第19話『空前絶後』
よくぞ集まったものだ、とダヴィは丘の上から思った。ウッド国との国境。曇天の凍える冬の野に、人、人、人。北風が吹く最中、ここだけに熱気がこもる。ダヴィも多くの兵士を率いてきたが、人がこれほど自発的に集まる生き物だとは思わなかった。丘の下では騒がしく男たちが働いている。
「今は農閑期ですから、稼ぎが欲しい農民が集まってきました」
と隣で車いすに乗るジョムニが解説する。彼はダヴィの思いつきに素早く賛同した一人だ。この道路建設には反対が多かった。
『古来よりヴィレン大森林を征服した者はいません。せいぜい通り抜けるだけです』
『うちの長老が昔、ヴィレンの森を傷つけると祟られるって言ってましたぜ。止めましょうよ、ダヴィ様』
『あまりにも壮大すぎる計画ですわ。これでは財政が持ちません!』
とルフェーブ、ミュール、ルツが反対する中でも、ジョムニは強気に主張して押し通した。そして彼自身がこの工事の責任者に名乗りを上げた。
ジョムニの計画はシンプルだ。
「どんどん作業員を雇って動員しましょう。そして伐った木々は木材に加工して、我々が販売するのです」
大昔にこの森を切り開こうとしたクロス王たちは、せいぜい付近の農民を強制的に労働させただけだった。せっかく伐った木々も適当に近隣に売るだけで、計画性に乏しかった。
だが、ジョムニは違う。ルツやオリアナと協力して、木材の運搬ルートや販売ルートを確保した。そしてイサイらの商人の情報網を使って作業員を国中から広く募り、希望者を無制限にここまで輸送する。
その雑多な作業員を統率するのは、スールの担当だ。彼女は黒いドレスに黒いコートを羽織りながら、ジョムニとは反対側に立つ。
「お任せくださいまし。彼らに無理なく守らせる法を作りましょう。正しいシステムが確立すれば、あとは勝手に動くのが人間というもの。ま、見ていてくださいな」
扇子で隠した顔から自信ある笑みが覗く。こげ茶色のポニーテールが風に揺れ、彼女の丸い眼鏡が眼下で働く人々を見つめる。この表情を見ると、信じて大丈夫だろうとダヴィは感じた。
この計画を可能にしたのは、ダヴィ軍が保有する潤沢な資金だ。教皇や貴族から接収した財産はまだまだ残っており、国有化した鉱山をフル稼働させている。国営産業の紙業も軌道に乗ってきた。今や、ダヴィは全盛期の教皇をしのぐ資力を得ている。
このウッド国との国境沿いには、すぐに木材の加工場と作業員の宿舎が築かれることとなる。そしてその集まった人々を相手に商売する者も現れた。年が明ける頃には、ここに大都市が形成される。
一つの戦争と道路建設のために、ダヴィは街を築いた。空前絶後の規模である。平野での正々堂々の合戦が主流だった戦争の常識を覆す、未知の戦略だ。
この工事には、もう一人の登場人物を紹介しなければならない。
「ダヴィ様。こちらが技術担当のワトソンです」
「は、はじめまして、陛下!」
額がかなり広い、大きい眼鏡をかけた若い男がダヴィに挨拶した。かなり緊張しているようで、ダヴィはそれをほぐすために微笑みかけた。しかし逆効果のようで、ワトソンは固い笑みを返して、真冬なのににじむ汗をハンカチで拭いた。
彼はワトソン=コメン。彼はファルム国出身で、元々画家志望でヴェニサの職人に弟子入りしたが、先天的な色覚障害があることが判明して断念した。その後、ある教授から「優れた技術は人を感動させる最高の芸術たりうる」と言われて感動し、神学校に入り直して技術者に転向した。そして学校開校以来の天才と評されるまでになり、この度ジョムニにスカウトされたのだ。
ダヴィは汗が止まらないワトソンに質問する。
「どういう工程で進めるんだい?」
「はい! えーと、一番の障害になりますのが小川ですので、まずは河川工事を行って、川の流れを道路の邪魔にならないように集約します。それと同時並行で道路敷設を進めます」
それを聞いて三人は驚く。スールが尋ねる。
「ちょ、ちょっと、そんなに凄い工事をするの?! 一体、何年かかるのですか?」
「今回は簡潔な道路だけですから、そこまで時間はかかりませんよ。半年ぐらいかと」
「本当に?」
半信半疑で質問を続ける三人に、ワトソンは先ほどまでの弱気さとは一転して、なぜそんなことを聞かれるのか分からないという表情をする。
「はあ、可能ですけど、なにか?」
