第20話『交渉と説得の旅』

 もうすぐ年が明ける。宿の窓の外から神々しい月と星を眺め、ダヴィは手紙を読んでいた。窓の隙間から入り込む冷気に、白くなる息が手紙にかかる。雪は降らないとはいえ、ウッド国でも冬は寒い。


『道路工事は順調です。作業員はさらに増えています。敵の動きはなく、このままいけば晩春にはウッド国の首都・ワシャワまで届くかもしれません』


 と報告するジョムニの手紙を読み、ホッと安堵あんどをした途端、また白い息が出た。この寒さと年越しのタイミングで、作業員が逃げ出してしまわないか心配だった。


 届いた封筒には、もう一通手紙が入っていた。ルフェーブからだ。


『聖子女様がお会いしたがっています。せめて手紙をお送り頂けないでしょうか』


 早速、ダヴィは机に座り、手紙を書き始めた。別の部屋で待たせている配達役の兵士に持たせるために、早く書かないといけなかった。


 その時、部屋に入ってきたマセノがその様子を見た。


「また手紙ですか。数日前も書いていませんでしたか?」


「あれはオリアナのだよ。オリアナは三日に一度は送ってくるから」


「届ける兵士が可哀そうですね」


 敵にバレないか心配だが、オリアナが構築した諜報網にすきは無い。彼女の部下は良く鍛えられており、いつぞやか普段の鍛錬方法をダヴィが彼らに聞いたことがある。その時、彼らは強く首を振った。


『それをダヴィ様に言えば、オリアナ様に殺されます。それだけはご勘弁ください』


 その瞬間、彼らの表情が青ざめたのを感じて、ダヴィはそれ以上尋ねなかった。かなり強烈に鍛え上げているのだろう。今も別の部屋で待機する配達役の兵士は、姿勢を一切崩さない。


 マセノは肩をすくめて、ダヴィに改めて尋ねる。


「この手紙はどなた宛ですか?」


「聖下だよ。年越しの挨拶を書いている」


「おやおやオモテになりますね。羨ましい限りです」


「…………」


 ダヴィは筆を止めて、ジロッとマセノの顔を見上げた。聖子女をそのような対象で見るのは不敬だし、そもそも彼に言われるのは癪に障る。ダヴィは苦笑いを浮かべながら、軽口で返す。


「君ほどモテたら人生楽しそうだね。俺も多くの女性から愛されたいよ」


「……それはあなたが言わないでください。特に、オリアナ姫の前では」


 マセノは隣の部屋にいるオリアナの部下に聞こえていないか心配になりながら、ダヴィが手紙を書く机に手を置いた。彼の細くて長い指が、ダヴィの視界の端に映った。近づいた彼の黒髪から香水の匂いが漂う。


「もうそろそろ教えてくれませんか」


 声を少し落として、マセノが尋ねる。ダヴィは彼の質問の内容が理解できた。


「そこの椅子にかけてくれ」


 マセノは椅子に座り、長い足を組む。そして長くウェーブした髪をてぐしで整えた。不遜ふそんな態度だが、彼の習性としてダヴィは諦めていた。


 ダヴィは手紙を書き終え、それを配達役に渡した。配達役は王自らが持ってきたことに驚きながら、宿を出て行った。


 部屋に戻ってきたダヴィは、ズバリ当ててみせる。


「どうしてこの旅に連れてきたか。そして、ノイと一緒に旅をさせるのか、だろう?」


「ええ、その通りです」


 しばらく旅をしてきたが、マセノにはまだその理由がつかめていなかった。ダヴィは彼の呑み込めていない不満げな表情を眺めて、内心微笑みながら質問で返す。


「人選は間違えていなかったと思う。商売も、任務も、上手くいっている。違うかな?」


「それは、その通りですね。離れた場所からでも分かる僕の美しさと甘い言葉に、装飾品は飛ぶように売れて行きましたから」


「自分で言うかね」


 ダヴィはまた苦笑いする。だが、マセノの言うことは確かだ。あれほど売れるとは、ダヴィ自身も思わなかった。


 これにはウッド国の国内事情が理由として存在した。商工業が発展しているダヴィの勢力圏やファルム国から届く商品は全て、船でウッド国に運ばれている。それらの大半は首都・ワシャワ以西の湾岸地域で売却されてしまい、ウッド国の東部や北部には届かないのだ。そのためダヴィたちが運んできた装飾品は珍しく見え、長年欲しがっていた人々の心に突き刺さった。


 その結果、ダヴィは高級品を取り扱う商人のふりをして、何人もの民衆の代表者と面談することが出来た。


「今日会ったこの街の代表者も、非常に驚いていましたね。まさかダヴィ王自ら説得に来られるとは思わなかったでしょう」


 とマセノが笑いながら指摘した通り、ダヴィの正体を知った人々は一様に驚いた。ダヴィが堂々と論じ立てる姿に、彼が王である証拠を見出した(ダヴィは一応、聖子女から貰った真円のレリーフを隠し持っていたが、使うまでもなかった)。その瞬間、相手の虚を突いたことで交渉が有利になることを知っており、ダヴィの狙いはそこにあった。


