきたりや礼儀作法を質問していく。マザールはテキパキと回答していった。


 それにしても、とマザールは疑問に思う。


「シャルルは少し手法を変えたな」


「手法ですか?どこの点ですか?」


「ほれ。ここの、諸国の使者から手紙を渡されるところじゃ」


 諸国の使者から親書を渡され、それを国王が読む。さもない儀式のひとつであるが、その受け渡しをシャルルが仲介するところに引っかかった。シャルルが使者たちから親書を受け取り、それを国王に渡すのだ。


 まるでシャルルが国の代表として親書を受け取るように見える。


「自分の手柄とアピールするためじゃろうが、ちくとのう」


「そこが違うと?しかし、今までも政治的なアピールはされていました」


「それが露骨になったということじゃ。影響力は以前よりもはるかに大きいが、あからさまな政治的演出は反感を生むぞ。少し足元が見えなくなっている気がしてな」


 ダヴィは少しムッとした。マザールとはいえ、シャルルの手法を批判されるのは嫌だ。第一、それで成功しているじゃないか。


「シャルル様が間違っているとは思いません」


「ほっほっ。言うようになったのう。しかし、どんな時にも人の意見は聞くものじゃよ。特に成功しているときはな、油断もしがちじゃ」


「油断ですか」


「シャルルも人の子。油断する時も、失敗する時もある。お主らがそれを助けないでどうする?確かに、お主はこの国で屈指の“知識”の持ち主になったかもしれん。儂が教えたからのう。しかし……」


 マザールは手を止めてダヴィに振り返る。そして子供の時と同じように、ゆっくりとかみ砕いて教える。


「“知恵”は我が妻に劣り、“経験”はそこらの道端にいる露天商にも劣る。それを忘れてはいかんぞ、ダヴィ。常に謙虚さを保ち、いかなる時も他人の言うことに耳を傾けることが、失敗を防ぐ唯一の方法じゃよ」


「学ぶことよりも、人の意見を聞くことが大事ですか?」


「学ぶことも、まずは他者から知らぬことを“聞く”ことから始まる。人の意見はタダじゃ。聞いておいて損はあるまい」


 知らず知らずのうちに、自分は頑迷になっていたのだろうか。ダヴィはまだそれに羞恥を覚えるほど、素直さを保っていた。


 マザールの教えは続く。


「若いうちは人の言うことを全て受け止めてみよ。非常に難しいことじゃが、いつか実を結ぶ」


「老いた時はどうなるのですか?」


「それはのう、若い者の言うことに『うんうん』と頷いて、彼らの意見を聞いてやることじゃ。そうすれば、あとは若い連中が上手くやってくれるわい」


 マザールは深い皺を歪ませて、にこりと笑う。この頃はますます温厚になってきた。


 シャルルにも言っておけ、とマザールは語る。


「油断大敵。一寸先は闇じゃ。くれぐれも用心しなさい。……まあ、シャルルに限っては大丈夫じゃろうが」


 ――*――


 祭典は何事もなく、大盛況に終わった。


 天気も何とかもってくれて、首都のパランでは町中がお祭り騒ぎに湧き、貴族・庶民問わず、口々にシャルルの功績・手腕を褒めたたえた。


 ダヴィも大役を終え、ホッと一息つく。祭典がとり行われた王宮の大広間で、貴族たちに混ざって立っているだけとはいえ、準備したのは彼だ。それが無事に成功したことに、胸をなでおろす。


 貴族たちと一緒に大広間を退出する。その彼の服の裾を引っ張る者がいた。


「ダヴィ=イスル様ですね」


 そこにはソイル国の使者がいた。彼は部屋の端まで連れてくると、ダヴィに耳打ちした。金の耳飾りが彼の声で揺れる。


「女王陛下より伝言がございます」


「アンナ女王から?」


 使者は周りに誰もいないことを確認して、ダヴィの耳に口をもっと近づける。


「女王陛下はこうおっしゃられました。『危急の時は、我が国に亡命すること』」


「は?」


「以上です。では」


 使者は足早に去っていった。ダヴィはその意味を考えながら、彼の背中を見送るしかなかった。


 雪が降りそうな厚い雲が、ダヴィの頭上にのしかかっていた。冬の小さい太陽が黒い雲に喰われていった。

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