彼はその後、首都建設や鉱山の運搬技術、造船技術など幅広い分野に携わり、全てにおいて革新的な仕事をした。その中でも道路建設には大きく寄与し、『道の王』と呼ばれたダヴィの片腕として活躍する。そして『世界の時計の針を進ませた男』として評され、ダヴィに次ぐ名声を得て歴史に名を残した。
同じく画家志望のマセノはこう書き残した。
『ワトソンは画家に向いていないよ。彼がもし絵を描いても、画材の改造からやりかねない』
話を戻そう。ダヴィにはこの道路建設の他に、やらねばならないことがあった。
「本当に向かわれるのですか」
と心配するアキレスとジャンヌに対して、ダヴィはニッと笑う。
「人を説得するのは、俺が一番上手いよ」
「それはそうですが……何もウッド国に自ら乗り込まなくても」
ダヴィはウッド国の各町を回って、貴族以外の町の有力者と会って味方に引き込もうとしているのだ。以前、ナポラでやったのと同じように、商人のふりを装った密行だ。
ジャンヌも心配する。
「それでも、あたいやアキレスを連れて行ったらいいじゃないか。なんでマセノとノイなのさ?」
「そうです。なぜ彼らなんですか?」
その言葉には、旅装に着替えていたマセノが答えた。彼は座って靴ひもを結んでいた。
「お二人とも、ダヴィ王と一緒に旅行したいのは分かるが、これは仕事だよ。僕の美貌の魅力は交渉にはうってつけなのさ。子供みたいに駄々こねないでほしいね」
「そ、そんなこと言っていないじゃないか!」
「む……」
ジャンヌは焦りながら否定するが、正直者のアキレスは口をつぐんでしまう。前回、ナポラに一緒に行ったのはアキレスだった。あの時のように、ダヴィを傍で護衛するのは自分の役割だと自負していたので、この決定には不満だった。
ダヴィは彼の表情を見てクスリと笑い、マセノもニヤニヤと笑う。
「まあ、僕もどうしてこの大男が一緒に来るのかは、分からないけどね」
立っていたノイが、座るマセノをジロリと見下した。パンパンに荷物がつまった大きなバッグを背負っていたが、全く重さを感じさせない、普段通りの無表情だ。
ダヴィはマセノの疑問には答えることなく、アキレスとジャンヌの方を向く。
「君たちにはウッド軍が動いたら、ここの作業員を守るように動いてもらいたい。ここは敵地なんだ。注意してかかって下さい」
「それはこっちのセリフです! ダヴィ様こそ敵の拠点に向かうのですから、ここは別の者に任せませんか」
「大丈夫だよ」
ダヴィには根拠があった。それは先日の戦いで捕虜にしたウッド軍の将兵たちと会話した時だ。目の前の若者が敵国の王とは知らずに、彼らはぼそぼそと自国の不満を語ってくれた。
『農民の俺たちの気持ちは無視されている。美味しいところは海側の商人連中が吸い取っていやがる。俺たちの森が汚されていく。ひでえもんだ』
(ナポラの時と似ている)
個人に対してか、ある階層に対してかの違いはあるが、ナポラの時と同じように、庶民が強い
(説得する余地は十分にある)
ダヴィは立ちあがり、自分の荷物を背負った。中には装飾品や衣服が入っている。
「この荷物が空になる頃に帰ってくるよ。年は越すだろうが、そう時間はかからないさ」
「大層な自信ですね。まるでこれから説得する相手に、もう仲良くなっているみたいだ」
とマセノが自分の疑問を混ぜながら、ダヴィに問いかける。同行するノイや、残るジャンヌとアキレスも、首を傾げた。ダヴィはマセノに答える。
「交渉に一番重要なのは、自信を持つことさ。話を聞く相手も、恐る恐る語りかける人よりも、堂々と論陣を張る人に注目する。もてる君が女性を口説く時はそうだろう?」
マセノはあまり釈然としない様子だったが、自分が褒められていると思い、気を取り直す。
「……僕の場合は自信ではなく、確信ですよ! 僕とデートしてくれたら必ず満足させられるというね」
「なに言っているんだか」
「その調子で、ウッド国でも頼むよ」
とダヴィは微笑みかけ、南のウッド国に足を向ける。彼は楽しみでもあった。サーカス団の頃も行ったことがない国を旅する。若いながらの好奇心があふれてくる。
ダヴィは笑顔でアキレスたちに手を振る。その後ろをマセノとノイがついて行く。
「じゃあ、あとは頼んだ。行ってくる!」
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