 これまで五つの大きな都市をまわってきたが、いずれの代表者もダヴィの威に圧され、彼の言葉を素直に聞いた。ダヴィが言ったことはシンプルだ。


『あなたたちが手を貸して、この街の人々を兵士として送り込んだところで、得をするのは貴族たちと沿岸部の人々だけだ。全く利益にならないことに命を費やすなど、馬鹿げている』


『貴族たちの言うことを無視して、静観してほしい。俺がこの国の貴族たちを追放したあかつきには、貴族たちが獲得していた利益はあなたたちのものになる』


 実際に、ダヴィの支配領域の税金の安さを伝え聞いている人々にとって、この言葉は重くのしかかった。やがて懇々こんこんと話を続けるダヴィに負けて、彼らは貴族たちからの徴兵命令に協力しないことを約束してくれた。事前にこの国の対立構造を把握したダヴィの勝利だ。


 事は非常にうまく運んでいる。しかしマセノは納得しない。


「僕がわざわざ行く必要はなかった。新参の僕が付いてくることに、当然不安はあるでしょう。あのでかい奴こそ、何を考えているか分からない。付いてこられたら怖いはずです。アキレスたちが心配したのも頷けますよ」


「それなのに、なぜこの人選をしたか、ってことだね」


「その通りです。お教え頂けますか」


「うん……」


 ダヴィは話す順番を考え、一度まぶたを閉じた。そして再び開き、彼のオッドアイが鋭くマセノの顔を見つめる。


「マセノは以前『異教徒は嫌っているが、その理由は分からない』と言ったね」


「はい、そうですよ。誰だってそうでしょう」


「だが、困ったことに、俺は君に異教徒たちの軽騎兵部隊の指揮官になってもらいたいと考えている」


 マセノは眉間にしわを寄せた。確かに、ファルム国との戦いで失敗したにも関わらず、ウッド国との戦いでも軽騎兵部隊を任されていた。それはマセノに、騎兵部隊の指揮官としての適性を認めたからだ。その想いは、マセノも薄々感づいていた。


 だが、マセノは首を振る。


「あり得ませんよ。僕も彼らが嫌いだし、彼らも僕のことが嫌いだ。悪感情を持ち合っている者同士が、上手くやれるはずがありませんよ」


「君は本当に芸術家なのかい?」


「なんですって?」


 不意に悪口を言われ、マセノは彼らしくなく不機嫌さをあらわにする。ダヴィはこの街の代表者の時と同様に、釣り針にかかる感触を楽しみながら話を続ける。


「俺もそこまで詳しくはないが、芸術というのは自分の感情や衝動を描くことに本質があるんじゃないか。それを考えると、自分の感情の出所を知らない、考えもしない君の思考は芸術家らしくない」


「…………」


 マセノは細面の顔に手を当てて、黙り込んだ。その顔をダヴィのオッドアイが覗き込む。ダヴィの蠱惑こわく的な視線が、彼の頭脳に入り込む。マセノはそれを振り払おうとせんとばかりに、目をつむって首を振った。


「屁理屈です」


「屁理屈ならば、君はそこまで悩まない。いつもの軽妙な口調はどこへ行ったんだい」


 ダヴィはクスクスと笑う。今度はマセノが苦笑いを浮かべる番だった。ダヴィは自分の理想を語る。


「俺は異教徒たちへの差別意識を払しょくしたい。もっと言えば『異教徒』という名称自体を無くしたい」


「それは……」


「無理だと思うかい? まだ誰もやったことも、失敗したこともないのに」


 ダヴィは再びマセノを見つめる。赤と緑の瞳がマセノの目を捕らえる。


「そのために、マセノの協力が必要だ。異教徒を非常に嫌っている君の考えを知りたい」


「僕の考え……」


「異教徒を好きになれと言っているわけじゃない。自分の考えをまとめてほしい。なぜ異教徒が嫌いなのか、その理由が知りたい」


 ダヴィは椅子から立ち上がると、マセノの肩をポンと叩いた。そして小さくなったロウソクを継ぎ足しながら、マセノに微笑む。


「自分を知ることだ。俺たちはいつもそこから始まり、そこに戻っていく」


 自室に帰ったマセノは、自慢の長い髪をガシャガシャとかいた。そしてベッドに横たわり、手枕をして考える。大きなため息が部屋の冷気で白く変わる。


「難しいことを言うなあ。自分自身を知る人など、この世にどれだけいるだろうか」


 マセノはさっさと寝ることにした。朝になればすっかり、ダヴィの宿題を忘れていることを祈って。


 だが、彼は眠ることが出来なかった。ダヴィの言葉が脳裏をぐるぐると巡り、誰しもに降り注ぐ青白い月光が部屋の地面を照らすのを見る。今まで自分を守ってきた軽薄な口も、今は真一文字に閉じられた。


 マセノを悩ませる夜が更けていく。

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